山の話題
(登山家)
大山光一
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登山家 大山光一 昭和23年生まれ(65歳)。 埼玉県東松山市在住 所属 山岳同人 比企 埼玉県山岳連盟海外登山委員会 日本山岳会 日本ヒマラヤ協会 |
登山歴 |
@10代後半より本格的な登山を目指して谷川岳、北アルプス、南アルプス、八ヶ岳、黒部等で 主に岩壁登攀(ロッククライミング)及び積雪期登山を中心に活動。 |
主な海外登山歴 |
1973年
6月: 北米大陸最高峰:マッキンレー(6,194m)登頂 ※ ![]() 2001年12月: アフリカ大陸最高峰:キリマンジャロ(5.895m)登頂 ※ 2002年12月: 南米大陸最高峰:アコンカグア(6,951m)登頂 ※ 2005年 5月: オーストラリア大陸最高峰:コジウスコ(2,228m)登頂 ※ 2006年 5月: 中国チベット:シシャパンマ(8.012m)登頂 ◎ 2007年 5月: 中国チベット:チョモランマ(8,848m)登頂 ※◎ 2009年 9月: 中国チベット:チョー・オユー(8,201m)登頂 ◎ 2011年10月: ネパールヒマラヤ:マナスル(8,163m)登頂 ◎ 2012年5月:サガルマタール(8848m)登頂(ネパール側から登頂) 2012年11月:マレーシア:キナラル(4,095m)登頂 2013年12月:ネパールヒマラヤ:ピサンピーク(6091m)登頂 2014年4月:ネパールヒマラヤ:カラパタール(5,545m)登頂 2014年4月:ネパールヒマラヤ:アイランドピーク(6,160m)登頂 2015年4月:ネパールヒマラヤ:ロブチェ・イースト(6,119m)登頂 2016年10:ネパールヒマラヤ:メラピーク(6,476m) |
エベレスト登頂報告会〜決してあきらめない | ![]() 大山氏が撮った写真とビデオを使いながら、緊張する登頂の様子が紹介。 50歳になって人生の意味を問い直すために夢を持って登山にチャレンジしたこと。人はそれぞれ自分の限界を持っているが、その限界を自分の力で乗り越える挑戦こそが自分の限界をあげていくことになる・・等貴重な体験とともに人生に対する考え方などが披歴。 特筆すべきは大山さんの登山の成功率が100%であること。それはPDCAサイクルの管理手法を用いた計画と慎重で的確な判断のなせる業。 さらにシェルパとの信頼関係の重要性。シェルパは自分より能力の劣る登山者を信頼しないとのこと。 右上の旗は今回の登頂で山頂に掲げられた日本旗で昨年、日本一になった東松山高校書道部顧問の先生に書いていただいた「がんばろう日本」に東松山市長:森田光一氏、東松島市長阿部秀保氏、BOSCH且ミ長(現会長):織田秀明氏が署名したものである。津波で被害を受けた東北の人々へのエールでもあった。 |
大山光一氏との出会い | 私たち夫婦が大山さんを知ったのは平成19年にエベレスト登頂し世界7大陸最高峰登頂達成したあとの平成20年6月さいたま市大宮区ソニイックシティーで開催された埼玉山岳連盟海外登山委員会主催の講演 「世界七大陸最高峰登頂と登山10年計画」報告会に参加したことに始まる。 登山を始めて少しずつ北アルプスなどを登り始めた私たちにとっては参加している人たちはかなりのベテランさんばかりで場違いな雰囲気だった。 1973年にはマッキンレーにまで登っていた氏が結婚とともに登山を止め、25年間のブランクののち50歳になったのを機に10年計画で7大陸最高峰を登ろうと思い立ってチャレンジを開始した。それもサラリーマンを続けながら会社の仲間や家族の理解、協力を得ながらの快挙。 ![]() さらに登山形態も今流行のコマーシャルエクスペディション(商業登山隊)ではなく自らが企画計画して2人のシェルパ(登山協力員)とコックで構成されるプライベートパーティーとしてのチャレンジであった。 私が中でも一番感動し、心に残ったのは結婚を機に登山は中断しながらも日本山岳会の会費は支払い続けていたとのこと。それを私のホームページの「登山の歴史」のサイトに紹介。 すると大山氏からメールをいただき、それが大山氏との交流の始まりだった。 この写真を見てお分かりだと思いますが大山氏はとても小柄な登山家です。この小さなからだに私たちにはとても及ばない精神力とパワーを秘めています。 今回エベレスト登頂報告会に招待いただき夫婦で伺いして、お会いして挨拶を交わした後貴重な話を聞かせていただいた。ありがとうございました。 |