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=======麹町ウぉーカー(麹町遊歩人)No.89==========

東京地方に「大雪に関する気象情報」が昨日15日より出されています。このメルマガが配信される頃、麹町に積雪はあったのでしょうか。休日なので昼間から雪見酒で、楽しんでいる読者の方もおられるのでしょう。ゆっくりと時間が流れていた江戸時代には「雪見酒」などと鷹揚に構えていられたのでしょうが、忙しい現代では、電車や飛行機が動かない、高速道路は閉鎖などのニュースで、普段よりかえってソワソワしてしまいますよね。

さて、今日は1920(大正9)年、アメリカで禁酒法が実施された日です。

清教徒(ピューリタン)の影響が強かったアメリカではアルコールに対する強い批判があり、20世紀初頭までに18の州で禁酒法が実施されていましたが、これが全国に及んだのです。

飲料用アルコールの製造・販売等が禁止されましが、密造酒による健康問題や、アル・カポネを始めとする密売にかかわるギャングの出現等逆効果を招いたため、1933(昭和8)年2月に廃止されました・・・・・・良かった。(バーボン好きでもある編集担当の本音です。)

お酒と言えば、一時の焼酎ブームも落ち着いてきて、自分に合ったお酒を楽しむようになってきたようです。やっぱり薀蓄より美味さです。編集担当の私は、雪のなかで飲む温燗が最高と、最近日本酒を中心に嗜んでおります。酒屋へ行くと全国各地の日本酒と焼酎が所狭しと並んでいます。親切なお店では、産地を表示した日本地図を店内に貼って、我々素人にもわかり易くしています。今や道産子となった編集担当者は、北海道産の日本酒を中心に飲んでいます。そう言えば、四ツ谷の銘酒居酒屋「鈴傳」を思い出します。

 

最近すっかり山登りに目覚めたH氏は、山の標高の基準となる基礎を麹町付近で発見しました。今回はこのレポートです。(中段には、測量法の解説も入っていて少々難解かもしれません)

=================================   詳細写真は写真をクリックするとご覧になれます。

日本水準原点(東京都千代田区永田町1−1)

国会議事堂の参議院議院の向かいには憲政記念館があり、その前は洋風庭園になっている。その時計塔のある広場の一角にローマ神殿風の小さな建物がある。

日本水準原点

この建物の正面には菊の紋章の入った扉があり、その上には凝った文字で「水準原點」と右書きされ、さらに軒下には菊の紋章と右書きで「大日本帝国」と書かれ、裏側には「明治24年辛卯5月建設 陸地測量部」とある。この建物はこの中にある日本の標高決定の基準となる基準点(水準原点)を収めるために作られたものである。

追記:陸地測量部は明治14(1881)年6月に参謀本部として新築された参謀本部本館3階を間借りして始まった。新田次郎の小説「劔岳 点の記」の冒頭で玄関先で測量間の柴崎芳太郎と日本山岳会の小島烏水が出会うシーンがある。(2009.1.13)

この脇にある説明板によるとこの水準原点の標高は「24.4140m」と定められている。

なんとも中途半端な数字であるが、この数字は明治6年から十数年にわたって東京湾の潮位観測の平均海面を求めて海抜ゼロメートルを求め、それを基準として明治24年(1891)5月に水準原点が岩盤の堅い現在の場所に「海抜24.5000m」地点として作られた。

ところが1923年9月1日の発生した関東大地震による地殻変動で基準点が動き、1928年に現在の「24.4140m」が定められたのだという。

ところでこの「大日本帝国」とか書かれた建物に納められた日本水準原点は歴史的史跡ではなく下記のように「測量法11条1項第3号と4号」に定められた現行法上効力を持つ施設である。

 

(測量の基準)

第十一条基本測量及び公共測量は、次に掲げる測量の基準に従つて行わなければならない。 

1、位置は、地理学的経緯度及び平均海面からの高さで表示する。(略)

2、(略)

3、測量の原点は、日本経緯度原点及び日本水準原点とする。(略)

4、前号の日本経緯度原点及び日本水準原点の地点及び原点数値は、政令で定める。

 

測量法11条1項4号で定め政令は以下のとおりである。

(日本経緯度原点及び日本水準原点)

第二条       法第十一条第一項第四号に規定する日本経緯度原点の地点及び原点数値は、次のとおりとする。

地点 東京都港区麻布台二丁目十八番一地内日本経緯度原点金属標の十字の交点

原点数値 次に掲げる値 

経度 東経百三十九度四十四分二十八秒八七五九

緯度 北緯三十五度三十九分二十九秒一五七二

(略)

法第十一条第一項第四号に規定する日本水準原点の地点及び原点数値は、次のとおりとする。

地点 東京都千代田区永田町一丁目一番地内水準点標石の水晶板の零分画線の中点

原点数値 東京湾平均海面上二十四・四一四○メートル

 

測量法並びにその政令により東京都千代田区永田町一丁目一番地内にある水準点標石の水晶板に引かれている「零分画線の中点」が東京湾平均海面上24.414メートルであり日本水準原点とすると定められているのである。

