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会津見て歩記Photo版(10)

御薬園(会津松平庭園)

御薬園は室町時代に霊泉の湧きだしていたこの地に、永享4年(1432年)、蘆名盛久が別荘を建てたのがはじまりと言われている。その後の江戸時代の寛文10年(1670年)、会津藩2代藩主保科正経公が領民を疫病から救うために園内に薬草園を作り、3代藩主松平正容公が貞享年間に朝鮮人参を試植し、その栽培を民間に広く奨励したことが名前の由来となっている。
現在の庭園は、元禄9年(1696年)、正容公が、庭師目黒浄定を招き、小堀遠州の流れをくんだ、回遊園路を設けた、東側の背炙山の連山を背景とした借景池泉回遊式庭園本格的な大名型山水庭園に大改造した。
楽寿亭や御茶屋御殿の建物は、戊辰戦争時に新政府軍の傷病者の診療所とされ、戦火を免れた。昭和7年(1932年)10月19日に、徳川時代の代表的な大名型山水庭園として優秀なものとして国の名勝に指定された。
昭和54年(1979年)6月25日には旧薬園跡、池水取入口などが追加指定された。 MAP

御薬園
重陽閣
東山温泉新瀧温泉の別館を移築したもの。松平家子孫で
秩父宮妃勢津子殿下・御家族が、昭和3年、会津若松にお越しの際に宿泊したもので、殿下の誕生日が9月9日即ち重陽の節句であることから名付けられたという。
薬園
庭園北側には藩政時代の薬草栽培地跡を利用した薬用植物標本園があり、会津産薬草約200種を含め約400種の薬草が栽培されている。
楽寿亭
心字の池の中にある亀島の上に建つ楽寿亭。
女滝からの心字の池と御茶屋御殿
楽寿亭
藩の重役たちが密議を行った場所とか。
右側の濡れ縁には戊辰戦争のときの刀傷が残る。
御茶屋御殿と楽寿亭
御茶屋御殿から心字の池と女滝
背後には背炙り山

2010年6月5日撮影


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