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==========麹町ウぉーカー(麹町遊歩人)NO.104========

もうすっかり秋を実感している北海道から、麹町ウぉーカー104号をお届けします。

北海道は今紅葉真っ盛りです。紅葉前線はこれからどんどん南下していきます。

先日、編集担当の私も、紅葉の中をドライブしてきました。

札幌から小一時間ほどの、秋を連想させる地名の栗沢町方面を、車で走ってきたのですが、途中で珍しい地名に惹かれて寄り道をしてしまいました。「美流渡」ってご存知ですか?

「みると」と読みます。北海道の栗沢町にある地名です。

国道から逸れてどんどん細い林道を登って行くと、「美流渡アートパーク」と小さな看板が立っています。そしてポツンポツンとアトリエのような工房が建っています。全く人気が無く寂しく不安になりますがそのまましばらく走ると右側に「ミルトコッペ」という看板と何か美味しそうな雰囲気が漂っている赤い建物が目に入ります。パン屋さんです。こんな山奥で見つけたパン屋さん、何かほっとしてしまいます。残念なことに到着時間が早すぎて(休日は早起きして行動してしまうものですから・・・・・)まだオープン前でした。HPアドレスです。

http://www9.plala.or.jp/coppe/

「美流渡アートパーク」と称して、アーチックな人が集まってきているようです。もう一度ゆっくり時間をかけて訪れてみたい「美流渡」となりました。

 

麹町の紅葉は、やはり11月には行ってからでしょうか?東京近辺の紅葉状況が一目でわかるHPを紹介します。

http://www.tokyo-park.or.jp/

財団法人東京都公園協会のHPなのですが、見どころ情報の中の「紅葉だより」をクリックすると都内の紅葉状況が一発でわかりますよ。

さてH氏は、麹町から山の手線を越えて、まだまだ緑に囲まれている「迎賓館」を訪れました。H氏のHPの中で、「麹町ウぉーカー」トップページに写真が掲載してあるほど拘りがある先のようですよ。

======================================== 迎賓館南側写真 正面写真 

JR四ツ谷駅を出て迎賓館に向かう道は背の高いアメリカ原産のユリノキが左右対称に植えられ、迎賓館の正門に向かってまっすぐ道が伸びている。正門のゲートは東西約150mあり、ここから望む迎賓館のたたずまいはまことに壮観で、ここが日本であることを忘れさせてくれる場所である。

迎賓館の全容

迎賓館の正門の前には三角形の形をした若葉東公園があり、四谷方面からくる道は、一般車両の直進はできない。公園の前を右に曲がり、学習院初等科の前から坂を下ると一番低くなる場所が南元町公園になっており江戸時代は鮫ケ橋と呼ばれ、江戸最大の貧民窟であった場所である。そしてそこの坂を赤坂御苑の塀に沿って進むと、東宮御所(皇太子の居所)があり、明治記念館〜神宮外苑に至る。

反対に若葉東公園の前を左折して上智大学のグランドのある真田掘り沿いに進むと食違見附の前から紀之国坂、赤坂見附方面に下る。食違見附の斜め前には大名屋敷を彷彿とさせる大きな東門がある。元赤坂の路地を右折して国道246号線に出る角に秋篠宮邸(旧秩父宮邸)がある。そして坂を青山方面に上ると赤坂御苑の中に寛仁(ともひと)親王邸、三笠宮邸、高円宮邸等の皇族の邸宅がある。

迎賓館とそれに隣接する秋の園遊会が開かれる赤坂御苑は広大な緑地である。この場所は江戸時代、紀伊徳川家の江戸の中屋敷で、「西苑」と呼ばれていた。明治維新の後、明治5年に、旧藩主の徳川茂承(もちつぐ)公が皇室にその一部を献上した。

現在この場所に建つ迎賓館は、当時の皇太子殿下嘉仁(よしひと)親王御成婚をひかえて建造が計画され、1909年(明治42年)に東宮御所として建てられ「赤坂離宮」と呼ばれていた建物である。

この建物は鹿鳴館を設計した英国人建築家コンドル博士の弟子といわれる片山東熊(とうくま:長州藩士・騎兵隊にも参加している)が設計したもので、117000uの広大な敷地に鉄骨レンガ造・二階建(地下一階)延床面積:15000uもある広大なものである。幾何学的な対象を重んじる「ネオ・バロック」形式の建物の屋根は緑青を帯び、壁は大理石の重厚な建物でありながらさまざまな装飾が施されている。

この建物はヴェルサイユ宮殿を模して当時の最高の技術力を注ぎ込んで赤坂離宮として建設されたが、あまりの豪華さゆえに建築経費が予定の倍以上になり、父君である明治天皇の『贅沢だ』という一言で、当の皇太子(大正天皇)は一度もここを使った事がないと言われている。

戦後になって、敷地や建物は皇室から国に移管され、その後、国立国会図書館(1948年〜1961年)、法務庁法制意見局(1948年〜1960年:内閣法制局の前身で戦後法務庁(後の法務省)の中の一部局として設置され昭和27年に内閣法制局となった。局でありながらトップが長官と呼ばれる不思議な組織である。裁判官弾劾裁判所(1948年〜1970年)、憲法調査会(1956年〜1960年)、東京オリンピック組織委員会(1961年〜1965年)などに使用された。そして我が国の国際的地位の向上と共に外国要人の接遇の必要から1962年(昭和37年)に池田勇人総理大臣(広島県出身 第58代から60代内閣総理大臣)の発意により、迎賓施設を建設する方針が閣議決定し、1967年(昭和42年)に旧赤坂離宮を改修して迎賓施設とすることが決定された。そして5年の期間と1088億円(工事費101億円、家具等製作費7億円)の費用をかけて、本館は村野藤吾(佐賀県出身)、和風別館は谷口吉郎(石川県出身)の設計協力により1974年(昭和49年)3月に改修されたのである。

