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Good Journey(よい旅を!)
浄土宗大本山増上寺

浄土宗 大本山(ご本尊 阿弥陀如来・南無阿弥陀仏なむあみだぶつ)
浄土宗の七大本山の一つ。三縁山広度院増上寺(さんえんざんこうどいんぞうじょうじ)が正式の呼称。開山は酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)上人によって、江戸貝塚(現在の千代田区紀尾井町)の地に、浄土宗正統根本念仏道場として創建される。
江戸時代の初め源誉存応(げんよぞんのう)が徳川家康の帰依(きえ)を受け、大伽藍(がらん)が造営される。以後徳川家の菩提寺として、また関東十八 檀林(だんりん)の筆頭として興隆しました。さらに、江戸時代総録所として浄土宗の統制機関となる。
戦災によって徳川家の将軍やその一族の霊廟(れいびょう)は焼失し、焼失をのがれた三門(さんもん)・経蔵(きょうぞう)・黒門(くろもん)などを含む境内(けいだい)は、昭和49年(1974)完成の大本堂とともに、整備されている。
増上寺本堂と東京タワー
本堂の前の階段は25菩薩をあらわし、25の階段となっている。
ここから数100mで東京タワー(高さ333m、展望台250m)。
正式名称は東京電波塔。
大納骨堂
本堂の裏側にある。
戦前から本堂、三門と並んで信徒に親しまれてきたもので、第二期院内整備の際か改修、移転したもの。
中には数十万に及ぶ有縁・無縁の遺骨が、入り口の狛犬に守られて納められている。
徳川将軍墓地
戦災にあうまで増上寺の南側に二代将軍秀忠、北側に六代家宣、七代家継などの御霊屋があった。これらは当時の建築技術の粋を結集したもので各々国宝の指定を受けていたが、現在は入り口の「鋳抜門」と二代将軍宝塔にその面影を残しているに過ぎない。
将軍のほかには、静寛院宮(和宮 家重の御台所)、崇源院(家光の母 お江与)、桂昌院(綱吉の母、お玉)などが合葬されている。
徳川将軍家墓地詳細
千体子育地蔵尊
   
秘仏黒本尊が祀られている安国殿の右隣におよそ1300体の毛糸の帽子に前掛それに風車を持った地蔵さんが立っている。
地蔵の前には西向観音がある。
熊野神社
元和十年(1624)、第十三世正誉廓山上人が熊野権現を増上寺鎮守として東北の鬼門に勧請したもの。『熊野』は「クマノ」・「ユヤ」と二通りの呼称があるが、当山は「ユヤ」権現として親しまれています。
八咫烏(やたがらす)
日本神話で、神武東征の際に、タカミムスビによって神武天皇の元に遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされる三本足の烏。
サッカー日本代表のユニフォームに画かれている。
阿波丸事件殉難之碑
1945年(昭和20)4月1日にシンガポールから日本へ向けて航行中であった貨客船「阿波丸」が、アメリカ海軍の潜水艦「クイーンフィッシュ の魚雷3本を受け台湾海峡で沈没した事件。船員1名を除き2129名が死亡した。
増上寺は東京上野の東叡山寛永寺(天台宗)と共に徳川将軍家の菩提寺で、当山に埋葬されているのは、二代秀忠公・六代家宣公・七代家継公・九代家重公・十二代家慶公・十四代家茂公の六人の将軍のほか、崇源院(二代秀忠公夫人)、皇女和宮さま(十四代家茂公夫人)ら五人の正室、三代家光公側室桂昌院(五代綱吉公実母)はじめ五人の側室、及び三代家光公第三子甲府宰相綱重公ほか歴代将軍の子女多数が埋葬されている。 ⇒徳川将軍家墓地詳細
境内には三門の側に米国代8代大統領グラント将軍が明治12年に国賓として日本を訪れた時に、増上寺に参詣して植樹した松(グラント松)等のほか、「桜咲く 日本に生まれ 男かな」と彫られた明治大正期の児童文学者巌谷小波の句碑、増上寺門前の町火消しで有名な「め組」の殉難者・物故者の供養のための「め組供養碑」等たくさんの碑が立ている。
東京都港区芝公園4-7-35 MAP
【アクセス】
●JR線・東京モノレール 浜松町駅から徒歩10分
●都営地下鉄三田線 御成門駅から徒歩3分、芝公園から徒歩3分
●都営地下鉄浅草線・大江戸線 大門駅から徒歩5分
●都営地下鉄浅草線 大門駅から徒歩5分
●都営地下鉄大江戸線 赤羽橋駅から徒歩7分
●東京メトロ日比谷線 神谷町駅から徒歩10分
2008年2月22日  撮影 CANON G7

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