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飯豊山 
 (3日目:)     
2013年10月13日(強風雪のち晴れ)
私達夫婦と息子の3名のパーティー

【ルートタイム】
8時30分:本山小屋(発)⇒8時51分:飯豊山山頂⇒9時08分:本山小屋(着)⇒9時17分:本山小屋(発)⇒9時43分:御前坂下⇒9時55分:御秘所⇒10時07分:姥権権(着):遭難者救助活動⇒12時35分:姥権権(発)⇒12時48分:草履塚⇒13時17分:切合小屋(着)⇒(昼食)⇒14時00分:切合小屋(発)⇒14時23分:水場(10分)⇒16時04分:梯子⇒16時25分:三国小屋
6時42分
飯豊山神社は建物の中。
8時47分
本山小屋から飯豊山山頂まで20分ほどの場所である。
強風と雪の為目も開けられない。
8時53分
山頂はカメラのレンズも凍りついてしまった。
猪熊隆之さんのヤマテンの飯豊山山頂の天気予報サービスは雪、気温-2度、風速23m。驚くべき精度でした。
ただ体感温度は−2度どころではありません。
 9時17分
小屋の下にあるトイレ。この前から下山を開始する。
9時21分
強風の本山小屋から下山を開始する。
9時26分
御前坂の上部は雪が深かった。
9時30分
しかし御前坂の下部に来ると雪もなく、視界が開ける。風は強い。
9時45分
御前坂の標柱
9時52分
正面のピークが草履塚
その手前の岩場が御秘所
9時54分
御秘所への登り
9時56分
御秘所の下り。
9時57分
御秘所には鎖がついている。
9時57分
右奥が姥権現
9時58分
正面のピークが草履塚
鞍部が姥権現

10時07分
姥権現
ここで先行していた下の写真の3人の登山者と合流。
救護を開始する。
11時13分
昨日大クラ尾根を登ってきて飯豊山山頂でビバーグしていた男性を保護。体力回復したとして発見者の二人が付き添い下山したが、体力の消耗が激しくついにここで歩けなくなった。
ザックで風除けを作りツェルトとエマージェンシーシートで保温。熱いホットミルクを作り、水筒を湯タンポにして身体さすり暖める。
11時52分
ヘリを呼んでから2時間後やっとヘリの音がしてきた。要救護者を窪地から外に出した。
 11時56分
ヘリに向かってツュエルトを振る。
11時56分
福島県警のヘリ「ばんだい」が上空に来てくれた。
12時08分
ヘリからレンジャーの若い警察官が降りてきた。
12時13分
そしてついにホイスト(吊り上げ)。
12時44分
草履塚に登る。
12時44分
振り返れば御秘所と飯豊山への稜線。
12時48分
草鞋塚

切合小屋へ1q
飯豊山神社へ2.1q
このピークで救護活動に参加した男性2人と我が家の合計5名で写真を撮った。
12時52分
飯豊山から御西岳への稜線
12時53分
左下に切合小屋が見える。
13時03分
切合小屋への下り。
13時17分
日差しが出てきて紅葉が輝きだした。
13時15分
ナナカマドの先に切合小屋
13時45分
第一発見者で、救護の中心となり活動した二人が一足先に下山を開始した。
私達はここにデポした食料等を回収し食事をして三国小屋に向かう。
14時21分
切合小屋を後にする。
14時22分
種蒔き山分岐から少し入った沢の水場を切合小屋から見る。
14時23分
この標柱が種蒔き山別れ。左に折れると地蔵岳。
ここで水場に下りて水を汲んでくる。