内部はヴェルサイユ宮殿に範をとり、天井画・じゅうたん・家具・装飾タイル・シャンデリア、等豪華な美術品で飾られているという。

迎賓館とは、外国の王族、大統領等の国家元首や首相などの国賓を迎え入れたときに、宿泊や食事を出すなどの接遇を行う施設である。外国との接遇に利用され天皇皇后両陛下や皇族などが参加する晩餐会が行なわれることもあるところからこの建物は宮内庁や外務省の所管と思われそうだが、内閣府の施設である。現在の正式名称は「迎賓館赤坂離宮」である。そして館長には特命全権大使を数カ国務めた大使経験者が就任しているといわれる。

主要国首脳会議(東京サミット)でも使われており、各国の元首が国賓として来日した際、迎賓館前の庭で自衛隊による栄誉礼が行われ光景をテレビで目にする場所である。

 

この迎賓館は改修された直後の昭和50年から接遇に支障がない時期を選んで一般参観が行われている。毎年4月末から5月初旬になると新聞等で迎賓館参観の案内が公示される。

往復はがきで希望日を書いて2名まで申し込むことが出来、抽選が行われて参観の可否の通知が届く。晴れて参観が許された申込者には7月下旬から8月初旬にかけて一般参観が行われている。要するにこの時期は暑いため外国のお客様は来日しないのである。

五七の桐の紋のバッジ(中央の桐の花が7個に左右が5個)

麹町ウぉーカーは麹町に赴任して土日を除いてはほぼ毎日迎賓館の素晴らしい景観を眺めながら仕事をすることに恵まれている。そこで平成14年から編集長(大)と共に毎年申し込んでいるのだあるが今まで一度も当たった事がなく、迎賓館の中について多くを語る資格はない。しかし、会社の先輩G氏が連続して参観する幸運に恵まれており、同氏の話と同氏の撮って提供して頂いた写真を参考に紹介する。

迎賓館内部の写真撮影は許されないとのことである。

迎賓館西門で入館許可のハガキと身分証明するものを提示すると五七の桐の紋(桐の葉の上の方に桐の花があしらってあるもののうち、中央の花が7つ、左右の花が5つのもので日本国の紋である。パスポートにも使われている)の青いカラーバッチを受け取って中に入るのだという。

迎賓館南側写真には四ッ谷側の正門の柵越しは見ることが出来ない迎賓館の南正面の様子が写っていた。迎賓館の南側は北側と同じく玄関部分を中心に左右対称になっているが北側と異なり左右の二階がテラスになっておりそれが2本一組の円柱で仕切られている。青銅の屋根には煙突と思われる物が建っている。

そして黒松の生えた手入れのされた庭には意匠の凝らされた大きな噴水があり、上二段が青銅の水盤になっており、一番下には口から水を吐く羽の付いた青銅の獅子がある。

これに対して私たちが四ッ谷方面から日頃目にする北側には、南側と異なりテラスはなく幾分シンプルである。しかし正面玄関の左右の屋根には青銅の武者の像が飾られ、そして左右の建物の中央には四方に「五七の桐の紋」が彫られた大理石に四つ角に黄金の鳳凰があり、中央にある青銅の円屋根に黄金の星が飾られている。そのほか建物の細部にわたり意匠の凝らされている。

その他数々が写っており、迎賓館の庭から見渡す周りの景観(ニューオオタニ、六本木ヒルズ、オリコ本社ビル等)が青空に映えて見事である。

(参考にさせていただいたG氏撮った素晴らしい写真はWEB版に紹介させていただきます。迎賓館南側写真 正面写真迎賓館玄関

先に紹介した屋根にある黄金の鳳凰や青銅の鎧武者は四ッ谷方面の柵の外からはとても遠くはっきりと見ることができない。そこで数回、迎賓館の正面から双眼鏡で観察したのであるが、とても勇気のいることで、結局警備の警察官に職務質問される羽目になってしまった。麹町ウぉーカーは写真を持ちながら「屋根の造形を確認のため」と釈明したのであるが・・・・・。(私はテロリストではありません)

 

ところでこの迎賓館参観は、平成18年1月から平成20年3月まで、迎賓館の総合改修工事が行われるため、この間の参観は実施されないという。

 

最後に、JR四ツ谷駅を出ると駅の前に架かる「四谷見附橋」(1913年建設)にはネオ・バロック風の橋灯や欄干があるが、この意匠は橋の建設にあたり迎賓館と調和するようにつくられたものであることを紹介しておく。(麹町ウぉーカー33号で紹介)

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実は本日冒頭に書いた「ミルトコッペ」へ行ってまいりました。紅葉真っ只中午前10時に到着したのですが、戸口にご主人が立っていて「本日は完売しました」と丁寧に頭を下げられました。またまた残念という結果に終わりました。

帰り道に近くの「風致公園」で紅葉を満喫し、映画の街「夕張」で人気の「藤の家」という蕎麦屋でカレー蕎麦をいただいてきました。

さてH氏のHPでは、トレッキングだけではなく地元伊奈町のサイトも次々と更新されていますよ。

http://homer.pro.tok2.com/index.htm

 

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(大)

平成17年10月16日配信


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