戻る会津見て歩記

荒城の月の碑と「麟閣(リンカク)」

この麟閣の隣には「荒城の月」の碑がある。私はここをはじめて訪れた時に、「何故ここに荒城の月の碑が?」と訝しく思った記憶がある。
荒城の月は滝廉太郎の住んだ大分県竹田市の「岡城」だと思っていたのである。ところが、たしかに作曲は滝廉太郎であるが作詞は土井晩翠であり「旧制二校のときここを訪れ、鶴が城の印象を素材とした。」と、昭和21年に会津女子高の音楽会に出席したときに話したため、早速寄付を募り、翌年にはこの碑を立てたらしい。

天守閣を右手に見て本丸の左手奥には千利休の息子「少庵」の庵だ茶室が移築されている。千利休は豊臣秀吉の逆鱗に触れたため切腹させられ、蒲生氏郷がその息子(実は後妻の連れ子になる)を会津で匿い、その際、利休の弟子で「千家十哲」に数えられた茶人でもある氏郷の求めに応じ、亡き千利休好みの草庵風の茶室「麟閣(リンカク)」を造ったのである。


本丸跡のパノラマ写真麟閣が見えている

2002年8月14日

HOMER’S玉手箱 麹町ウぉーカー(麹町遊歩人) 会津見て歩記 甲府勤番風流日誌 伊奈町見聞記 鹿児島県坊津