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若松城(鶴ヶ城)  

若松城は、約600年前の芦名直盛公の時代に「東黒川館」として築かれたのが始まりとされている。蒲生氏郷の時代には8層だった。その後地震により崩壊し、加藤氏の代に修復して、5層のお城の型が整った。芦名氏の後、伊達政宗、蒲生氏郷、上杉景勝、加藤明成等の名だたる戦国武将がこの城の主となった。そして、加藤氏の後、徳川家康の孫で3代将軍徳川家光の異母兄弟保科正之公が封ぜられ、その後は子孫である松平氏の居城となった。明治7年に政府の命令により取り壊されたが、昭和40年に現在の形に再建された。 因みに若松城と鶴ヶ城の呼び名についてはいずれも正しい。このお城は蒲生氏郷によって「鶴ヶ城」と命名されている。ただ、昭和9年に国の重要史跡に指定された時に「若松城跡」とされていたことから、今でも公的な文書では若松城と記されている。

2002年8月14日

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