ここに戻り出発したのは14時42分
14時47分
草月の登山道をアップダウンを繰り返しながら三国小屋に向かう。
14時57分
飯豊山までの雄大な稜線
下に切合避難小屋が見えている。
15時00分
三国小屋への稜線
右下に三国賓何小屋が見える。
背後が会津の盆地
15時04分
稜線下の岩場に日が当たり紅葉が輝いた。
15時10分
岩場が現れる。
 15時27分
日が当たるとダケカンバも美しい。
15時43分
三国小屋までの稜線が一望できる。
15時47分
登山道にはこのような岩場が何か所かある。
 16時00分
三国小屋への稜線
 16時07分
ルートの中で唯一の梯子。3連になっている。
 16時19分
三国小屋への最後の登り。
 16時25分
三国避難小屋到着
【平成25年10月13日、遭難者救助に関する報告】
11日夜から吹雪になった。その日、ダイグラ尾根を登り飯豊山頂から小屋に到達出来ずハイ松下にビバーグしていた登山者が翌12日朝、二人の登山者に救出され、小屋で介抱されていた。第一発見者の1人I氏は弥平四郎の登山口ので一緒になった方で山頂で逢おうと約束していた男性だった。
彼らの携帯が警察と繋がらないため私の携帯を提供して喜多方警察署とやり取りを行う。この時点で警察は翌朝天候の回復次第、ヘリによる救出を検討したが、要救助者の意向によりヘリによる救助は中止。
翌朝(13日)体力を回復したため7時22分、第一発見者の2人と下山を開始。がすぐに足取りがおぼつかなくなり1時間しかかからない姥権現まで3時間もかかりついに動けなくなる。
二人の話によるとこの御秘所と呼ばれる難所の岩場を下らせる時が一番のクライマックスだったという。二人は遭難者のザックを背負ってここまでたどり着いた。
私達は強風雪の山頂に登頂したのちに下山し途中で彼らと遭遇。
有効な通信手段を持たない彼らにとって我家の到着は神様仏様に見えたと言っていた。
10時23分、110番し救助を依頼。電波は山形県警が拾ってくれたが、稜線は福島県であるため福島県警にヘリでの救出を依頼。
ただ、私のスマホのGPSがONになっておらず、警察で位置確認ができず、スマホの設定を変えて、2回目の110番で私達の位置をとってもらう。
遭難者の意識のある時には本人の意思確認が必要。自分の足で下山したいという本人の意志も強かったが救出を了解する。
そして救助依頼をして2時間。遭難者の周りをザックで風よけを作り、ツェルト、エマージェンシーシートを使い保温。濡れた手袋代わりに乾いた靴下を手袋をにして手の保温、手足をマッサージ。温かいホットミルクと水筒にお湯を入れて湯タンポにして暖を取りヘリの到着を待つ。
ツェルトは風は除けるが保温はできない。エマージェンシーシートは有用であった。妻が今回から初めて使用したSOL(ソル) ヒートシートサバイバルブランケットが効果を発揮した。
通りかかる登山者にお願いして山小屋への連絡してあったのが正確に伝わり、山小屋からも管理人さんと山男たちが背負子を持って降りてきてくれた。(ヘリが来れない場合には背負う覚悟だった)。
ヘリが現れた時にはとてもうれしかった。救助を待つ者の喜びである。
ただ、ヘリが上空に到着して一旦その場を離れた時には・・見捨てられたような気持だった。しかし体制を立て直して強風の稜線に帰ってきてくれた。
ヘリが確認してくれたら下にいる者は、岩陰に隠れて自らの安全を確認する必要がある。
そして、レンジャーの若い警官が降りてきて、外したケーブルが強風で流される緊迫した場面もあったが・・2時間後の12時13分やっとホイストしてもらった。
強風吹きさらす稜線で緊張の二時間だった。
なにより救助された方は病院に運ばれ無事である事が翌日下山後の新聞で確認できた。本当によかった。

ここで一緒になった茨城から来たIさん、仙台のKさん、そして我家の3名は即席の救助チームであったが心地よい連帯感、チームワーク、信頼感のある素晴らしいチームでした。ヘリにホイストされた後、草履塚で記念写真を撮り、切合小屋で彼らの食料を分けてもらって別れた。二人はその日のうちに無事下山したようである。

写真は第一発見者の仙台の男性K氏が送ってきてくれたもの。ヘリが来た時の様子がよく現れている。 

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2013年10月13日撮影 

HOMER’S玉手箱 麹町ウぉーカー(麹町遊歩人) 会津見て歩記 甲府勤番風流日誌 伊奈町見聞記 鹿児島県南さつま市坊津町 Good Journey(よい旅を!)