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「至仏山」(2,228m)
日本百名山29
2004年7月17日18日 曇り雨

妻と二人のパーティー テント1泊用の装備

2004717日 (曇り一時雨) 

尾瀬戸倉スキー場駐車場(830分)→鳩待峠(915分)→オヤマ沢田代(1035分)→小至仏山(1140分)→(中間点で昼食)→至仏山(100分)→至仏山発(130分)→高天ヶ原(150分)→山ノ鼻(1600分)→山ノ鼻発(1610分)→牛首(1650分)→竜宮小屋(1730分)→見晴(1800分)

2004718(雨のち曇り)
見晴発(730分)→竜宮小屋(750分)→竜宮小屋発(800分)→土場(800分)→富士見峠(1030分)→富士見峠発(1100分)→富士見下(145分)     写真をクリックすると詳細写真がご覧になります。

540分に埼玉県北足立郡の自宅を出て東松山から関越道に乗り、沼田で降り830分に尾瀬戸倉スキー場に着く。駐車場は11000円で2日分2000円は少し高い。バス(900円)に乗り鳩待峠まで約25分。9時丁度に鳩待峠に着き915分に登山口(標高1591m)で登山カードを入れて至仏山に登り始める(4.5km)鳩待峠登山口

ブナやダテカンバの生い茂るなだらかながら見晴らしの利かない山道を30分も登ると幾分樹林が切れて視界が開けてくる。そこから尾瀬ヶ原とその先に雄大に聳える燧ケ岳(2356m)が見える。更に燧ケ岳の右前にアヤメ平がたおやかな稜線を見せている。昨年登った燧ケ岳を山座同定できるのは嬉しい。

そして山の南側を巻くように付けられた明るい山道の正面に突然きれいな三角錐をした笠ヶ岳(2057m)が見えてくる。その奥に武尊山(2158m)が見える。

登り始めて1時間(登山口から約3q)ほどでオヤマ沢田代に着く。ワタスゲが田代一面に白いワタゲを風に揺らしオヤマ沢田代ていた。ここから至仏山まで約1.5qである。オヤマ田代を抜けると悪沢岳・笠ヶ岳方面への分岐に出る。そこから少し登ると尾瀬ヶ原が正面に見える素晴らしい展望の場所があり多くの人が休憩している。その山側の斜面には多くの花々が美しく咲き乱れていた。そしてそれから少し登ると至仏山特有の蛇紋岩と呼ばれる滑り安い岩の崖がありカニの横ばいのように崖を横に横切る。とてもスリリングな場所である。そして、もう一登りすると小至仏山である。

山頂までは天候がよかったが山頂に至ったときには西側の「ならまた湖」方面から強い風が吹き気温もかなり下がってきた。山頂はとても狭く登山者で込み合い通過することすらやっとの状態であった。

 小至仏

小至仏山(2162m)を通過して至仏山に至るまでの間はさらにいくつか小さなピークを越えなくてはならず、もう頂上かと思うと裏切られてしまう。滑りやすい蛇紋岩の岩山を越え、最後に大きな岩場を登るとそこが広い至仏山の山頂である。私達は途中の岩場で風除けできる場所を見つけそこで昼食をとった。強い風の中大きな岩の陰で風をよけながらバーナーに火をつけるのはとても難しかったが、お湯を沸かしスープにコーヒーそしてご飯を食べた。この時の気温は15度で薄手のフリースにレインウエアーを重ね着した。

厚い雲に覆われて山頂からの視界は利かなかったが、中央に至仏山2228メートルと彫られた大きな御影石の石柱が立っている。一休みして尾瀬ヶ原に向って下山を始めと蛇紋岩の下山道が途中で木の階段になる。最初は階段の先が霧の中に消えて入っていたが、途中で霧が晴れると突然雄大な尾瀬ヶ原と燧ケ岳が現れた。燧ケ岳を背景に見晴から下田代、竜宮、中田代、下田代、山の鼻に木道が一直線に伸び、拠水林、輝く池塘など尾瀬ヶ原の木道を歩いていたのでは見ることのできない尾瀬ヶ原の全景を鳥瞰できる。ここが標高約2,000mの「高天ヶ原」である。高天ヶ原

この高天ヶ原から尾瀬ヶ原へと一直線に伸びる階段は標高約1400mの尾瀬に舞い降りる「天空の階段」である。以前はこの見晴らしのよさから踏み荒らされてかなり荒れたらしいが現在は木の階段の上のみを通ることができる。

ところが心地よいのもこのすぐ下まででその先には鎖場等がある急な下山道になる。標高差約828メートルの下山は真下にゴールの尾瀬ヶ原が見えているだけにきびしい。計算してみるとここの平均斜度は約20度ほどある。

