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会津見て歩記Photo版

2010年12月31日の会津 Photo(11)を追加しました。11月に奥会津金山町を訪ねるに当たり、当然コビヤマのパンを買い、久しぶりにお城を訪ねそのあと気になっていた、会津坂下のバンゲボンゲ定食を食べ、今まで紹介できなかった奥会津と南会津の写真をアップしました。
2004年12月23日からの会津東山スキースポート少年団の米沢市天元台の合宿に参加したあと、25日の朝一番のゴンドラで下りて会津に向かいました。まず9時30分に熱塩加納村の「示現寺」、そして喜多方の「願成寺」で「会津大仏」を参拝した。それから湯川の「勝常寺」をまわり、会津坂下の「べこの乳」で休憩。ジェラードを頂きました「ソフトクリームも美味しいですよ。」とのこと。そして会津坂下の塔寺にある「立木観音」、そして会津五桜の一つ「杉の糸桜」の「薬王寺」そして「虎の尾ザクラ」の法用寺によろうと思ったが、寺が工事中のため中止。会津高田の長福寺によりお茶をいただき、会津若松に向かった。会津若松市でまず「ベーカリーコビヤマ」により予約してあった「シュトーレン」とパンを買い求め、天寧寺に向かった。天寧寺で近藤勇の墓、萱野、郡親子の墓をを訪ねた。そして最後の大龍寺で小笠原長時の墓を参り、会津の町を見ながらコビヤマのパンをいただき、午後2時30分会津を後にした。 通常であれば2日のコースでしょうが冬の会津の寺院の素晴らしさを再確認してきました。
飯盛山白虎隊像
2003年8月2日3日の会津 (会津本郷のせと市) Photo版(4)と(5)
朝5時過ぎに埼玉を出て8時半ごろにはお決まりの裏磐梯桧原湖畔「ママキャンプ場」を訪れ、そして定番のコースとともに滝夜叉姫、徳一廟、十六橋、強清水、伊佐須美神社など今まで写真で紹介できなかった場所や会津郷土料理の「田季野」そして会津田島の「郡役所跡」などを写真で紹介します。今回のメインは毎年8月第一日曜日に開催される「会津本郷のせと市」です。朝4時に起きて行って来ました。新しい発見もありました。
会津見て歩記Photo版(1) 五色沼、ママキャンプ場、喜多方市坂内食堂、九重本舗、皆鶴姫の墓、太郎庵、コビヤマ、飯盛山の洞門、さざえ堂
会津見て歩記Photo版(2) 白虎隊の墓、白虎隊自刃の地、Oak Village 、駄菓子資料館長門屋、うどんとそばの「徳一」、五郎兵衛飴総本舗、西軍墓地、中野竹子、上杉景勝の城の跡、七日町通り
会津見て歩記Photo版(3) 若松城、荒城の月碑、東山温泉不動滝、羊羹の松本屋、ラーメンのうえんで食堂、芦ノ牧温泉、会津鉄道「湯野上温泉駅」、田島町万古焼きの勝三窯
会津見て歩記Photo版(4) 滝夜叉姫 恵日寺 徳一廟 龍ヶ滝湧水 十六橋 強清水   (2003年8月2日)
会津見て歩記Photo版(5) 六地蔵 伊佐須美神社 文殊様 田季野 会津本郷「せと市」 田島郡役所 (2003年8月3日)
会津見て歩記Photo版(6) 喜多方市新宮熊野神社長床 熱塩加納村示現寺 喜多方市願成寺 湯川村勝常寺 会津坂下立木観音 会津坂下薬王寺 
会津見て歩記Photo版(6-2) 中田観音、天寧寺、近藤勇の墓、萱野権兵衛、郡長生親子の墓、大龍寺、小笠原長時の墓(2005.1.4追加)
津見て歩記Photo版(7) 檜枝岐の歌舞伎舞台 袖萩とお君の像 橋場のばんば 板倉  六地蔵 はっとう  武田久吉メモリアルホール 伊南村大桃の舞台 (2004年8月1日)
会津見て歩記Photo版(8) 野口英世青春通り 蒲生氏郷の墓 山鹿素行誕生の地 若松城 会津葵 西郷頼母邸址 内藤邸跡(白露庭) 会津酒造歴史館
