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甲武信岳
日本百名山(67)
(甲武信岳2475m)
20067.15〜16 妻と二人のパーティー

登り(7月15日) 下山(7月16日)

8時55分:西沢渓谷蒟蒻館(出発)
9時22分:トイレ登山届け
9時35分:徳ちゃん新道登山開始
12時35分:徳ちゃん、近丸新道分岐
15時30分:甲武信岳・破風(不)山分岐
15時40分:木賊山
15時54分:甲武信小屋
16時30分:甲武信小屋(発)
16時47分:甲武信岳山頂(着)

5時35分:甲武信小屋(発)
5時50分:破風(不)山・木賊山分岐
6時7分:賽の河原
6時41分:笹平避難小屋(着)
7時22分:笹平避難小屋(発)
8時11分:西破風(不)山
8時41分:東破風(不)山
9時55分:雁坂領
10時35分:雁坂峠(着)
10時47分:雁坂峠(発)
12時03分:峠沢(着)
13時4分:林道終点
13時40分:仮坂トンネル料金所
14時07分:マス釣場
14時20分:西沢渓谷入り口蒟蒻館(着)

写真をクリックすると詳細写真をごらんになれます。

7月15日 西沢渓谷から甲武信岳

埼玉を5時半に出て、雁坂トンネル越えで西沢にある蒟蒻館の「登山者歓迎」の看板に甘えて駐車場に車を止めた。西沢山荘前にある田部重治の碑

身支度を整えて西沢渓谷に向かい、途中のトイレで休憩し、そこで入山届けを出して徳ちゃん新道登山口のある西沢山荘(休業中)に向う。山荘の前にある田部重治の碑で写真を撮って登り始めた。

登り始めてしばらくは緩やかな登山道であるがすぐに急な登りになりこれが延々と続く。しばらくして前方に少し鶏冠山の尖った岩山が見え、眼下に東沢が少しだけ望める場所に出た。それからはとても急な登りが続く、

1時間ほどして平坦な場所に出て、それからシャクナゲの細い尾根道を登る。

そして視界が開けて鶏冠尾根を左手に見ながら登る。途中で眼下が開け、広瀬湖が見える。晴れていれば富士山も望めるのだろう。

徳ちゃん新道と近丸新道の分岐点に合流する。ここで昼食にするが全く展望は利かない。

広瀬ダムが見える再度登り始めシャクナゲの中を少し登ると木賊山の展望が開ける場所がある。そしてしばらく登り、倒木のある幅の広い樹林帯に入るとルートがなかなか見つけにくい場所である。

それにシャクナゲが多く高度を上げるごとにまだ白やピンクに花をつけていた。さらに鳥のさえずりのにぎやかなこと。鳥の鳴き声を聞き分けられたらどんなに楽しいだろう。
シジュウカラはまとわりつくよう側に現れて姿を見せてさえずっていた。

崩落地の上の岩場に出てすぐに尾根の木賊山、破風山の分岐点に出る。

徳ちゃん新道と近丸新道の合流点から尾根までのルートタイムは2時間30分の急坂の登りであるが、西沢の登山口から近丸新道との合流点までほどのきつさはなく比較的容易に高度を稼甲武信岳げる。2時間ほどで登ることができた。

そして緩やかな道を10分も登ると木賊山山頂である。そして甲武信岳方面に下り始めるとすぐに大きな崩落地がありそこから正面に甲武信岳が望める。

そしてしばらく下ると甲武信小屋に出る。テント場の使用料は1人300円、水は1リットル50円である。

甲武信小屋に着くと雷が鳴り始め、雨が降り始めた。

甲武信小屋

私たちが小屋で受付をしているときに沢登姿の男性に声をかけると、東沢渓谷を登ってきたという。

小屋の脇には「荒川源流の碑」と「奥秩父遭難者慰霊碑」が建っている。

テントの設営をすませると、私たちは雨と雷の中、下山してくる人を尻目に甲武信岳に登る。

樹林帯を15分も登り展望が開ける場所に出るころには雷も遠のき雨も上がっていた。

甲武信岳山頂

そして高く石で積まれたケルンの台座に「日本百名山甲武信岳」という大きな標柱が立てられていた。山頂は広く、展望が開けていた。
雨上がりのため富士山の展望は望めなかったが国師ヶ岳(2592m)、金峰山(2595m)、金峰山のシンボルの五丈岩も見えていた。さらに北に目を向けると三宝山(2483m)が目に入る。三宝山のほうが甲武信岳より標高が高い。

山頂には誰もおらず、それに日差しが指してくるという幸運にも恵まれ、楽しい甲武信ヶ岳の山頂を楽しむことができた。

テント場で夕食をしていると私たちのテントのそばに頭が黒く頬が紅色の「ウソ」という鳥が三羽現れた。
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7月16日 甲武信小屋から雁坂峠  

賽の河原その夜はとても風が強く、テント場の木々が大きな音をたてて、雨粒がテントを叩く音で何度も目が覚めた。雨と風で何度も起こされた為、寝過ごししまい、5時前に目を覚ました。早速テントを撤収して、5時35分に甲武信小屋を雁坂峠に向けて出発した。木賊山の巻き道は木賊山の北側に水平に付けられており、15分ほどで木賊山と雁坂峠行きの分岐点に合流した。破風山まで2.6km、雁坂峠まで5.3kmと書かれていた(甲武信小屋へは0.7km)。

