庚申山
(1901m)
お山巡りコース経由
2009年11月23日(晴れ)
私達夫婦2名のパーティー
晩秋の庚申山に急遽登ることになり、足尾の銀山平から庚申山に登った。一番の課題は庚申山の歴史的なコースである「お山巡りコース」を登りに使かうべきか、下りに使うべきかであった。登りに使うと2時間ほど時間がかかるとともにコースに関する情報があまりに少ないからであった。猿田彦神社跡に登るまで決めかねていたが歴史的コースを登ることにした。お山巡りコースは庚申山の岩壁の下の急峻な岩場を巻く様に道が付けら、沢山の鎖場や梯子、吊橋などが付けられ、南総里見八犬伝の化け猫退治の舞台ともなり、奇岩が林立する歴史的な名勝であった。しかし、このコースのポイントとなる岩場などに説明のプレートが殆ど無いのは残念である。山頂は展望がなかったが、晩秋の葉の落ちた登山道はとても明るく、庚申山の奇岩のルートを堪能できた楽しい登りであった。しかし、登りに5時間ほどもかかり侮れない登山である。 |
【ルートタイム】 7時36分:銀山平駐車場⇒8時37分:一の鳥居⇒9時24分:鏡岩(孝子別れの処)⇒9時38分:夫婦蛙岩⇒9時51分:仁王門⇒10時05分:猿太彦神社跡(数分休憩)⇒10時25分:お山巡りのコースの稜線⇒10時48分:お山巡り取り付き(ガマ石、亀岩)⇒9時13分:室堂(着)⇒11時21分:馬の背・鬼の耳すり⇒11時27分⇒天の浮橋⇒11時28分:庚申洞窟⇒10時18分:めがね岩⇒11時43分:親シラズ子シラズ?⇒11時55分:胎内くぐり⇒11時58分:岩戸庚申⇒11時50分:⇒12時20分:関東ふれあいの道と合流⇒13時35分:大胎内⇒庚申山山頂⇒下山開始⇒13時37分:お山巡りとの分岐(一ノ門)⇒13時50分:初の門⇒14時03分:裏見の滝⇒14時20分:庚申山荘(5分休憩)⇒14時30分:猿太彦神社跡⇒15時20分:庚申七滝⇒15時22分:一の鳥居⇒16時25分:銀山平駐車場 |
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7時37分 | 銀山平駐車場 国民宿舎かじか莊の先にある。 ここのはトイレと水場は無く下のキャンプ場を使わせてもらう。 |
天狗の投石(なげいし) 雑木林の中に突然大きな岩がゴロゴロと積み重なっている。 詳細写真(1) |
8時22分 | ![]() |
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8時37分 | 一の鳥居 林道はここまで続いている。約1時間。 鳥居の左奥100m程の場所が庚申七滝。 |
鏡岩(孝子別れの処) 猟師の父親がサルに助けられた代わりに末娘が猿に嫁ぎ父親と別れたという悲しい話の伝わる場所。 詳細写真(2) |
9時24分 | ![]() |
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9時38分 | 夫婦蛙岩 蛙が2匹重っているように見える。 下から見ると2匹にチャンと目が付いている。 |
仁王門 庚申山の守護神と書かれている。 |
9時51分 | ![]() |
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10時05分 | 猿太彦神社跡 昭和21年の火災により焼失したとされる。 江戸時代の庚申信仰の中心地である。 最終丁石「百十四丁目」で丁石の寄進者は江戸時代の浅草田町の日本舞踊の花柳流創始者である花柳寿輔である。文久三亥年四月 (1863年) |
猿太彦神社跡を出て「お山巡りコース」の稜線への急な登り。 一気に標高差200m程い登り稜線にでる。 詳細写真(3) |
10時18分 | ![]() |
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10時48分 | ガマ岩 ここからお山巡りコースの核心部分。 詳細写真(4) お山巡りコースは猿太彦神社跡にあるコース案内板以外には地図らしい資料はほとんど無い。 またポイントとなる場所もこのコースで「めがね岩」と「大胎内」以外には無い。 従って、コース案内の写真を撮って、カメラで拡大して確認しながら歩き同定する以外に方法はなく、このサイトにある名称も正確ではない。これだけの歴史コースでありせめて案内板にある場所にはプレート掲示してもらいたいものである。 |