会津見て歩記Photo版(9) 会津若松市役所 山田ダンゴ 町方伝承館 会津若松駅前 満田屋 鰻のえびや 天鏡閣 会津藩主松平御廟
会津見て歩記Photo版(10) 御薬園 安兵衛通り 柳津虚空蔵尊圓蔵寺(2010.07.18)
会津見て歩記Photo版(11) バンゲボンゲ定食、斎藤清美術館、只見川の紅葉、妖精美術館、カラムシ織の里、田島祇園会館、奥会津博物館(2010.12.31追加)木賊温泉(2011.07.10)

INDX版(直接該当写真へリンクしています。)

お勧め(2002年8月) ワンポイント 地図
五色沼「毘沙門沼」 裏磐梯五色沼の中で一番大きな「毘沙門沼」コバルトブルーに輝きます。 map
剣が峰レストラン「モントレー」 ここのハンバーグは最高。 map
細野ママキャンプ場 裏磐梯の自然を楽しむには最高のキャンプ場。オートキャンプから脱皮したいキャンパーはぜひ尋ねてください。 map
喜多方ラーメンの「坂内食堂」 喜多方は蔵とラーメンで有名。坂内食堂のラーメンはこの行列を見ただけだ美味しさが想像できるでしょうか。 map
塩川町「九重本舗奈良屋」 黄色い小さなビーズだまのような「ここのへ」はなぜか懐かしい味がします。 map
河東町の「皆鶴姫の墓」 源義経を慕って追ってきた皆鶴姫はここで18歳の命を散らしました。 map
お菓子の「太郎庵」 美味しい伝統のお菓子が多い会津でこののお菓子は美味しいと共に店員さんのサービスのよさが最高です。混雑する時期には分からないかもしれませんが・・・。 map
ホームベーカリー「コビヤマ」 研究熱心なオーナーの人柄が味に出る・・。リーズナブルで美味しいパンです。会津から帰る車中で食べるために尋ねてください・・。追加:2003年クリスマスに訪ねたら「フォカッチャ」、「パネットーネ」、そしてコビヤマの幻の一品になるかもしれない「シュトーレン」などの新しい商品がふえてますます美味しくなっておりました。(2003年12月24日更新) 2005年の春に map
白虎隊が抜けてきた洞門 西軍に追われて白虎隊が抜けてきた洞門。 map
さざえ堂 飯盛山の名所の一つさざえ堂。登ると同じ通路を通らずに降りてこられる不思議な建物! map
白虎隊の墓 ご存知、自刃した白虎隊19名とそれ以外の戦死した隊士の墓。 map
白虎隊自刃の地 白虎隊20名が自刃した場所。その途中に一人生き残った飯沼貞吉の墓がある。・ map
飯盛山にあるお洒落な家具の「Oak Village」 一見すると喫茶店に見えますがお洒落な家具屋さんです・・。趣味のいい家具、イマンの小物の他トールペイントもあります。2003年12月店内の様子をUPしました。(2003.12.26更新) map
伝統お菓子の「長門屋」 会津で愛されてきた駄菓子の資料館。懐かしい玩具も飾られています。 map
徳一の「高遠そば」 会津には山都のそばや檜枝岐のそばなどそばの名所である。市内にいくつかある美味しいそばの一つ。うどんも美味しい。蕎麦がきがお勧めです。 map
五郎兵衛飴総本舗 800年の歴史を持つ五郎兵衛飴。源義経も食べたといいます。弁慶が書いた借用書もあるとのこと・・会津若松駅のすぐそばです。 map
西軍墓地 戊辰戦争でこの地で散った西軍兵士の墓。会津では攻めてきたいわゆる官軍のことを西軍といいます。賊軍ではないという誇りの表れです。 map
中野竹子像 会津戦争のヒロイン中野竹子の像が建っています。なぜか雰囲気が違うがその理由は会津見て歩記本文で・・・ map
