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奥穂高岳
(3190m)
2007.10.6日〜8 
(二泊三日のテント泊登山)
妻と二人のパーティー

106   730分:河童橋()815分:明神910分:徳沢⇒10時05分:横尾(30分休息)1130分:本谷橋15分休息)140分:涸沢ロッジ(着)

107   600分:涸沢テント場出発626分:パノラマルートと涸沢小屋ルートとの合流⇒648分:ザイテングラート取り付き745分:穂高山荘()⇒757分:穂高山荘()839分:奥穂高岳山頂() 約1時間展望と他の登山者との話を楽しむ940分:奥穂高岳山頂()1025分:穂高山荘着(35分休息)1100分:穂高山荘()1116分:涸沢岳山頂(20分展望を楽しむ)1135分:涸沢岳(発)1152分:穂高山荘⇒1248分:ザイテングラード最下部1303分:パノラマルートと涸沢小屋ルートとの合流⇒1325分:涸沢小屋(20分ラーメンを食べる)1440分:テン場に戻りテントを撤収し下山開始1548分:本谷橋1700分:横尾1755分:徳沢

108  700分:徳沢()755分:明神 嘉門次小屋10時:嘉門次小屋(発)⇒1055分:河童橋()

写真をクリックすると詳細写真がごらんになれます。
本沢橋 見ての通り沢山の人が登っているのがわかる 10月6日
11時30分
本谷橋
紅葉を求めて、10月の三連休に涸沢を目指す。(今回は上高地から徳沢、横尾までの写真は省略します。二週間前の槍ケ岳の写真をごらん下さい。)
当然のこととして、たくさんの登山者でごった返し、涸沢まで最後のトイレのある場所である横尾では女性のトイレ待ち30分ほどにもなる。
そして、横尾を出て1時間30分ほどで本谷橋の吊橋に出る。
ご覧の通り沢山の登山者が吊橋を渡り、河原で休息をとっている。
本沢橋を出てから涸沢までは屏風岩の右岸の下を「S」字の様に登って行く。
本沢橋を出た直後は急な登りが続くがあとは比較的なだらかな登りが続く。
そしてSの字の中央辺りまで登ると正面に涸沢ヒュッテとその奥に奥穂高が見えてくる。
涸沢ヒュッテの下に来ると展望が開け、色づき始めたナナカマドなどの木々が日差しを受けて輝いている。今年は10月6日時点では紅葉はかなり遅れていた。
涸沢下からの奥穂高岳と涸沢岳 涸沢下の小さな沢沿い展望 奥穂高岳と涸沢岳
涸沢カールはテント村ができた。 13時40分
涸沢テント場
涸沢のテント場に着くとそこにはテントを設営する適当な場所が見つからないほど一面にテント村ができていた。
涸沢ヒュッテは休日の東京の繁華街を思わせるような賑わいで、名物のオデンは売り切れて私たちは何とかコンニャクだけが手に入った。
そしてカレーも食べてみたがこのカレーはとても美味しいビーフカレーでお勧めである。涸沢ヒュッテはオデンだけでなくカレーも美味しい。
ところで今年の混雑具合であるが宿泊した登山者の話では「6畳に18人」だったという話を聞いた。
涸沢の朝は早く、4時にテントの外に出ると漆黒の涸沢カールの空には満天の星が輝き、北穂高の麓には涸沢小屋の明りがまるで未確認飛行物体(UFO)のように浮かんでいた。そして北穂高に向かう登山道には登山者のヘッドランプの明りが頂上に続いている。
そして、穂高の稜線を朝日が照らし始めるとモルゲンロートで山肌が染まり、カールの下に向かって光が降りてくる。
10月7日
涸沢の朝
モーゲンロートの涸沢から望む北穂高
涸沢カールのパノラマコース 涸沢カール
パノラマコース
6時にテント場を出てパノラマコースを登り始める。岩の積み重なった涸沢カールの底を涸沢カールの大展望を望みながら真っ直ぐ登り途中から右斜めに登ると涸沢小屋からのルートとの合流点に出る。そしてカールの中腹をを左斜めに登るとその突き当りがザイテングラードになる。ここの展望は他の山では経験できないものであり、楽しい登りが続く。
ザイテングラードは涸沢岳の下から真っ直ぐカールのそこに向かって伸びた岩の稜線で、この岩場が穂高の稜線までのルートになっている。
ところがこのザイテングラードはなかなかハードな場所で登りはじめてすぐに梯子やクサリ場がありそのあとも急な岩場が延々約1時間ほども続く。とても高度感もあるが涸沢カールの大展望が楽しめる登りである。
ザイテングラート ザイテングラードの登り
奥穂高への一番の難所 クサリ、梯子ほぼ垂直に30m以上登る 奥穂高岳への登りの取り付き
