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========麹町ウぉーカー(麹町遊歩人)NO51===========

ようやく梅雨も明けた8月最初の土日、各地で夏祭りが一斉に始まったようですね。

夜になると花火が、いろんなところで上がっています。

一方、江戸の夏の祭りといえば、隅田川の花火と水掛けの富岡八幡宮の御神輿です。

早速八幡宮のサイトを検索すると

『今年は、本来であれば御本社神輿渡御の年にあたるが、諸般の事情で中止になったこ

とから、富岡八幡宮神輿総代連合会が主催となり、皇居への神輿渡御が行われること

になった。』と書いてあるではありませんか。門前仲町に住んでいるM氏に時間と場所の情報を貰い、本日休日返上?で皇居へ向いました。久々30度を越す暑さはこたえます。

見物ダイジェストは後半で。

江戸400年のイベントも8月を迎え、これから盛り上がってくるのでしょうね。

H氏は、前号の抜け道に続いて、また何かを発見したようです。

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<旧御所トンネル>

JR四ッ谷駅と丸の内線四ッ谷駅の南側、迎賓館の正面ゲート前に左右対称な「若葉東公園」がある。

さらに、その公園の西側、四谷中学校と学習院初等科の間に「四谷見附公園」と呼ばれる小さな公園がある。公園の中央には大きなプラタナスの木(鈴かけの木)が植わり、公園全体を銀杏等の巨木が覆い、暑い日もここに来ると幾分ヒンヤリする深い木陰を作っている。

この公園の学習院初等科よりにある大きな銀杏の木の傍らに「われらの記念樹」と書かれた御影石の碑が建てられている。

これには「大正5年(1916)三月学習院卒業生49名は同年5月6日この銀杏の木の苗木を卒業記念として四谷仲町の院の一隅に植えた。大正15年(1926)、その若木は鉄道省四谷駅-信濃町駅間の隧道工事のためこの地に移植され生長を続けている。昭和49年(1974)に古希を越えた二十四名の生存者は恩師九十三翁岡崎常太郎先生と共に銀杏の由来を永く後世に伝えるためこの碑を建てるものである。」とある。われらの記念樹

確かめようと、この辺りの地図を見てみるとJR中央快速と総武線は学習院初等科の校庭の真下を通っている。

より正確には中央快速の軌道と総武線千葉方面行きの軌道は3本並んでいるが総武線車中野方面行きの軌道だけは少しはなれて迎賓館正面ゲートの前から迎賓館の敷地の右部分をくぐり、学習院初等科の校庭の外れを抜けている。

営団丸の内線四ツ谷駅新宿方面行きホームの赤坂見附側からも、赤煉瓦に縁取られた古めかしいトンネルを見ることが出来る。総武線中野旧御所トンネル方面行きの電車が通るトンネルは「旧御所トンネル」と書かれその下に、長さは317メートルと添え書きされている。

ここで、この路線の歴史を少しひも解いてみよう。

JR中央線は、当初「甲武鉄道」という民営鉄道として明治22年(1889)に新宿−立川間が開業した。

甲武鉄道は、東京の中心部へ路線を延長するため新宿・三崎町間の許可を得た。ところが日清戦争明治27年(1894)が始まり、現在の神宮外苑にあった青山練兵場(現在の千駄ヶ谷駅辺り)への軍事輸送ルート確保のために路線変更を求められた。ただこのルートにすると、その先の東京駅方面へ路線を延ばすためには、赤坂御所や学習院の下にトンネルを掘らなければならなかったが、軍事優先で、川上操六将軍が皇室の了解を得て新宿―牛込間の路線が明治26年(1893)許可された。

そしてこのトンネルは明治27年には牛込駅(飯田橋と市ヶ谷の間ほどの場所)まで開通しているのでこの頃にはできていたと思われる。この赤煉瓦のトンネルは開業以来110年余り使われている我国鉄道史上貴重なトンネルであるといわれている。

甲武鉄道は明治39年年(1906)の鉄道国有法により同年10月1日に国有化された(一部の支線は西武鉄道になった)。

ここにある記念碑によると、銀杏の木を植えて10年後の大正15年に複々線化のトンネル工事が始まり卒業生が植えた木が移転を余儀なくされたのであり、この銀杏の木は樹齢90年を超える木ということになる。

そして、複々線で走り始めたのが昭和4年頃であるという。

総武線中野方面行き電車の一番前の車両に乗ると、走り始めるとすぐにこのトンネル入り口の古びた煉瓦の壁に「旧御所トンネル 317メ中央線と総武線のトンネル。一番右奥が旧御所トンネルートル」と書かれているのを確認することが出来る。旧御所トンネルを出てしばらくは狭い谷間を走り、突然左に首都高速4号新宿線(三宅坂ジャンクションから赤坂見附、迎賓館の真下のトンネルを抜けてくる)と合流する。

同時に右側には他の3本の軌道が現れる。

電車がトンネルを抜けると信濃町との間が急に低地になり視界が広がる。この辺りは江戸時代「鮫河橋」と呼ばれた場所で、江戸で最大の貧民窟であった。現在では綺麗に整備され「新宿区立みなみもと町公園」になっている。

この公園は東宮御所に一番近い公園であり平成15年5月13日、愛子様がいわゆる「公園デビュー」した場所として東宮御所ウオッチャーの間で注目されている場所である。

それ以来、ここにある小さな象さんの形をした滑り台などの遊具で遊ぶ楽しそうな愛子様と、それを温かく見つめる皇太子ご夫妻の様子がよくテレビで紹介されている。

ここが公園デビューの人気スポットになるのかもしれない。

最後に「われらの記念樹」碑の裏に書かれている名前をそのまま転載させていただく。

「岡崎常太郎

岩倉具栄、稲葉正弘、大村純毅、大鳥圭二、久我通顕、西郷従吾、島津忠承

清水順、田村義輝、中島精一、中村健児、土方久顕、廣幡忠良、廣幡増彌

本荘正則、前島勘一郎、松平直一、松平文友、毛利元道、山内秀夫、山縣有光、

山中勇三郎、木村長敏、渡辺光

昭和49年9月建立 山中勇三郎謹書」

この名前を見ただけでどのような家柄か推測がつきそうである。

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神輿渡御を観て来ましたよ。

東京駅を背にした富岡八幡宮の大きな神輿は、やっぱり絵になります。

多くのカメラマンがシャッター切っていました。

ただし皇居への神輿渡御と言っても、丸ビルの前から日比谷通りの手前和田倉門まで。

此れから先は、警察だか区の管轄が違うので皇居に向かって進むことができないとのこと。

和田倉門から先は、皇宮警察の管轄なのでしょうか。

日比谷通りの手前で神輿を差し、シャンシャンシャンと手締めで終了しました。

真夏の青空の下、金の鳳凰が東京駅をバックに大きく舞っていたのが印象的でした。

各地の夏祭りのHPです。

http://www.todays.jp/cgi-bin/matsuri/matsuridb.cgi?nowmonth=8

地方の小さな祭りまでのサイトは見つかりませんでした。

 

H氏のHPには、尾瀬レポートがアップしています

http://homer.pro.tok2.com/index.htm

 

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http://www.mag2.com/m/0000073086.htm

 

本日、内堀通りの一部が車両通行止めになっていて、お堀の周りはランニングとサイクルを楽しむ人たちが大勢居ました。休日の皇居周辺の雰囲気は、ウイークディとは違うイメージです。暑さに負け、麹町まで歩くことは途中で断念してしまいました。

(大)


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(大)