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ブドウ発祥の地、勝沼町「大善寺」

この寺は甲州葡萄発祥の地とされている。養老2年(718年)僧行基がこの寺を開創し、その薬園で薬として中国から伝えられたものを栽培したと伝えられたという。

甲府盆地の東にあり盆地から笹子の山にまさに入らんとするところにある。この本堂は県内では最も古い建物で中に国宝の薬師如来が収められているところから薬師堂とも言われる。大善寺

このお寺は私にとって特別な場所であった。昭和42年のことであったと思う。私が小学校6年生のとき、テレビで武田信玄の映画を見た。その中で信玄が大きなブドウを食べていた。鹿児島県薩摩半島の突端にある坊津町という小さな漁村で育った私には大きなブドウは舶来のものという意識があった。翌日、先生に「信玄がブドウを食べていたけど、あの時代にあんなブドウがあったのですか?」と質問したのである。

若い先生だったがすぐに調べてくれた。大学時代の同級生に甲府出身の人がいたらしく1週間後に大善寺の事を教えてくれた。

これが私と山梨県との係わり合いの原点であり、32年後の平成11年9月甲府支店転勤の内示を受けたときこの出来事が一番に頭に浮かんだ。そして赴任して最初に訪れた場所がこのお寺であることはいうまでもない。

ブドウに関する異説として文治2年(1186年)雨宮勘解由が山で見つけたブドウを家に持ち帰り庭に植えたのが始まりという説もある。これは事実に近いもので前者は日本中にあるスーパーマン行基和尚の伝説なのかも知れない。ちなみに私の前任地会津若松市の東山温泉も行基の発見であるとされている。

ブドウは江戸時代の中期「甲州みやげに何もろた郡内しま絹ほしぶどう」と歌われるほど名物として知られている。松尾芭蕉も「勝沼や馬子もぶどうを食べにけり」と詠んでいる。

主に中央高速勝沼インターの岩崎地区(現在ワインバレーと呼ばれている)が主な産地で、甲州街道の勝沼の宿を訪れる人たちが全国に広めていったのであろう。このエッセイのタイトルの縁由となった柳沢吉保の家臣荻生徂徠が甲州を訪れた時の「峡中紀行」のなかにも勝沼のぶどう棚と賑わいが書かれている。

私と山梨のワイン

私は山梨転勤にあたり単身赴任となった。社宅に入り一人で生活をはじめると、どうしても冷蔵庫の中はビールとつまみで満たされそうであるが、この1年ビールを3本しか入れたことがない。山梨に住む以上、ワインを極めるべきではないかと考え、この冷蔵庫に酒はワインしか入れないことに決めた。

因みに私のこの時点でのワインの知識といえば「ボジョレ・ヌーボーBEAUJOLAIS NOUVEAU)」で何故か日本中が大騒ぎすること(甲府に来るまでヌーボーNOUVEAUが「新酒」を意味することを知らなかった。)、「赤ワインは肉料理、白ワインは魚料理」といわれていること、ソムリエは田崎真也氏、値段が高くないと美味しくないのか? 生まれが災いして焼酎それも私の地酒である「薩摩白波」が一番うまい酒だと思っているこのようなレベルであった。

山梨の現在のワイン作りは、明治10年勝沼に設立された大日本山梨葡萄酒株式会社が土屋龍憲(リュウケン)、高野正誠両氏をブドウ栽培とワインの醸造技術を習得するためにフランスに派遣したことに始まる。

勝沼町に入ると、いたるころに帽子にコートを着た二人の男性がブドウの苗木を見ている図柄の標識を目にする。誠にレトロで風情のあるすばらしい標識である。この二人が土屋、高野両氏である。

大日本葡萄酒株式会社は9年後に閉鎖したが、高野、土屋両氏は求める者にはブドウと、ワイン作りをわけ隔てなく教えその技術を広め、現在の山梨の基礎を作ったのである。因みに、大日本葡萄酒株式会社の跡地が現在のメルシャン勝沼ワイナリーである。

