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山の話題(1)

上高地ウエストンの碑

ウエストンのレリーフ
日本アルプスを世界に紹介した英国宣教師ウオルター・ウエストン。
レリーフの右下に英語のプレート
ウエストンのリレーフの全景
毎年6月第1日曜日にはここでウエストン祭が開かれる。
このレリーフは日本山岳会が昭和12年にウエストンの喜寿(77歳)を祝って作ったもので、昭和40年にかけなおされたとある。
ウエストンの碑の向かいは梓川
その奥には六百山と霞沢山

ウォルター・ウェストンWalter Weston, 1861年12月25日-1940年3月27日)
英国のダービー市に生まれる。父親の名はジョン・ウェストン、母親の名はエンマ・バットランド。六男。1876年(明治9年)から1880年(明治13年)までダービー・スクールで教育を受け、ケンブリッジ大学クレア・カレッジで学ぶ。ケンブリッジ大学のリドレー・ホール神学校で、イングランド国教会の聖職について学んだ。専門は神学者で、地理学者。
1888年(明治21年)-1894年(明治27年)、宣教師として日本を訪れ(神戸に滞在)、イギリス時代から持っていた趣味として飛騨山脈、木曽山脈、赤石山脈を巡った。
1893年(明治26年)前穂高岳に登ったときの案内役 地元猟師の上條嘉門次との友情は有名で小屋にはウェストンが嘉門次に贈ったピッケルがある。
1902(明治35)年には北岳に初登頂した。この時、芦安の村長・名取運一が登山に協力した。1904(明治37)年には鳳凰山の地蔵ケ岳岩塔を初登攀した。
ウェストンは、山旅で見た情景と感慨を、1896年(明治29年)、『MOUNTAINEERING AND EXPLORATION IN THE JAPANESE ALPS』(日本アルプスの登山と探検)としてイギリスで出版した。日本山岳会の結成に大きな影響を及ぼし日本の近代登山の父といわれる。
1902年(明治35年)-1906年(明治39年)(横浜)と1911年(明治44年)-1915年(大正4年)(横浜)にも日本に滞在した。
秩父宮殿下のアルプス登山を槙有恒と立案し同行している。
勲四等瑞宝章叙勲。

上高地の帝国ホテルの奥の田代橋を渡り、清水谷ホテルを過ぎた場所にある。 MAP
梓川の対岸には六百山と霞沢山が聳える。

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