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関東郡代伊奈氏

. . よみ 通称 官位兼職名 就任 退任 在職期間 トピックス
初代 伊奈忠次 タダツグ 半左衛門 従五位下備前守 天正18年8.1 慶長15年6.13 20年 勝願寺の墓
2 伊奈忠政 タダマサ 半左衛門 従五位下筑前守 慶長15年6.13 元和4年3.10 8年 .
3 伊奈忠治 タダハル 半十郎 勘定奉行 元和4年3.11 承応2年6.27 35年 茨城県福岡堰「伊奈神社」
4 伊奈忠克 タダカツ 半左衛門 . 承応2年12.22 寛文5年8.14 12年 .
5 伊奈忠常 タダツネ 半十郎 . 寛文6年3.19 延宝8年1.4 15年 .
6 伊奈忠篤 タダアツ 半十郎 . 延宝8年9.7 元禄10年10.19 17年 .
7 伊奈忠順 タダノブ 半左衛門 . 元禄10年12.10 正徳2年2.29 15年 怒る富士 須走伊奈神社
8 伊奈忠達 タダミチ 半左衛門 勘定吟味役上座 正徳2年5.26 寛延3年7.30 38年 .
9 伊奈忠辰 タダトキ 半左衛門 奥右筆頭組次席 寛延3年7.30 宝暦4年9.5 4年 .
10 伊奈忠宥 タダオキ 半左衛門 従五位下備前守 宝暦4年9.5 明和6年12.7 15年 .
11 伊奈忠敬 タダヒロ 半左衛門 勘定吟味役上座 明和6年12.7 安永7年3.12 9年 .
12 伊奈忠尊 タダタカ 半左衛門 従五位下摂津守 安永7年6.6 寛政4年3.9 14年 .
川口市にある「朝散太夫備前権守伊奈氏碑銘」 須走伊奈神社 茨城県福岡堰「伊奈神社」 郡代屋敷 伊奈熊蔵家次奉書の定書
管理者Homerが始めて関東郡代に興味を持ったのは平成3年に伊奈町に住み始めた頃ではなく、2000年に転勤で伊奈町を離れ山梨県甲府市に住み始めたときに始まる。
県立図書館の郷土資料室で目にした「江戸時代の有能な代官」の筆頭に「伊奈熊蔵忠次」の名があり、さらに武田勝頼公が自刃して武田氏が滅亡した大和村の景徳院の由来を読んでからである。武田氏が滅んだ後、徳川家康公が武田氏の菩提をともらうために景徳院を安堵するときに使者として来たのが「熊蔵」こと「伊奈忠次」であるという記録を読んだ。
さらに仕事で山中湖に行った折、土地の古老から富士山の宝永の大噴火の救援活動のために活動したのが関東郡代伊奈氏であり「須走」に伊奈神社があるという話を聞いたことに始まる。
関東郡代の正式な職名が使われるのは3代目からである。そして12代目が改易されるまで伊奈家が世襲した。改易の後関東郡代の職は廃止され関八州見回り役となる。江戸時代関東郡代伊奈氏のなした功績は多大なものがありまた広範囲に広がっている。代表が「利根川の東遷」であり、江戸湾に流れていた利根川を銚子の太平洋に流して江戸の洪水を防ぎ、耕作面積を広げたことであろう。まとめるのはなかなか難しいが少しずつ紹介できればと思っている。(2003年10月3日)
2010.6.27更新

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