白出のコルからクサリ・梯子
穂高岳山荘は白出のコルの狭い場所に建っている。奥穂高へ登りの取り付きは最初から、ほぼ垂直な岩場である。最初ジグザグに急な岩場を中段まで攀じ登る。そして長い2連の梯子とその上にある斜め右上に移動するために張られたクサリ場が続く。とても高度感があり眼下に穂高岳山荘が見える。そしてクサリ場を過ぎて尾根までしばらく急な岩場を慎重に攀じ登ると後は比較的なだらかな奥穂高の稜線に出る。
クサリ場、梯子の急な岩場を登りきる広い岩礫の広い稜線に出る。右に笠ヶ岳を望みながら登ると背後の涸沢岳の脇に槍ヶ岳が見えてくる。そして高度が上がるにつれて槍ケ岳はだんだん大きくなってくる。そして途中から南の雲海の上に富士山が見える。そして稜線を登り切ると突然眼前にジャンダルムが現われる。
そして少し登ると我が国第3位の高峰「奥穂高岳」山頂である。
奥穂高の稜線 奥穂高の稜線 背後に槍ケ岳
奥穂高岳山頂 3190メートル 8時39分
奥穂高山頂
3190m
奥穂高の山頂には2mを超えるはケルンの上に小さな祠があり、その南側の少し下に方位盤が置かれている。
360度のパノラマで、南側の眼下には河童橋のある上高地が見える。そして南西には前穂高の尾根が長く伸びその先に南アルプスと富士山が見える。
そして南東には穂高のシンボル「ジャンダルム」が雲海を背景に聳えている。その上には数人の登山者がいる。北には北穂高の先に槍ケ岳が天を突く様に聳える。そのはるか彼方には白馬岳と鹿島槍の双耳峰。そして北西には黒部五郎岳に薬師岳など北アルプスがそこにある。
涸沢岳からの前穂高岳、奥穂高岳、ジャンダルムの展望
穂高山荘に戻り、山荘で奥穂高岳のバッジを買い、うどんを食べた。このウドンは量もたっぷりで関西風のとても美味しいうどんである。
穂高山荘は朝日とともに夕日が望める場所にあり、山荘の談話室の窓には反対側にある笠ヶ岳が見えていた。そして、今度は急なザレ地を30分ほど登ると涸沢岳(3110m)である。
涸沢岳の後ろは北穂高に向かう急な稜線で急な岩場にたくさんの登山者が取り突いている。そしてその先には大キレットと槍ヶ岳が見える。
涸沢岳からの北穂高岳、槍ケ岳の展望
穂高山荘と涸沢岳 穂高山荘から涸沢岳(3110m)を望む
ザイテングラードの下り 11時50分
ザイテングラードの下り
涸沢岳の展望を楽しんだ後、白出のコルに下り一気にザイテングラードの岩場を下る。
眼下に大きな涸沢カールをとカラフルなテント場を望みながらの下りは楽しい。しかし、急な岩場の下りは登りと下りの登山者で渋滞を起こしなかなか先に進まない。特に鎖場では長く待たされた。
ザイテングラードを過ぎてカールの岩場を下り今度は涸沢小屋を目指す。
登って来たパノラマコースとの分岐を直進してナナカマドが生えている場所を下ると突然展望が開けて沢山のカメラマンがいる場所に出た。涸沢小屋のすぐ上の場所であるが「2007年山と渓谷フォトカレンダー白籏史朗作品集 日本の名山」の10月の写真はここから取られた場所であった。
そして5分も下ると涸沢小屋であり、名物のソフトクリームとラーメンを食べてテント場に下り、3日目は天気が崩れるため急遽下に降りることとし、テントを撤収して2時45分に涸沢を後にし、急いで横尾についた時には5時ごろになっていた。牧草のテント場を求めてそして真っ暗な道を歩き、午後6時前に徳沢に着いた。
13時17分
涸沢小屋上の撮影ポイント
涸沢小屋上の撮影のポイント
嘉門次小屋のイワナは頭から尻尾までの全部食べられる。 10月8日
嘉門次小屋
3日目の朝は激しくテントを叩く雨音で目が覚めた。そして大雨の中、テントを撤収して7時に徳沢を後にした。そして明神の嘉門次小屋により、囲炉裏端に腰をすえて、名物のイワナがが焼けるのを待った。そして待つこと1時間、囲炉裏を囲んだ登山者と山の話をし、そしてたまたま隣に座ったヤマケイJOYの今秋号で「嘉門次小屋のイワナ」や「帝国ホテルのケーキ」、「ブンガク対決氷壁と剣岳点の記」を書いた女性記者と一緒になりその記事を読んで今日ここに来たという話で盛り上がった。なんと囲炉裏端で2時間もゆったりした時間を過ごし、岩魚のあまりの美味しさに感激して嘉門次小屋を後にした。ここのイワナは今まで経験したことのないものであった。
2007年10月6日〜8日撮影

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