上杉景勝の城の跡 豊臣秀吉が会津に攻めてくることになった上杉景勝の城作り。完成はしなかった・・ map
七日町通り レトロな街づくりで素敵な町に変身している七日町通り。 map
会津若松(鶴ヶ城)城 会津のシンボル若松城(鶴ヶ城)。町の真ん中に誇れるお城があるというのは羨ましい・・ここに住めたことを誇りに思います。 map
荒城の月の碑 お城の中には荒城の月の碑が建っています。その隣には茶道千利休の息子が残した草庵が。ここと茶道との関係は「麹町ウぉーカーNO7」で紹介しました。 map
東山温泉「不動滝」 会津若松の奥座敷東山温泉には多くの旅館やホテルがあります。不動滝はこの温泉街の起源となった温泉があります。 map
東山温泉羊羹の松本屋 東山温泉にいったらぜひ松本屋の羊羹。このあたりは古い温泉街の雰囲気がよく出ています。松本屋の上にある「卯之屋さん」の「たんめん」は最高です。 map
ラーメンの「うえんで食堂」 芦ノ牧温泉駅のそばにある「うえんで食堂」。ここのラーメンは結構いけますよ!牛乳屋食堂というラーメン屋さんも近くにあります。 map
芦ノ牧温泉 渓谷に張り付くように建つ芦ノ牧温泉街。この写真の後方に殿様納屋という落ち鮎を捕る場所があります。 map
茅葺の湯野上温泉 会津鉄道湯野上温泉駅は茅葺で囲炉裏もあります。近くには大内宿があります。温泉もいいところです。 map
田島町荒海にある万古焼きの勝三窯 万古焼き古臭さのない勝三窯。会津高原を訪ねたら是非およりください。今度は河童の神様を作り始めたとのこと。 map
お勧め(2003年8月) ワンポイント(2003年夏会津レポート64k 地図
滝夜叉姫の墓 平将門の三女滝夜叉姫の墓。彼女は美しく妖術を使ったといわれる。 map
恵日寺資料館 会津仏教発祥の地恵日寺に関する資料を紹介している。 map
徳一廟 会津仏教の開祖徳一上人の墓。 map
龍が沢湧水 日本百名水のひとつ。磐梯山の山麓から湧き出てきます。 map
十六橋 猪苗代湖から会津そして日本海へ流れ出る日橋川に架かる十六橋。白虎隊もこの橋を守りにやってきました。 map
強清水 ここから湧き出る清水はどんな旱魃でも枯れないという。そして父と子の物語があります。 map
六地蔵 これだけ大きな地蔵様が自由に参拝できることに感謝。向かいには棒タラの梅屋さんがあります。 map
伊佐須美神社 会津の総鎮守伊佐須美神社。深い森の中にある厳かな神社ですが・・ map
文殊様 会津本郷伊佐須美神社の裏にある文殊様。受験生の信仰を仰ぐ寺である。 map
輪箱飯の田季野 会津の郷土料理と輪箱飯(わっぱめし)を歴史ある田島陣屋を移築した風情のある建物でいただくことができます。 map
会津本郷せと市 8月第一日曜日は会津本郷のせと市が午前4時から正午まで開かれます。 map
南会津郡役所跡 南山御蔵入り騒動で知られる会津田島は天領南山の中心地で会津とは異なる文化と歴史を持っています。 map
新宮熊野神社長床 喜多方市にある新宮熊野神社の雪の中の長床。晩秋の銀杏の季節には長床が黄金の絨毯の中に輝いて見えます。(2003年12月23日) map
熱塩加納村示現寺 奥州各地に三十七ケ寺の末寺を有する総本山で1200年もの歴史を誇る名刹。我が国の福祉活動の先駆者「瓜生岩子」の像がある。 map
喜多方市願成寺 木造阿弥陀如来は、「会津大仏」と呼ばれ国の重要文化財である。 map
湯川村勝常寺 勝常寺は807年、伝教大師(最澄)の論敵として知られる法相宗の徳一上人によって開かれた会津のみならず東北を代表する古刹である。 map