これほどの急坂であるため私たちの後ろのパーティーのメンバーが階段から岩場に転げ落ちたり、転倒して2回転ほどして落ちる事故があった。とても危険な場所である。

森林限界の少し上辺りからは冠水した階段を下ることになった。

樹林帯に入って約20分ほどで尾瀬ヶ原の登山口に出る。そして数分で山の鼻のビジターセンターにつく。ところが植物園辺りに殆どニッコウキスゲが咲いていない。

山の鼻尾瀬ヶ原ビジターセンターで一休みして見晴に向って木道をひたすら東に約6キロにわたって歩くことになる。午後4時過ぎの尾瀬ヶ原はトップシーズンでも殆ど人はいない。その意味では静かな尾瀬の木道を歩きを楽しむことが出来た。

田代全体が黄色いニッコウキスゲで埋まるような観光パンフレットで見る光景はなく、見晴側の田代にポツ、ポツとしか咲いていない。遅霜の影響だとも裏年だとも言われている。

6時過ぎに見晴に着き、燧小屋でテント設営の手続を済ませて設営場に行くと既に30張りほどのテントが所狭しと張られていた。

雨の中でテントを設営しテントの中で夕食を済ませた。ところがこの雨は雷も鳴り響くかなり激しいもので、テントの周りはすぐに深い水溜りになった。しかし、私達のダンロップのテントは激しい雨にも耐え、グランドシートがボートのようになったにもかかわらず浸水や、雨漏はなかった。とはいえ、激しく天幕をたたく雨音になかなか寝付ず、また夜中に度々目を覚ました。

見晴野営場

朝になりカッコウの声で目が醒めたが、まだ雨は降り続いていた。雨の降り続く中テントを撤収してビジターセンターで軽く朝食を摂った。山小屋の辺りに出ると長蔵小屋のスタッフから「尾瀬沼の橋が流されて北岸は通れず、南ルートしかない。」、「さらに山の鼻への尾瀬ヶ原のルートも途中の木道が水没している。(この時点ではまだ通れるという話しであった)」という情報がもたらされた。私達は雨のため滑りやすい見晴らしから富士見峠ルートを断念して山の鼻、鳩待峠ルートを帰る為、竜宮に向って歩き始める。

竜宮小屋の前には中田代、山の鼻方面に向う登山者やハイカーが情報を求めて集まっていた。竜宮小屋のご主人が「途中で男性の腰ほどまで水没している場所がある。」という情報と迂回ルートとして「富士見峠まで約2時間半ほどかかる。」ことを説明している。

私達も山の鼻、鳩待峠ルートを断念して、竜宮から長沢新道を経由して富士見峠を目指す。

長沢新道

ところが富士見峠への長沢新道に入った途端、木道の上を水が川のように激しく流れている。

15分ほどぬかるんだ山道を登ると尾瀬ボランティアの男性が下りてきてこれからの登山ルートの注意点についてアドバイスしてくれた。「これから少しするとびっくりするような急坂が1時間ほど続き、そして木道などが出てきて所々に水没したり道が水が激しく流れているところがある。」、「アヤメ平の木道もところどころ水没しているが通過はできる。しかし、アヤメ平から鳩待峠へは下りで木道が滑りやすい。さらにそれから先が潅木帯で滑りやすく歩きにくいため富士見下に下りたほうがいい。」というアドバイスを受けた。

長沢の狭い木の橋を渡って少しすると急な坂に取り付く、これが話に聞いたとおりの急坂で途中で木の階段もあるかなりきつい登山道である。約1時間ほど登り、一段らくしたら木道が続くだらかな山道になる。そして30分ほどで突然、池塘のある田代に出た。ここが富士見峠とアヤメ平、鳩待峠に分かれ分岐点である。急斜面を登ってきた登山者にはオアシスの感がある。峠から数分下ると富士見小屋がある。ここからバス停のある富士見下までは車道を通常約1時間40分である。富士見峠

小屋でおでんにうどんで昼食を取り下山を始める。ところが妻が膝を痛めて歩くのが困難になったため私が彼女のザックを持って約7.5キロほど歩くことになる。追い越していく人たちから多くの励ましとアドバイスを頂いた。あるパーティーには整骨師の先生がおられたらしく妻の膝を診てくれた。ありがたいことである。山登りをする人にとって膝痛は避けては通れないもので他人事ではないのであろう。

そして通常のコースタイムより遅れること1時間、約2時間45分かって富士見下のバス停に着き、210分の路線バスにすし詰めになりながら戸倉スキー場の駐車場に帰ってきた。

2004年7月17日18日撮影

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