吊橋 ガマ岩の下の峡谷の上に架かるつり橋。 とても深い谷に架かっている。 |
10時57分 | ![]() |
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11時06分 | 鉄製の梯子を下る。この先で道に迷う。 晩秋のこのコースの登山は落ち葉や積雪のため踏み跡が分かりづらくルートファンディングに苦労する。また沢山のバリエーションコースもあり、危険なコースにうかつに迷い込まないことも重要である。 詳細写真(5) |
馬の背 馬の背は両脇が切れ落ちたナイフリッジであるが、鎖が付けられており特に危険は無い。 とても展望がよくこの、馬の背の先がこのコースの中でよく知られる「鬼の耳すり」。 |
11時22分 | ![]() |
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11時30分 | めがね岩(ニの門) めがね岩は穴は二つではなく、その下に2つほどある。 詳細写真(6) |
化け猫に似た岩 この辺りが滝沢馬琴の南総里見八犬伝で犬養現八が化け山猫を退治した舞台となった場所。南総里見八犬伝は、江戸時代後期に曲亭馬琴(滝沢馬琴)によって著された読本。文化11年(1814年)に刊行が開始され、28年をかけて天保13年(1842年)に完結した、全98巻、106冊の大作である。上田秋生の雨月物語と並ぶ日本の長編伝奇小説の古典の一つである。【庚申山の場】は『八犬伝』第6輯第60回から第7輯第66回にかけて登場する。この辺りもコウシンソウの自生地でもある。 |
11時46分 | ![]() |
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11時55分 | 胎内岩 笹の道は雪が積もっている。 詳細写真(7) 八犬伝では庚申山の奥の院胎内賽において、犬飼現八は赤岩一角に化けた妖怪(化け猫)主従に行き会い、半弓にて馬にのる妖怪の左目を射抜いたとある。 |
庚申山荘から登ってくる「関東ふれあいの道」と合流 | 12時3分 | ![]() |
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12時05分 | 大胎内 ここから山頂までは約35分から40分程であるが庚申山の崖をほぼ垂直な険しい登りが続く。 この日は雪が積もっており滑り易かった。 詳細写真(8) |
庚申山山頂 脇に立つ木には1901mと書かれている。 地図には1892mと書かれているが。 |
12時42分 | ![]() |
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13時37分 | 一ノ門 大胎内の下はお山巡りコースと庚申山荘への分岐。 左に下ると「お山巡りコース」を経て猿太彦神社跡へ。 右に下ると関東ふれあいの道で庚申山荘へ下る。 「お山巡りコース」は下山時に使うような案内になっている。 |
倒木を利用した階段 鉄の階段を下るとこの登山の名物である倒木を利用した階段。 詳細写真(9) |
13時43分 | ![]() |
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13時43分 | 初の門 これを下ると自然石が大きな岩に門を作っている。その門を潜ってからこの割れ目を登ることになる。 |
裏見の滝 水は細いが見上げるとその圧倒的な迫力に押しつぶされそうになる。 詳細写真(10) |
14時04分 | ![]() |
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14時20分 | 庚申山荘 背後に庚申山が聳えて見えるすららしいロケーションに建ている。 |
仁王門 | 14時42分 | ![]() |
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15時19分 | 庚申七滝 江戸須田町の庚申講者であった丹後安右衛門(松翁行者)が七滝を江戸に広めたといわれる。安右衛門は3000人の講員を集め中居の庚申山入り口に石碑を建てたほど信心深い人物であった。庚申山への参詣の途中講員たちはここでミゾギをして登っていったという。 |
