戻る 埼玉県北足立郡伊奈町(伊奈町見聞記)

備前堤

備前堤は江戸時代関東郡代として幕府の領地の開発にあたった伊奈備前守忠次に由来する。忠次は鴻巣領(鴻巣市付近)、小室領(伊奈町)一万三千石を給され小室に陣屋を構えた。この備前堤は常光(鴻巣市),中丸(北本市)方面から流れる赤堀川を幅4メートル高さ3メートル、長さ600メートルの堤を築いて締め切り、その流れを元荒川に直角に落としたものである。
この堤の完成によって下流の伊奈、蓮田方面の村は洪水の害をまぬがれるようになったが、現在の桶川市域を含む上流の村は大雨の降るたびに田が冠水し、その被害は大きく近年にまで及んだという。
出水のたびに、上流と下流の村々の間で備前堤をめぐる争いがしばしばあったと伝えられ、現在も残る「御定杭」はこの争いを調停するために、土俵を積む高さを制限する目安とされたものである。   昭和62年3月  桶川市教育委員会
この堤ができたことにより綾瀬川の起点がこのあたりになった。

備前堤の碑
この道路が備前堤であり左が桶川、北本方面、右が下流の伊奈蓮田方面である。正面に見える高架は上越新幹線である。
備前堤(奧の高架が上越新幹線その下に備前堤の碑が建っている)


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