会津坂下立木観音 恵隆寺は808年(大同3年)の創建と伝えられ、弘法大師が彫ったという高さ8.5m、日本最大級の十一面千手観音を本尊とする。立木を彫った観音像であることから「立木観音」と呼ばれる。会津三十三観音の31番札所。会津「ころり三観音」の一つでもある。 map
会津坂下薬王寺 会津坂下の少し小高い船杉地区の会津五桜の一つで白色の花が流れ落ちるようにも見える「杉の糸桜」があることで知られている。 map
中田観音 会津ころり三観音霊場のひとつ「中田観音」。観音堂内には、何ごとも念願成就するといわれる「だきつき柱」がある。2004年に1000円札に採用された野口英世博士の母シカもまた、中田観音を信心したと言われる。幼い英世の火傷の治癒と立身出世を祈願し、月まいりしたことでも知られ、博士がアメリカから帰国した時、母と連れだって参拝した写 真が飾れれている map
天寧寺 応永28年(1422)、会津にきた傑堂禅師が11代芦名盛信の建立により創立した寺。かつては会津曹洞宗の頂点にあり末寺33カ寺、12の寺院をかぞえたという。芦名盛氏が永楽100貫文を寄付、雲水1000名をかぞえた芦名氏の菩提寺であった。しかし、伊達政宗の侵攻にあって焼けたた。境内には新撰組局長近藤勇や会津戦争の全責任を負って切腹した家老「萱野権兵衛」、留学先で辱めを受け自刃した息子の「郡長正」の墓がある。近藤の墓は本堂の真裏辺りの丘の上にある。萱野親子墓の途中に早乙女貢氏の超大作「会津士魂」の碑が建っている。   map
近藤勇の墓 新撰組の局長近藤勇の墓。戒名は「貫天院殿純忠誠義大居士」、松平容保公の書といわれる。 map
萱野権兵衛、郡長生親子の墓 会津戦争の全責任を負って切腹した萱野権兵衛と、福岡に留学中に会津武士の名誉のために切腹した息子の郡長生の墓がある。 map
大龍寺 会津松平藩の祖「保科正之公」が会津に転封となった時移ってきた「お供寺」の一つ。松平家の産所でもある。このお寺は京都高尾・嵐山より移植した「大龍寺のかえで」や、目黒浄定作の庭園、小笠原流の祖・小笠原長時の墓などがある。本堂の裏は「モリアオガエル」の産卵場所でもある。本堂の中には「幽霊の足跡」がある。幽霊の足跡については東山地区の人にとっては常識なのですが。
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大龍寺 小笠原長時の墓 小笠原長時は信濃の弓馬と礼式の名家で、小笠原流の中興の祖ともいわれ、彼の時代に小笠原流の原型は完成したと伝えられている。武田信玄に信濃を逐われた小笠原長時は、転々とし、最後に会津の葦名盛氏のもとに身を寄せていた。しかし、家臣の手にかかって殺害されたと伝えられる。 長時の三男貞慶は後に旧領を回復し江戸時代松本藩の藩主となっている。 map
檜枝岐の歌舞伎舞台 その昔、伊勢神宮に参拝した先人たちが江戸で歌舞伎を見て、見ようみままで村に伝えたのがはじまりであるという。以後250年以上にもわたり、親から子、子から孫へと伝えられ、奉納歌舞伎として行われてきた。重要無形民俗文化財である。 map
袖萩とお君の像 檜枝岐歌舞伎の代表的な作品「奥州安達ヶ原袖萩祭文の段」の袖萩とお君母子の一場面を再現したもの。 map
橋場のばんば 子供を水難から守る水神様であるが、縁結び、縁切りの神様として信仰されている。ばんばの頭にお椀をのせると、どのような願い出もかなえるといわれる。縁を切りたいときには切れるハサミを供え、良縁を切りたくないときには錆びたハサミを供える。 map
板倉 この何の変哲も無い倉庫は「板倉」と呼ばれるもので火事から大切な穀物を守るために家から離れた畑の中に立てられた穀物倉庫である。この建築様式は正倉院と同じもので建築史上重要なものであるという
