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ゴールデンウィークが終わったと思ったら、もう今日は母の日です。「日頃の母の苦労を労り、母の恩に感謝する日」だそうです。お父さんにとっては、休む間もなく次々とイベントめいた日がやってくるような気がしますね。ちょっと母の日の簡単なウンチクを。

『1907(明治40)年、アメリカ・ウェストバージニア州で教師をしていたアンナ・ジャービスが、母親の3回忌にあたる5月8日に、友人たちに「母の日」を作って国中で祝うことを提案しました。翌1908(明治41)年の5月10日、彼女が勤めていた学校に470人の生徒と母親達が集まり、最初の「母の日」を祝いました。彼女は参加者全員に、彼女の母親が好きだった赤いカーネーションを手渡しました。このことから、赤いカーネーションが母の日のシンボルとなりました。1914(大正3)年に、「母の日」はアメリカの祝日になり、5月の第2日曜日と定められました。

日本では、戦前は皇后の誕生日である3月6日(地久節)に行われていましたが、1949(昭和24)年ごろからアメリカの例に倣って5月の第2日曜日に行われるようになりました。』

 

さて先月4月末に、久々に麹町を訪れました。市ヶ谷から日テレ通りを歩き「かど屋」でカレー蕎麦を昼食に食べたせいなのか、初夏の陽気のせいか汗が止まりませんでした。日テレのビルの周りは妙に静かになりましたね。もう、完全に移転したのでしょうか?

半年前と随分様子が違うのでちょっと寂しく感じました。

でも麹町には、まだまだ話題が一杯です。武家屋敷が集まっていたせいもあり調べていくうちに、話題は全国各地に飛び火していきます。今回のH氏のレポートも愛知県犬山城まで展開していきますよ。

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麹町ウぉーカー63号「スクワール麹町」のメルマガで『もともとこの場所には麹町消防署があり、江戸時代は尾張徳川家付家老で犬山城主「成瀬隼人正」の屋敷があった。付家老とは江戸幕府がその親藩たる三家三卿を政治上監督するために、それらに対して特に設置した直接任命の家老職である。従って家老とはいっても35000石の大名である。』と紹介した。江戸時代の代表的な絵図である麹町六丁目金鱗堂尾張屋清七の「東都番町大絵図」安政5年版を見ても、四ッ谷見附のこの場所には「成瀬隼人正」と記されてある。五番町の千代田区町名由来板

さらに千代田区五番町のヤマギワ五番町ショールームだった場所(2004年5月14日閉鎖になった)の前にある五番町町会の作った「千代田区町名由来板」には、現在と安政三年(1856年)の地図があり、四ッ谷駅前の「スクワール麹町」一帯は「犬山藩(愛知)成瀬隼人正正佳 3万5千石 尾張殿藩付家老3800坪3合8勺」と書かれている。その敷地は「スクワール麹町」から心法寺脇の路地までと、双葉学園幼稚園の前の路地までの広大な敷地であった。

63号を配信した後、スクワール麹町2階で行われた飲み会の席で、ここが「犬山城主成瀬隼人正」の屋敷跡であるという話しになり、その際、いつも麹町ウぉーカーを最初に読んでいるという事を自負しておられる「埼玉のよっちゃん」というハンドルで書き込みをして頂いているY氏より、「犬山城が日本で唯一個人所有の城であり、不動産登記の地目は「城」となっていている。」という話しを聞いた。そんな矢先の2004年1月9日の新聞で犬山城に関する新聞記事が目に止まった。

『国の国宝では唯一、個人が主有する犬山城の所有権が、城を管理する同市と12代城主成瀬正俊さん側との協議の結果、今春新たに発足する財団法人に移管されることになった。さらに同市総務部に寄れば県の許可が得られれば「犬山城白帝文庫(仮称)」を設立する。成瀬家は天守閣と土地のほか約6,500点の古文書や工芸品、刀剣を寄付する。運営資金には市が入場収入から借り上げ料として毎年成瀬家に支払っていた千数百万円をあてる方針・・・』

犬山城は、天文6年(1537年)現在の位置に天守が造営され、織田信長の叔父にあたる織田与次郎信康が城主になった。文禄4年(1595年)石川光吉、慶長5年(1600年)関が原の合戦の後、小笠原吉次が入城し現在の犬山城がほぼ完成する。その後、元和3年(1617年)に成瀬正成が城主になり、唐破風が一部増築され現在の城となり、以後徳川時代の間九代にわたり成瀬家の居城となったのである。

この犬山城の別名の「白帝城」という名は、江戸時代の儒学者荻生徂徠により唐の李白の「朝に辞す白帝彩雲の間 千里の江陵一日して還る 両岸の猿声啼きやまざるに 軽舟すでに過ぐ万重の山」という詩からとって命名されたといわれる。

明治の廃藩置県で、廃城になったが、明治24年の濃尾地震で天守の一部や櫓、城門などがこわれ、明治28年に城を修理するという条件で旧犬山藩主成瀬正肥に譲られた。したがって、現在日本で唯一の個人所有の城になっている。昭和10年に国宝に指定、昭和27年に再指定されている。

