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会津見て歩記Photo版(8-2)

蒲生氏郷の墓

神明通りアーケードの脇に「蒲生氏郷公の墓」の案内が立っている。神明通りから筋を入ると「興徳寺」という臨済宗の寺にでる。鶴ヶ城の城郭の一番北に位置していた寺で現在の神明通りの中央あたりまでは城郭と堀であった。豊臣秀吉の奥州仕置きに際してはその中心地となった寺である。 狭い境内の正面には蒲生氏郷公の辞世の碑がありその右奥に氏郷公の遺髪が納められている五輪塔がある。その五輪塔はそれほど高いものではないが、上から「空、風、火、水、地」と彫られている。その脇の辞世の碑には「限りあらば吹かねど花は散るものを心みじかき春の山風」と刻まれている。銀鯰の兜で知られ文武に秀でた有能な武将の無念の気持ちが表れている。 map
蒲生氏郷公の参道の脇にひっそりとたつ碑には会津藩最後の殿様松平容保公の「百(もも)とせを三たびかさねし若松のさとは幾千代栄えゆくらん」という容保公に自作自筆を刻んだ歌がある。この歌には会津にいるとき知らなかったが、容保公の最後の殿様としての気持ちが現れている。

正面の碑に辞世の「限りあらば吹かねど花は散るものを心みじかき春の山風」と刻まれている。
蒲生氏郷公の墓
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松平容保公の「百(もも)とせを三たびかさねし若松のさとは幾千代栄えゆくらん」という容保公に自作自筆を刻んだ歌がある。

2005年7月17日撮影


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