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北アルプス最奥地
遥かなる山旅
(2日目:
まさかの雨のち晴れ)
新穂高→ 雲の平、高天ヶ原、→水晶岳、鷲羽岳、→三俣蓮華岳、双六岳 →新穂高
2008.8.23〜27日
妻とニ人のパーティー(双六山荘停滞、高天原山荘を除きテント泊)

2日目(8月24日 日曜日)双六小屋停滞→やむなく双六岳ピストン(登り1時間10分 下り50分程)
9時55分 双六山荘の水場の裏から双六岳と三俣蓮華岳、黒部五郎岳、鷲羽岳方面への登山口になる。
水はとても豊富である。
登山口から15分ほどハイマツ帯を登ると三俣山荘方面に向かう巻き道との分岐に出る。
ここから三俣分岐まで約1時間30分かかる。
10時14分
10時18分 巻き道との分岐から3分ほど登ると今度は三俣蓮華岳への中道との分岐に出る。
ここから双六岳と三俣蓮華岳との稜線まで約1時間、その合流点から三俣蓮華岳間で約40分かかる。
なだらかな山と思われる双六岳も一部急な岩場がある。これを登りきるとなだらかな稜線に出る。 10時28分
10時51分 岩場を登りきるとこのようにななだらかでとても広い稜線にである。
晴れていたら背後に槍ヶ岳、右手に鷲羽岳、水晶岳、左側に笠ヶ岳が望める。
双六岳山頂(2860m)はとても広々としている。 11時5分
11時10分 山頂で突然オコジョが現れ、私達の周りの砂礫や岩の上、そしてハイマツの上をじゃれる様に飛んだり撥ねたりした。それも約10分ほども・・・宙返りまで見せてくれた。  驚き!!
臆病なオコジョのあまりのパフォーマンスに驚き楽しい時間を過ごした。
停滞のための時間つぶしのために登った展望の利かない双六岳の山頂が私達にとって忘れられない場所になった。
雲の切れ間から(左)水晶岳(2978m)(右)鷲羽岳(2924m)とが見えてきた。 11時16分
12時14分 双六小屋は双六岳と樅沢岳(2755m)との間の鞍部にある。
右側の建物は富山大学の診療所(お医者さんが居られる時には医師在中とかいているが、お出かけの時には「一時不在にしています・ちょっと・・・双六に登っています。」などと書いている。
双六小屋から正面には鷲ヶ岳(2924m) 14時27分
8月23日(土)夜7時に双六小屋にテレビの天気予報を元に張り出された翌日(24日)の天気予報は降水確率80%で雷を伴う雨で、このように雨がちの天気は今週いっぱい続くとのことであった。

多くの宿泊者がこの予報を元にこれ以上の登山計画の続行をあきらめて朝早くから下山して行った。
私達は8月23日夜の強風と大雨でテントやザックなどが濡れてしまったことと日程にゆとりがあったため小屋に1日停滞をを決め早々と宿泊の手続きをとった。登山者が少なくなった乾燥室をお借りして、ザックからテントなど全ての物を完全に乾燥させ、計画続行の準備をした。(双六小屋の乾燥室は利用時間も長くとても強力な乾燥室である。)
ところがこの天気予報見事にはずれ昼前には陽射しが出てくる状態で、我々もテントなどが濡れていなければ最初の計画通りに黒部五郎岳に向かいたいほどであった。(それにしてもこの週の天気はことごとく外れた・・・)
しかし、我々は早々に山小屋にチェックインして装備を乾燥させたため休養日と決め込み、黒部五郎岳登山をあきらめて、双六小屋から雲の平を経て高天原山荘を目指すことにした。
そこで時間が空いたため、双六小屋の裏山に当たる双六岳を登ってみた。双六岳も素晴らしさは3日後帰りの行程で実感することになった。
停滞もなかなかいいもので、同じ境遇にある登山者といろんな話をして情報を得ることができた。特に山のベテランである「神奈川の爺」の話はゆかいであった。前日(23日)暴風雨の中の水晶小屋から岩苔乗越を経て三俣山荘に下り、今朝双六小屋にやってきていた。
それにしても67歳とお伺いしたが今度若い女性を槍から穂高までキレットを越えて縦走させるために下準備として以前と変わったところはないか一度登ってみているとのこと。
経験豊富でパワフルなご老人の話は我々の技術の限界を認識させられる機会にもなった。特にキレット縦走やジャンダルム縦走上の危険箇所は登山技術的に高度な場所というより高度感から来る恐怖心の克服が重要である・・など有益であった。
*停滞:天候の悪化などで行動できず、テントや山小屋で待機すること。「沈殿」あるいは「チン」ともいう。
1日目へ 3日目雲の平、高天原へ
2008年8月24日撮影

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