現在では大手資本のワイナリーから地元の農家が自家用のワインを作る小さなワイナリーまで多くの醸造所がある。確か30以上の醸造所があると聞いた。

マンズワイン勝沼ワイナリー私は甲府に来てまずマンズワインの勝沼工場を訪れた。ここを尋ねる事はワインを何も知らない者にとってはいい方法である。決してここではいくらでも試飲ができる、ただで酒が飲めるという根性で行ってはいけない。

ぶどう収穫シーズンの10月の末には工場に運び込まれたぶどうを圧搾する工程から赤ワイン・白ワインのつくり方の違い、発酵、澱(オリ)の処理、ビン詰や樽熟成、ビン熟成、コルク栓の作り方など工場見学をさせてくれる(シーズン・オフはビデオに変る)。

白ワインはぶどうを絞り、皮を捨ててその汁のみを発酵させるのに対して赤ワインは絞った汁と皮を同時に発酵させる。従って赤ワインは皮のところにある渋みの成分が発酵され赤ワイン独特の渋みになってくる。赤ワインは樽で熟成させるが白ワインは主にビンで熟成させる。これにより樽の香りがワインにつき独特の風味、風合いを出す。赤ワインは重たいものになっていく。白ワインは寝かせることによりフルーティーな軽さがなく落ち着いた風格のあるものになる。

ワインにはヴィンテージ物という表現があるがこれはウイスキーのように寝かした年数でなく、とれたブドウの年のことを言う。良いブドウができた年がビンテージワインを造るのである。これによりワインの基礎知識が一通り身につく。これは後々重要である。

最後に地下の保管庫の見学が終わると試飲室に誘導されいろんな種類のワインを楽しむことができる。そして気に入ったものを買うことができる。ここで造られている全てのワインを試飲することができる。私はここで初めて造りたてのフルーティーな若いワイン、樽熟成の重い赤ワイン、ビン熟成の芳醇な白ワインなど一応経験することができた。

値段によってしかワインを知らなかった私にとって、好みのワインとは決して値段ではないことを自覚させられた。それから私の県内のワイナリーめぐりが始まった。

観光的には双葉町の高台にあるサントリーのワイナリーも良い場所である。防空壕のような洞窟を使った貯蔵所は圧巻である。その後、高台にあるレストランからの甲府盆地の眺めは見事である。

ちなみに私はそのワイナリーの代表的なものをまず1本だけ買うようにしている。だいたい1500円高くても3000円までのものである。それだけのことでまだまだ奥が深いワインの世界でたいしたことはいえない。丸藤葡萄酒工業の「ルバイヤート」は表現に困る独特な辛口の美味しい白ワインである。甲府市内のサドヤ醸造所の「シャトーブリアン」赤少々値が張る重たいしっかりしたワインである。サドヤのワインは概して上級者向きである。そして重厚なルミエールの「シャトールミエール」、茂原ワインの「ヴィンテージ」もいい。2001年LumiereのNouveau(デラウエア)やや甘口のすっきりした仕上がりのワインが出来ました。ラベルはワインの石蔵に住む妖精たち。

書き出すときりがなく味の表現方法に自らの能力の限界を感じるのでやめにする。ワインを表現する為には「芳醇な」とか「重い」、「しかりとした」、「すっきりした」等というどちらかというと「抽象的なるがゆえに命ある言葉」それも、個人の主観に左右される味覚表現という抽象的言葉の羅列になってしまうからである。

ただ、私のつたない経験を少し紹介するならば、新酒の季節フルーティーなヌーボーを飲むときには形式張らずに「杯をもて、さあ卓をたたけ、立ち上がれ、飲めや、歌や諸人・・・」という「乾杯の歌」が似合いそうである。

赤ワインには「ボディ」という表現を使う。ワインを口に含んだときの重量感を表す言葉であり、軽いのを「ライトボディ」、力強くて重たいのを「フルボディー」などと表現する。これは、白ワインにはあまり使わないようである。白ワインには甘口、中口、辛口という表現が使われる。

白ワインははしっかり冷やして飲むのがいいが、より正確には辛口はしっかり冷やして、甘口は幾分冷やしてというべきか。春から夏にかけての暖かい季節は甘いワインより辛口のワインが口になじむ。そういえば日本酒でも甘口の冷酒というのはあまりない。すっきりした辛口のワインとはいうがねっとりした辛口のワインとはいわない。スッキリしたという言葉は辛口にかかる枕詞である。ただ赤ワインの場合「スッキリした渋み」なる表現を使うらしい。