六地蔵 耕地が少なく雪深いここ檜枝岐は冷害に悩まされることが多く、凶作の年には餓死者が出ることも多かった。そのため口減らしのために赤ん坊の「間引き」がなされることもあったという。このお地蔵様はその霊を弔い、母親たちの嘆きを慰めるために建てられたと伝えられる。 map
はっとう それとともにそば粉ともちの粉を混ぜて菱型に切り、それをお湯に通して十年味噌をかけて食べる「はっとう」が名物である。「はっとう」はその昔、土地の殿様(?)に差し出したところあまりに美味しく、下々の者には食べることを禁止した・「ご法度」から「はっとう」になったという。
武田久吉メモリアルホール このホールの「武田久吉」先生は、日本山岳会の創立に関与して、植物研究のために日本中の山を訪ね、日本山岳会の創刊号に始めて尾瀬を紹介した。そして大正11年の尾瀬貯水池化計画、昭和23年尾瀬ヶ原巨大ダム化計画に反対の意見を表明し、自然保護のシンボルとしての尾瀬の恩人である。武田久吉先生は英国公使アーネスト・サトウの次男として生まれたことは、麹町ウぉーカー53号(日本山岳会と武田久吉)、42号(父アーネストサトウ)について紹介している。 map
伊南村大桃の舞台 この地は江戸時代お蔵入りと呼ばれる天領であった。その時代に盛んであった農民歌舞伎の名残の「大桃の舞台」は杉林の中にひっそりと建っており、文化溢れた姿を今に伝える貴重な文化遺産とし守り続けられている。国の重要文化財にも指定されいる。 map
野口英世青春通り  野口英世が医学の勉強をした会陽医院跡の会津壱番館の前の通りは綺麗に整備され以前は市役所そばにあった銅像もホテルニューパレスの前に移っていた。 map
蒲生氏郷の墓  神明通りアーケードの脇に「蒲生氏郷公の墓」の案内が立っている。その脇の辞世の碑には「限りあらば吹かねど花は散るものを心みじかき春の山風」と刻まれている。銀鯰の兜で知られ文武に秀でた有能な武将の無念の気持ちが表れている。  map
山鹿素行誕生の地  元和8年〜貞享2年(1622〜1685) 兵学者、儒学者。若松城下で生まれた素行は6歳の時に父と共に江戸へ出る。素行は武人として実践的な孔子の教え(聖学)の原点に帰ることを主張し、山鹿流兵法を確立。31才の時に赤穂藩に仕え、後江戸で「聖教要録」を出版。朱子学批判の罪で素行を赤穂浅野家に配流した。延宝3年(1675)許されて江戸へ帰る。 map
若松城(鶴ヶ城)  戊辰戦争最大の激戦地。 map
会津葵  「会津葵」というお城ご用達のお菓子を収めていた蔵作りの老舗のお菓子屋がある。しっとりしたカステラの中に餡子の入った「会津葵」という菓子は、なかなかの一品である。 map
西郷頼母邸址  家老西郷頼母の妻子は夫と長男を城に送り出したあと一族21名が自害して果てる。妻千恵子の「なよ竹の風にまかする身ながらも たまわぬ節のありとこそきけ」という会津武士の妻の誇りを詠って果てた。善龍寺にある墓では「なよ竹祭」が行われている。 MAP
内藤邸跡(白露庭)  裁判所の敷地は家老内藤氏の屋敷跡。向かいは西郷頼母邸であった。ここで会津戦争のときの降伏式が行われた。 MAP
会津酒造歴史館 宮泉醸造の一番蔵が公開されており、400年の歴史を誇る会津酒造の歴史、埋もれた会津の美術品を展示している。利き酒も出来る。会津戦争終結の地であり、この前に緋毛氈ががひかれそれを切り取ってその屈辱を忘れまいとした「泣血氈」の誓いの場所の案内板がある。  MAP
2010年7月18日更新

HOMER’S玉手箱 麹町ウぉーカー(麹町遊歩人) 会津見て歩記 甲府勤番風流日誌 伊奈町見聞記 鹿児島県坊津町