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========麹町ウぉーカー(麹町遊歩人)NO50==========

久々に落語を聴きに上野「鈴本演芸場」へ出掛けました。

いつもは、JR御徒町で電車を降りるのですが、上野駅で下車してみました。

上野駅というと、体育館のようなドーム状の屋根・雑然とした売店・薄暗い地下道などを連想してしまいますが・・・・・今はすっかりリニュ一アルされていて明るい駅に変身しています。井沢八郎の「あ〜!上野駅」はどこに行ったのでしょう。

上野駅も7月28日で開業120年の節目を迎えるとのこと。これを記念してでしょうか、広小路口前のガード下に「あ〜!上野駅」の記念碑が建てられました。これからも節目を迎える度に、上野駅のイメージは変わって行くのでしょうね?三十数年前の夜行列車の匂いがプンプンしていた頃を懐かしく思い出した120年の節目を迎えた上野駅でした。

節目と言えば、読んで頂いているメルマガ「麹町ウぉ一力一」も発刊50号を迎えることができました。これも、読んでいただける読者の方と、拘りのH氏による取材のおかげです。編集室一同、心より感謝しております。

今回は、同じ50という数ではありますが、50周年を迎えたNHKの話題です。NHKは渋谷というイメージがありますが、ここ麹町界隈にも・・・・・・。

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麹町4丁目の交差点から通称「プリンス通り」を赤坂プリンスホテル方面に

千代田放送会館向かうと都市センタービルの隣にある麹町中学校の正面に「NHK千代田放送会館」(千代田区紀尾井町1-1)がある。隣が前回紹介した赤坂プリンスホテル旧館である。

地上7階の建物の1階ホールでは、大型テレビでハイビジョンが放映されていて、NHKの番組や出版物を紹介するブースもある。奥は食事の出来るラウンジ(ラウンジ千代田)になっている。

2階から上はスタジオで、NHKの関連するいろんな施設があり、最上階には「放送倫理・番組向上機構」(略称=BPO、放送倫理機構)が置かれている。

NHKのホームページによると、平成4年(1992年)12月に竣工したこの建物について「国会議事堂近くの千代田区紀尾井町に位置する、格好の立地条件を最大限に活用し、NHKの報道番組の制作拠点と、本局機能を補完する施設として開設されました。さらに、ハイビジョン等の二ューメディアの普及促進、国際交流など、放送界全体に広く寄与することを目的としています。」とコメントしている。

この会館の道向かいは、国会議員事務所の多い「平河町」であり、自民党本部や国会議事堂、総理官邸等政治の中枢部のある永田町の裏手に位置している。

NHKで放送される総理大臣の会見や日曜日の「日曜討論」などはここで放送されているらしい。

会館の玄関の外には

「NHK千代田放送所跡地 ここは1953年からテレビジョンの草創期をきざんだ記念の地です。199212月」

と書かれたステンレスのプレートが埋め込まれている。NHK千代田放送所跡のプレート

わが国のテレビ放送は昭和28年(1953年)2月の開局したNHK東京総合テレビ(JOAK-TV 第3ch)が最初で、それに続いて同年828日、千代田区二番町にある日本テレビ(JOAX-TV第4ch)が民放最初の放送を開始した(No19)のである。

NHK放送開始当時は千代田区内幸町の現在の「日比谷シティ」の場所にあった旧放送会館で制作した番組をここの千代田放送所の鉄塔(地上高178)を使って電波を発信していた。

続いて、昭和34年(1959年)1月NHK東京教育テレビ(JOAB-TV 第1ch)が、前年12月に完成した東京タワーから送信を始めた。

しかし、同年4月総合テレビのサービスエリアを関東一円に拡大するため、総合テレビの送信を東京タワーからとし、それまで東京タワーから送信していた教育テレビは千代田放送所からの送信へと変更されることとなった。

これにより総合テレビと教育テレビのチャンネルがそっくり入れ替わり、現在のように総合テレビが1ch、教育テレビが3chとなった。

昭和55(1980)からは、教育テレビも東京タワーからの送信となったとのことである。

その後、千代田放送所は紀尾井町分室として、2年ほど予備送信施設となっていたが、隣に建設された赤坂プリンスホテル新館が送信の障害となるため昭和57年の新館が完成と同時に廃止された。

当時のこのあたりの写真を見るとプリンスホテルの隣に赤と白の電波塔を見ることが出来る。No43号の「千鳥が淵公園」で英国大使館正面玄関右側の桜並木の中に「千代田区の歌」の歌碑があり、2番の歌詞に「オフィスセンタア テレビ搭 世界の文化ひしめきて わが千代田区に栄えあり・・」とあると紹介した。昭和30年当時は日本テレビのテレビ塔のみでなくNHKのテレビ塔もこのあたりにそびえ、日本の中心地から文化を国内外には発信していたのである。

現在でもこの近辺には日本テレビや、FM東京だけでなく、一番町のBSジャパン、四番町のミュージックバード、赤坂のTBS、WOWOW等数多くの放送局が拠点を置いている。

くしくも2003年の今年が「テレビ放送50年」であり「そこにNHKテレビ新時代」と銘打っていろんな企画、催しが行われている。さらに地上波がアナログからデジタル放送に切り替わり、日本テレビが番町から港区汐留地区(新社屋「日本テレビタワー」)に移転致するというのも象徴的である。

ここで、ちょっと脇道(抜け道)に逸れてみよう。

千代田放送会館の斜め向かいにある都市センターから平河町に抜ける小道はNo14号で紹介した全国の主だった焼き物が埋め込まれている場所である。都市センターの向かいにある「千代田住宅」と書かれた比較的広い道の突き当りの真下は清水谷公園であり、階段を下ると清水谷公園の公衆トイレの裏にでる。

さらに千代田放送会館と赤坂プリンスホテルの間の道を入りプリンスホテルの駐車場と放送会館の裏の駐車場との間の小道を下ると、清水谷のニューオータニの向かいにある肉がたっぷり入った大きな肉まんで知られる「中華料理維新號(いしんごう)赤坂店」の前に出ることが出来る。しかし、ここは銀座店のように気軽に肉まんを買に入れるような雰囲気はない。

蛇足を承知でもう一つ抜け道を紹介するなら、紀尾井ビルの裏側の階段を下りると清水谷公園の池の裏に出ることが出来る。

これらはいずれもここが紀尾井町かと思うほど、ドキドキするような急な抜け道であるが、一応建築基準法で定められた敷地の一部を一般に開放するいわゆる「公開空地」である。

このあたりを散歩コースとして楽しむためには押さえておきたい紀尾井町の高台から赤坂見附方面への抜け道として紹介しておく。

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早朝に起きることがあって、ラジオをつけると「演歌」が流れていました。

「走れ歌謡曲」、深夜便のトラック運転手のためにトラックメーカー日野自動社が提供している演歌中心の長寿番組です。毎朝3時から5時までの番組です。若い頃は深夜放送のあとに聴きながら眠りについたのに、今は早朝眠りから目を覚まして聴くようになってしまいました。朝日を拝みながら、演歌です。

この放送を流している、東京四谷の「文化放送」も移転の予定です。

 

さて今さらですが、NHKのHPです。

http://www.nhk.or.jp/

 

H氏はこの連休を利用して「尾瀬」へ。HPにアップされるのを楽しみに・・・・。

http://homer.pro.tok2.com/index.htm

 

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(大)