戻る 麹町ウぉーカー(麹町遊歩人)

========麹町ウォーカー(麹町遊歩人)No.72=============

本をネットで購入されたことありますか?利用する方が増えているそうです。

アマゾンドットコムを始めとして大手の本屋さんのほとんどがネット通販に対応しています。

私は事務所の近くに紀伊国屋書店があるので、書店へ行って本を買うようになりました。

たくさんの本の中から手にとって、どれにしようか悩むのもなかなかいいものですよ。

先日、『大人のための算数練習帳』(佐藤恒夫著 講談社)という本の「算数」という言葉に引かれて、買ってしまいました。

この本は、算数が嫌いだった菊池寛や代数が好きだった湯川秀樹などのコラムのほかに、例題も用意されていて昼休みの頭の運動には打ってつけです。例えば

『82と、その数字の順序を入れ替えた28との差は82−28で、9の倍数になる。

一般に2桁の数と、その一の位と十の位とを入れ替えた数との差は9の倍数となる。

これを証明せよ。』

実際に計算してみると、ほんとにそうなりますね。知りませんでした。

最近、算数など縁がなかったせいか、トライしている間に昼休みの時間がすぎてしまいました。読者の皆さんもいかがですか?模範解答は、後段に・・・・。

 

H氏は、北海道と違って初夏を思わせる麹町を、遊歩一筋の昼休みです。いいなあ。

今回は弁慶堀と弁慶橋のレポートです

========================================

紀尾井町と赤坂見附を結ぶ弁慶掘に架かる弁慶橋は中央部が幾分盛り上がったアーチ型の木の橋に似せて作られた石橋で、両脇の欄干には玉ねぎの形をした青銅(からかね)製の擬宝珠(ぎぼし)といわれる飾りが付けられた見事な橋である。ホテルニューオオタニや赤坂プリンスホテルの近代的な高層ホテルと弁慶堀の石垣とマッチして橋の風情を添えている。

弁慶橋

初めてこの掘と橋の名前を聞いた人は『何ゆえに鎌倉時代に活躍した源義経の家臣「武蔵坊弁慶」の名がついているのか?』ということを疑問に思われるであろう。ところがこの濠と橋の弁慶は「武蔵坊弁慶」とは何の関係もない。

まず掘の名前はこの掘を掘った寛永年間(1624-43)、江戸城普請の大工の棟梁で名土木技師として知られた弁慶小左衛門に由来するという。

しかし、この弁慶橋にはもう一つの由来がある。

この橋は明治22(1889)228日に長さ約50メートル巾7.2メートルで開通した。

それまで堀の外から紀尾井町の清水谷・紀尾井坂方面へ行くのには、現在の衆議院議長公邸前にある赤坂見附門の脇からプリンスホテルのプール下の石垣沿いに現在の弁慶橋まで進み、それを右折して清水谷方面と向かっていた。以前紹介した大久保利通もこの道を通って、今の迎賓館の場所にあった旧紀州藩上屋敷に置かれていた仮御所に向かう途中ここで襲われた。

もともと弁慶掘にかかる前この橋は、神田(千代田区岩本町2丁目あたり)に明治18(1885)まであった藍染川(あいぞめがわ)に架かっていた橋である。

藍染橋は江戸時代この辺り一帯にあった「お玉が池」を埋め立てて宅地を作ったときに整備された水路で、神田紺屋町の紺屋(こうや)の排水で川の水がいつも藍色に染まっていたため藍染川と呼ばれていたという。弁慶橋

この川に架かっていた弁慶橋は「江戸名所図会」にも描かれている名所であった。それは名前が源義経の家臣「武蔵坊弁慶」を連想させるからではなく、変わった橋の形が珍しいため名所であったという。この橋の架かっていた場所はいわゆる自動車講習所にあるクランク状になった場所であった。このクランク状になった藍染橋を一度でまたぐように作られていたことから名所として知られていたのだという。

ところが、明治17(1884)、当時の政府はコレラ等の伝染病予防、衛生状態改善のために、藍染橋を埋め立てて近代的な下水道建設することになり、18年に弁慶橋は撤去された。