(他に国宝に指定されている城は姫路城、彦根城、松本城の三城のみで、4つの国宝の内で最も築城が古い城である。)

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同じようなお城の買い戻し話は会津にもあり、現在会津鶴ヶ城は会津若松市の所有となっているが、これは会津藩士の七十七銀行の初代頭取遠藤敬止が私財を投じて跡地を競売で落札し、旧藩主松平家に献納し、松平家がこれを若松市に売却したというのが定説である。(会津見て歩記

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成瀬正成は天正十八年の徳川家康公の関東移封に伴い下総葛飾郡栗原郷(現在の船橋市西部・京成西船橋駅辺り)に四千石を与えられている。

関が原合戦では、根来衆を率い使番をつとめ、戦後は堺奉行となる。家康の側近で、本多正純らとともに政務中枢に参画するが、家康九子義直の付家老となり、元和三年(1617)義直より尾張犬山城三万五千石を賜った。しかし、あくまで尾張藩の付家老という立場で幕府直参の大名ではなかった。しかし幕末なり、同じ付家老の立場にあった紀州藩の安藤家や水戸藩の中山家などとともに独立大名への猛烈な運動を展開し、慶応四年(1868年)四月、成瀬家は諸侯に列し、二百五十年にわたる悲願を達成したという。

 

この成瀬正成には武士道に関する有名な逸話がある。

それは全国統一の覇業を押し進める豊臣秀吉が、大坂城で徳川家臣団の馬揃えを検分したとき、成瀬正成の堂々たる武者ぶりが秀吉の目にとまった。秀吉は家康に、「あのものは誰か、いくら与えている。」と訊ね、家康が「2000石を与えています。」と言うと、秀吉は「俺なら五万石をあたえる。」といったという。それを後日、家康が正成に「実は秀吉公から五万石の俸禄で召し抱えたい。と言う話があったがどうする。」と話した。この話を家康から聞かされた正成は涙を流して恨み事を述べ「ぜひにもといわれるならば、切腹仕る」と開きなおり、結局このことは沙汰止みとなる。このことが、家康の正成に対する信頼は以前にも増して、いよいよ深くなったという。

 

この成瀬正成と豊臣秀吉、徳川家康との逸話は武士道の鑑となる有名な事例として「2時間で分かる図解 武士道のことが面白いほどわかる本」東京大学史料編纂所教授・文学博士 山本博文 樺経出版などに紹介されている。

この山本先生の本は、江戸時代の武士道から武士の生活まで平易に書かれている。小説家が独自の歴史感に基づいて歴史を紐解くのとは異なるが、研究者が一次的資料にあたりそこから歴史を探求するというアプローチ、裏付けがしっかりしていて事実の重さと面白さがある。ここにある東京大学史料編纂所は、麹町ウぉーカー31号で塙保己一の「和学講談所」の偉業を引き継いだものであることも紹介している。

 

ところでこの樺経出版(千代田区麹町3−2相互麹町第一ビル)は善国寺坂うえの麹町4丁目交差点角にある教養書・ビジネス書・生活実用書・学習参考書等を出版する会社で麹町交差点を通るとき必ず目にしている。

今話題の「あらすじで読む日本の名著」等はここから出版されている。この会社の壁の広告はその時々に話題となっている一冊の本であることは間違いない。

 

最後に、犬山城を「白帝城」と名づけた儒学者荻生徂徠は第5代将軍徳川綱吉の側用人として使えた柳沢吉保のブレーンであった。赤穂浪士の討ち入りのとき彼に切腹させるべきであると進言した人物でもある。荻生徂徠は柳沢吉保が甲斐国の領主となったとき、代わりに領内を視察したときの報告書として「峡中紀行」、「風流使者記」を著している。

麹町ウぉーカーの兄弟サイト「甲府勤番風流日誌」は麹町ウぉーカー(H)が甲府支店勤務のとき江戸時代であれば「甲府勤番」であるから、それに荻生徂徠の「風流使者記」を借用して「甲府勤番風流日誌」としたものであることを紹介して終えることにする。

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麹町から愛知県犬山へ話題は飛びましたが、又無事に麹町に戻ってきたようです。

国宝犬山城のHPです

http://www.inuyama.gr.jp/miru/kokuhouinuyamajyo.html

 

冒頭に「母の日」のことを取り上げましたが、今日はアイスクリームの日でもあるのです。

日本アイスクリーム協会が1965(昭和40)年に制定した日です。

1869(明治2)年、町田房蔵が横浜の馬車道通りに開いた「氷水屋」で、日本初のアイスクリーム「あいすくりん」を製造・販売されました。1人前の値段は2分、現在のお金で約8000円と大変高価な物だったそうです。

日本アイスクリーム協会のHPです。

http://www.icecream.or.jp/

 

4月16日で終了したH氏のHPでの桜の画像ですが、北海道は今が桜満開ですよ。H氏の撮った画像と見比べています

http://homer.pro.tok2.com/

 

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http://www.mag2.com/m/0000073086.htm

(大

平成16年5月9日配信


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