一の鳥居 |
15時22分 | ![]() |
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16時25分 | 銀山平駐車場 朝出発してから約9時間ほどで帰ってきた。 |
【南総里見八犬伝・庚申山の場のあらすじ】(登山のあと里見八犬伝を読み要約してみました。) 犬飼現八は下野国(栃木県と群馬県桐生辺りを含む)の茶屋で休んでいる時、茶屋の親父から庚申山に怪猫がいて人を襲うと聞く。さらに武芸に秀でた下野赤岩の郷士赤岩一角が怪猫を退治に庚申山に出かけて無事であったが、帰って来たら人が変わってしまい、長男の角太郎を虐待するようになる。 一角の美人の妻は偽一角とは知らず夜毎夜毎枕を重ね牙次郎を生んだあと死に、後妾も次々に死んだ。(妻や妾が次々と死んだのは偽一角により精気を吸い取られて死んだのだった。)しかし、武蔵から流れてきた淫婦船虫だけは平然としており、後妻に収まった。そして角太郎は一角、船虫により叔父である犬村家に養子に出され、角太郎は文武を極め、養家の娘雛衣(ひなぎぬ)と結婚した。そして直ぐに養父母は亡くなってしまったという。 茶屋を出た現八は奇岩が立ち並ぶ庚申山に迷い込んでしまい、胎内の岩窟で寝ていると蛍火の様な小さな火が現れた。それは庚申山で数百年生きた子牛ほどの大きさの化け猫で両目がひかり、血塗られた口は左右の耳まで裂けて白い牙が生えている。そして樹齢数千年にもなる老木の精を馬としてそれに乗り山の神、土地の神を従えて現れた。現八は岩陰から茶屋で買った半弓を使って騎乗の化け猫の片目に射る。追手を避けるためその場を去り大胎内辺り(?)にくると現八の前に赤岩一角の亡霊が現われ、17年前の冬化け猫退治に来たが化け猫に食い殺されてしまい、今赤岩一角の姿で里にいるのは、この庚申山の怪猫が化けているのだと告げる。一角の亡霊は自分の髑髏を差し出し、故事にならい、親子であれば子の血が凝り固まるはずだから、偽一角を信じている角太郎に渡して自分が死んでいることを伝えてほしいという。 妖怪と船虫は角太郎の養家の財産を狙って、角太郎夫婦を家に戻すが、角太郎が大事にしていた礼の玉を雛衣が誤って飲み込んだことにより養父母死後三年夫婦の臥所を共にしていないのに懐妊してしまう。船虫は偽一角と不義を働いたとして角太郎に離縁状を書かせ雛衣を追い出す。続いて角太郎も赤岩家を追い出してしまい犬村家の田畑、財産を横領する。 現八の矢により片目を患った偽一角は、医者から治すために胎児の生胆が必要だと知り胎児の生き胆を求める。 角太郎は赤岩家を出されて出家しようとしたが里人が哀れんで小さな小屋を建ててくれ日々無言の行を繰り返しながら暮らしていた。 偽一角は夫婦となっていた悪女船虫と共に、角太郎の妻雛衣の腹が大きい事に目をつけ、親への孝行だと、礼を重んじる角太郎を責めて雛衣の命をとろうとする。 偽一角と船虫は離縁されたあと川に飛び込んで死のうとしていた雛衣を助けて、角太郎と雛衣を元の夫婦に戻しその酒宴で親に対する忠孝のために雛衣の胎内の子を差し出せと迫る。船虫、牙次郎に「早く早く」と責められた雛衣は自ら腹を刀で差すと、以前に誤って飲み込んだ「礼」の玉が飛び出して偽一角を打ち倒す。雛衣は不義密通の疑いが晴れ夫角太郎の役に立てたとして安らかに息を引き取る。 角太郎は現八に偽一角の首をはねろと迫られるが父の姿をした一角は討てないと躊躇する。そこで現八は亡一角の髑髏を示し角太郎は自分の血を髑髏にたらし、血が固まりそれが父の遺骨であることを知る。偽一角の正体を知った角太郎は、意識を取り戻して化け猫の姿になった偽一角を現八の助けを得ながら怪猫を退治し、仇討ちをする。そのあと角太郎は犬村大角礼儀(いぬむらだいかくまさのり)と名を改める。 *赤岩という地名は無いが足尾の奥に旧精錬所のあった場所に赤倉という地名はある。 |
【アクセス】 宇都宮自動車道清滝ICから国道122号線遠下まで約20km 国道122号線遠下から銀山平まで約5.4km 【駐車場】 国民宿舎かじか莊の先に登山者専用駐車場がある。30から40台ほど駐車可。 【水場】 駐車場にはなく手前のあるキャンプ場で借用する。 庚申山荘の少し上に2ヶ所ほど水場がある。 【小屋】 庚申山荘 【温泉】 国民宿舎ほか庚申の湯がある。 【その他】 草木湖畔に富弘美術館 富弘美術館の隣の草木ドライブインのくるみ饅頭とヨモギ餅はとても美味しい。 |