そして資材の再利用として明治22年に弁慶掘に架けられ、そして二重の意味を込めて弁慶橋と名づけられたのである。

弁慶橋の犠宝珠;ところでこの橋の柱に付けられているに擬宝珠は藍染川に架かっていた弁慶橋にはなかったもので、実際「江戸名所図会」に描かれている橋の欄干に擬宝珠は見当たらない。これらの擬宝珠は弁慶堀に橋が架けられるときに江戸時代、三六見附と呼ばれた城門にかかっていた橋の擬宝珠を移したのである。

橋の北側の4個は筋違橋(現:万世橋)や中央の二個は浅草橋門のもので、南側の2個は神田橋、更にもう2個は一ツ橋のもので製作年月日と製作者の銘も彫られていたといろんな書物に書かれている。ところが現在の橋にはこれらの銘がないため、これがなくなった経緯に関していろいろ調べてみたがはっきりしなかった。明治22年に架かられた弁慶橋が昭和60年に改修されそれまでに改修されたときに保存のために取り替えられてしまったのではないかと考えられる(この点に関しては裏付けがあるものではないのであしからず)

改修前は親柱や欄干に木材を使われていたというが、60年の改修で全て鉄筋コンクリートの桁橋金属になって幾分冷たい感じはするがデザインは改修前のイメージを残しているという。

橋のたもとにはボート乗り場があり、アベックがボートをこぐ姿も見ることができる。そしてこの掘はボートの上からであればルアーフィッシングを楽しめる唯一の場所である。ここには弁慶掘でブラックバス、トラ弁慶堀のルアーフィッシングウトなどのルアーフィッシングを楽しむ「Benkeiフィッシングクラブ」というオリジナルロゴを持ちオリジナル製品まで販売するアクティブなクラブもある。

春には桜の名所であり赤坂プリンスホテルとその前に咲き乱れる桜そして堀の緑の前に架かる弁慶橋は大阪のように水と橋との関係が比較的薄い東京で水と橋の存在感を実感できる数少ない場所のひとつである。

 

最後に200425日の日本経済経済新聞朝刊「私の履歴書」の欄に紀伊国屋書店会長の松原治氏が「・・雪が降ったとき、紀尾井坂で滑ったことがある。坂の上から弁慶橋まで滑るとけっこうすべりでがあった。」と書いておられた。

ここにある紀尾井坂は紀尾井町のホテルニューオオタニ前の食違見附からはじまる有名な坂である。紀尾井坂はかなり斜度があり200メートルほどの急坂を利用して加速して、滑り降り、直角に右ターンして緩斜面の清水谷通りを一気に弁慶橋まで滑りぬけたのであろう。今では都心でスキーが出来るなどとは想像も出来ないが、のどかな時代の話しである。

========================================

冒頭に紹介した、紀伊国屋書店で見つけた『大人のための算数練習帳』の例題の模範解答です。

『一般に、2桁の数のうち十の位の数字をa、一の位の数字をbとすると、その2桁の数は

10a+b と表することができる。

桁を表す数字の順を逆にした二桁の数字は、十の位がb、一の位がaであるから

10b+a と表される。

よって、2数の差は

(10a+b)−(10b+a)=10a+b−10b−a

              =9a−9b

              =9(a−b)

となる。この右辺の9(a−b)は9の倍数であることを意味している。よって二桁の数と、その一の位と十の位を取り替えた数との差は、9の倍数である。』

いかがでしたか?

この他にも、簡単そうでややこしい設問が載っていますよ。

早速、紀伊国屋のネット通販で・・・・・・いかがですか。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-ISBN=4062574330

 

H氏のHPは、麹町の桜の後、伊奈町のバラが満開(?)です。H家のヘリテイジというバラも綺麗に咲いています。

http://homer.pro.tok2.com/

 

メルマガの登録解除・バックナンバーはこちらへ

http://www.mag2.com/m/0000073086.htm

(大)

 

              

平成16年5月9日配信


HOMER’S玉手箱 麹町ウぉーカー(麹町遊歩人) 会津見て歩記 甲府勤番風流日誌 伊奈町見聞記 鹿児島県坊津町