赤ワインは常温でいいといわれるが、常温では美味さがよく分らずに渋みだけが際立つようである(ただこの常温の定義に問題がある。暗室の温度の低いワインセラーであればそれも可なのであろう。)従って飲む前に少し冷やして飲む。赤ワインの場合、重たいハードボディーよりライトボディーのほうが幾分冷やしたほうがいいようである。

赤ワインの渋みに関しては個人の好みの問題であるが、これが分らないとワイン通でないといわれると困る。赤ワインの渋みに関してはいまだによく理解できないが、樽で熟成することにより樽独特の香りがつき、しっとりした奥ゆきと深みが増していくのは理解できる。特に白ワインの樽熟成は芳醇という言葉がぴたりあう懐の深いワインに仕上がる。さらに赤ワインはコルクを抜いてから一時空気にさらすのがいいといわれる。赤ワインには大きな広口のワイングラスが使われるのはそのような理由によるものなのだろうか。

ワインが、良いブドウを使って、良い技術で、十分に寝かせて造られるとそれなりの値段がしてくることは納得いく。ただそれには、若くてフルーティーなワインが分って徐々に理解できることであり、最初からワインのもつ芳醇さや渋み等を理解できる人がいたらそれはよほどの味覚の持ち主であろう。

私の貧弱な味覚では自己満足に終わりそうなので、一つの基準となるワインを定めた。それは「ルミエール」のワインである。ルミエールは勝沼町ではなく一宮町の醸造所であり、世界のコンクールで何回も入賞しているシャトーマルゴーの樽が使われるルミエールのワインワインである。あまり私らしくはないのであるが世界に認められたワインはワイン後進国であった我々にワインのグローバルスタンダードを示してくれているものだと考えたからである。

ラベルに社主である塚本氏のネームがプリントされているところに自信の程が伺える。ハーフボトルの「プチルミエール」で少しずつ赤ワインのよさが理解できるようになってきた。しかし、まだ赤ワインを私自身の味として理解し得るまでには至っていない。それでも「シャトールミエール」は何かの記念日には買い求めて味を極めたいワインである。

このくだりは2000年11月16日に書いている。そうボジョレ・ヌーボーBEAUJOLAIS NOUVEAU)解禁日である。目の前に1本のボジョレ・ヌーボーがある。これを口にすると赤ワインのそれではない。言い過ぎかもしれないが渋味をほとんど感じさせない軽い発泡酒である。ワインの重さと渋みをよしとする人たちがこのワインをなぜにここまで歓喜を持って迎えるのであろうか。ワイン通を自称する人たちもいつも重たいワインだけでは疲れるので年に一度は息抜きがしたいのではないか。この日はそのような日なのかと思うのだが失礼であろうか。

冗談はさておいて、長い熟成期間をおいて飲まれる普通のワインに対して短期間で飲みやすいワインがボジョレ・ヌーボーなのである。赤ワインはブドウを絞り皮とともに発行させるのに対して、ボジョレ・ヌーボーはブドウを破砕せずにそのまま発酵させる。その絞り汁を再度発酵させることにより短期間でできるボジョレ・ヌーボーは赤ワイン独特の渋味の成分であるタンニンができないのだという。本当のワインを知っている人たちが美味しい新酒を楽しむために作った本当のヌーボーなのである。

赤ワインの渋味を克服できない人には「ボジョレ・ヌーボーに乾杯!」である。

最後に最初このくだりは「現在の山梨ワイン事情」なるタイトルを予定していた。ところがそのようなこと書けるものではないと気づき、自分の山梨での体験をひたすら綴った次第である。これだけこだわれば貧弱な味覚もそれなりに経験したということは認めていただけるであろうか。そしてこの下りを書きながらますますワインにのめり込んでいっている自分に気づかされた。この一年山梨のワイン以外の酒は冷蔵庫に入れず、原則として山梨のワインしか口にしないという私はマニアックであろうか。

それでも「ワインはワイン、酒は薩摩白波が一番」というのは変っていない。


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