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会津見て歩記Photo版(9)

会津藩主松平家御廟

東山の武家屋敷の少し、先にある。鬱蒼として日差もささない大きな杉の生える湿気の多い参道を進むと、まず2代藩主正経(マサツネ)公の墓がある。それから五分ほど登ると大きな石の柱の林立する広場に出る。その石はどれも大きな亀の形をした台座に乗せられて、1メートル以上の正立方体の高さ三メートルはある。その表面にはそれぞれの墓の主に関する生い立ちや性格、業績などが漢文で書かれている。向かって右から第3代正容(マサカタ)公、第5代容頌(カタノブ)公、第6代容住(カタオキ)公、第7代容衆(カタヒロ)公、一番奥に入って第9代容保公と斗南藩主容大(ハルカタ)公と続きそこには夫人や側室の墓もある。 この墓の一番右側にある3代藩侯の墓の前から小道を進むとその奥に第4代容貞(カタサダ)公、第8代容敬(カタタカ)公の墓がある。 それぞれの墓はそれぞれ大きさが異なるがここで一番大きな正容公の墓は約1メートル80センチはあろうかという約三メートルの高さの石柱(竿石)と一段高くなった丘の上に墓石(御表石)、その又一段奥の峰に八角形をした奥の院の三つがセットになった神式の作りになっている。 この作り方は初代保科正之公の猪苗代にある土津(ハニツ)神社と全く同じである。しかし、第2代藩主正経公の墓は仏式の作りとなっている. map

2005年7月17日撮影


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