それから破風山への下りは思ったより急な道で途中から正面に西破風山、そして雲の間から富士山も姿を現した。
縦走の途中で富士山が見えることは縦走をとても楽しいものにしてくれる。

下り始めて15分ほどで真っ白な砂と大きな岩が立ち並ぶ賽の河原と呼ばれる場所に出る。晴れた日であれば正面に富士山、雲取山から大菩薩など秩父の山並みが楽しめるのであろう。

賽の河原を後にして、視界の利かない樹林帯をひたすら下ると木賊山と西破風山の鞍部に一面笹原のその名も笹原避難小屋に出る。

笹平避難小屋激しい雨の中、朝食はこの非難小屋と決めていた。中に入ると男性2人組みのパーティーが二組と夫婦のパーティーが食事をしていた。夫婦のパーティーはこの雨では雁坂峠でお昼を摂ることはできないだろうから、ここで食べて行くという。

ここで一夜を明かした一組のパーティーは昨日、登りで一緒になった方々で何度か言葉を交わした人たちであった。

昨夜の風がとても強く非難小屋の鉄の壁がとても揺れていた事、水場は小屋の約20分の所にあると書かれているが、そこまでの道がはっきりせず、さらに帰りは道がわからず大変であったとのことなどいろんな話をうかがうことができた。

この小屋の正面には富士山が見え、前夜は富士山を登るライトの行列が見えたという。

食事を済ませて小屋を出る頃には雨も少し弱くなっていた。
そして、西破風山への緩やかな登山道を登り始めるが、だんだん斜度が急になり、背後に木賊山が見え、木々の高さが低くなり展望が利くようになると、山頂が近いことが実感できる。西破風山(2318m)山頂は展望の利かない木々の中にあり、ベンチが置かれ、埼玉県の立てた大きな標柱と「山梨100名山」の標柱が立っていた。

ここから東破風山(2260m)までの稜線は比較的なだらかな起伏の少ない道であるが、途中にはゴロゴロした大きな岩のヤセ尾根などもあり、富士山の展望も利く楽しい縦走路である。
この途中の枯れ枝の上に白黒の半纏と尖った冠羽が特徴的なヤマセミが姿を見せたのには驚いた。

東破風山は南に開けているが雲のため展望は得られなかった。

ここから雁坂嶺までの最初の下りはとても急である。2180mの4等三角点までくると、雁坂嶺までは緩やかな登りを楽しむことになる。スフィンクスか猫のように見える岩
途中に真横から見るとスフインクスか猫が2体横を向いているように見える岩場に出る。この岩場は雁坂嶺から来る登山者には分かり難いかも知れない。真後ろから見ると岩は思ったより厚みがなく猫やスフィンクスの特徴は何もないのである。

雁坂嶺(2289m)の山頂も展望は利かない。そこから下り始めるとしばらくして笹原が見え始めると正面に富士山が現れ、雁坂峠へ下っていく。雁坂嶺から雁坂峠までの下りのルートタイムは20分とされていたが、なぜかかなり時間がかかってしまった。
下山の途中で出あった茶髪の息子を連れた男性が「今日は雲海の日だね。」と言っていたが、曇り空と言わず、このように表現されると曇空も楽しめるものだと思えてならなかった。

雁坂峠からの富士山雁坂峠(2082m)は山梨側は一面の笹原であるが、埼玉県側は樹林帯である。峠にはベンチが置かれ、峠の説明板があり雁坂峠は南アルプスの三伏峠(258m)、北アルブスの針ノ木峠(2541m)と並んで日本三大峠のひとつに数えられていると書かれている。

この峠は古代から人々が行き来しており、武田信玄の時代には軍用道路・甲斐久筋のひとつである。この道は秩父往還と呼ばれ、秩父観音霊場参拝の道として多くの人が行き来し、江戸時代から大正までは秩父大滝村の繭取引所があった塩山に運ぶ重要な道だったと書かれている。

霧がかかり展望が利かない峠をあとにして急な笹原をジグザグに下る。これがなかなか急な坂で、笹原を抜けて樹林帯に入ってからもぬかるんで歩きにくい道がひたすら続く。下山を始めて約1時間で小さな沢を渡り、そこから15分ほどで大きな峠沢に合流した。そこで笹平避難小屋で我々と前後しながら縦走しているメンバーからいただい峠沢に下りるたオレンジを食べたがそれがとても美味しかった。それから峠沢の右岸を15分ほど下ると沢を渡る。これから左岸を下るが途中にはとても道幅が狭く針金が張られた危険な場所も沢山ある。
そして、視界が開けると眼下に舗装された林道が見える。沓切沢橋を渡るとそれからは舗装された林道で途中で雁坂トンネルの料金所があり約1時間15分で西沢のマス釣り場に着く。

また降り始めた雨の中、ようやく蒟蒻館にたどり着いた。着替えをして、蒟蒻館で昼食をとり、そして美味しいトロ蒟蒻を買って、西沢を後にし、大滝温泉「遊湯館」で温泉に入って登山の疲れをさっぱり流して埼玉に帰った。

西沢渓谷の入り口にある田部重治の碑の「笛吹川を遡る」に奥秩父の山の魅力は深い森林と渓谷美であると書かれているが、まさにそれを実感した、甲武信岳登山であった。

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2006年7月15〜16日撮影

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