この水準原点の周りにはいくつかマンホールに入れられた幾つかの水準点を見ることができる。特に水準原点の正面10数メートルの場所に約50センチほどの正方形のマンホールに上に「一等水準点」、下部に「国土地理院」そして中央に「甲」と書かれた水準点がある。また水準原点右奥の植木の中に「乙」の水準点が、水準原点の左脇にある説明板の前に「丙」の一等水準点がある。この「甲」、「乙」、「丙」の水準点を水準原点からまず測量して測量技術者の努力により日本中の高さを測量により定めていったのであろう。今なら「水準点1号」であろうがそれが「甲」、「乙」等と書かれているところにこの施設の歴史を見ることが出来る。

 

ところで上記測量法の中に「測量の原点は、日本経緯度原点及び日本水準原点とする。」とあり「日本水準原点」の他に「日本経緯度原点」が定められている。

地図を思い浮かべていただくと地図は標高のデーターとともに、地球上におけるその地点を表す東経や北緯のデーターが必要である。地図上の緯度経度はこの「日本経緯度原点」が国内の測量の出発点となるもので、山の頂上などで見かける全国の三角点の原点である。経緯度原点

住所は政令にあるとおり港区麻布台のロシア大使館の飯倉交差点側の路地を入ったところにある「東京アメリカンクラブ」脇にある(港区麻布台2-2-1)。ここは小さな公園担っており、そこにある石版に埋め込まれた10センチほどの金属の中央に「+」が彫られている。これが政令に定める「金属標の十字の交点」である。

こちらの原点は日本水準原点のように立派な建物はないが、明治初期に海軍が観測台を設置して、その後明治25年に東京天文台(現国立天文台)が天体の子午線通過の時刻を測定する装置(子午環)の中心を日本経緯度原点として定めたのが始まりであるという。水準原点と同じく関東大震災で子午環が崩壊したので、その跡に金属標が設置されたのだという。

 


この原稿が配信の直前になって面白いものを見つけたので紹介する。

日テレ通りを麹町から市ヶ谷に向かって歩くと東京都千代田区六番町2番地にあるビルの入り口に幅20センチ四方、高さ30センチほどの花崗岩の石が埋め込まれているのを見かけた。そして石の上部の中央部が小さな半球状に少し盛り上がっている。まるで正方形の真ん中に「・」の地図の水準点の記号そのものである。

石の正面には「日航」、左面には「水準」、右面には「国100」裏面には「私設」と彫られている。その石の前に「国際航業株式会社」とか書かれていた。石柱の「国航」はこの会社のことで「私設」とはこの会社がもうけたという意味あろう。国際航業株式会社の私設水準点

「このなぜこのようなところに私設の水準点があるのか」と不思議に思いビルの中に入ると玄関フロアー正面に昨年発生した新潟中越地震の震源地域の航空写真のパネルと地震で崩壊した個所を示す地図があった。受付の女性に伺うとこれらの写真はこの会社が撮影したものであるという。そういえば昨年末テレビでこの会社の名前を見た事を思い出した。この会社の玄関先にあった私設の水準点いついて伺うと経緯はわからないとのことであった。

この会社は空間情報、地質調査/海洋調査、建設コンサルタント等を行う会社で社会活動としては震災などに当たっていち早く現場に赴き測量や地質調査の知識と技術を使って震災や災害地域の自治体を無償でサポートを行っている会社だった。

なるほどこの会社の事業のベースとなる空間情報事業は緯度経度、標高など地球上の位置情報が基本であり、この会社がシンボルとして私設の水準点を設けることは誠に納得できることであった。

この会社の隣には以前52号で紹介した「カレー南蛮の角屋」があり、すぐそばに第67号で紹介した「番町茶館」がある。憲政記念館からの光景

 

最後に日本水準原点のある憲政記念館のある高台は、麹町ウぉーカー一押しのビューポイントである。南西に向かって開け、皇居と桜田濠の緑とその先に見える桜田門と警視庁そして丸の内のビルが、ここと都心かと思えるほど高い青空の下に見える。まさに景勝の地である。

室町時代に太田道灌が「わが庵は松原つづき海ちかくふじの高根を軒端にぞ見る」とよんでおり、日比谷や丸の内あたりはまだ海であった。江戸時代の初めには加藤清正が屋敷を建て、その後彦根藩の上屋敷となり、幕末には大老井伊直弼もここに住み、登城の途中、桜田門で暗殺された。明治になってからは参謀本部・陸軍省がおかれ、2・26事件のときには決起軍が占拠したことは麹町ウぉーカー66号で紹介した。

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昨年末から全国で旧一万円札の偽札が出回っています。「透かし」が入っていない単純なコピーのようですね。ところで、最近山登りでよく地図を観るH氏より「国土地理院」が作成する地図には、紙幣同様透かしが入っているらしい。との情報がありました。早速紀伊国屋で、地図が収納されている大きなキャビネットを開けて、北海道地図を透かしてみたところ地図の上下にそれぞれ二箇所ずつ三角点のマークが透かしで入っていました。この透かしの意味は良くわかりませんが、ご存知の方がいらしたらメールお願いします。

国土地理院のHPです。

http://www.gsi.go.jp/

 

この水準点の写真は、H氏のHPをご覧ください

http://homer.pro.tok2.com/index.htm

 

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http://www.mag2.com/m/0000073086.htm

(大)

平成17年1月16日配信


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