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歌碑等

坊津歴史資料センター(輝津館)の前は和楽園と呼ばれる番所(ばんどころ)跡。その隣にある岬の小山には昭和20年に海軍暗号兵として坊津に駐屯し、戦後小説「桜島」を発表して文壇にデビューした梅崎春生の碑がある。梅崎は38年に再度坊津を訪れ雑誌「旅」に紀行文を書き、40年に坊津を舞台にした「幻花」を出しこれが遺作となり後にテレビドラマになった。
さらにこの小山の途中には終戦間際にこの入り江に配備されていたボートの特攻艇「震洋隊」の基地があり、その碑がある。
さらに輝津館から少し泊よりに行った泊漁港の隣にある九玉神社の入り口に谷崎潤一郎の「台所太平記」の碑が建っていたが、現在は丸木崎峠に移っている。。
坊の岬を取り上げたものとしては水上勉の「坊の岬物語」(河出書房新社 1965年)を読んだことがある。
関連して「老いらくの恋の歌人川田順尾歌碑の歌碑が残る聖蹟野間池」.川田順は坊津でも3首の歌を残しています。
昭和14年12月、笠沙を訪ねた後、坊津町をへて長崎鼻に行っている。
その時坊津で詠まれた歌に坊津の様子がよく詠まれている。
@「坊津も久志も泊もこの国の 古き港は似てをおもしろ」
A「かつお船を久志の浦にて一つ見しが 坊津もまた一つ居るのみ」
B「火山島を沖合にしてこの磯の 松原の松あかるく青し」
輝津館の前は和楽園と呼ばれるに名とに出入する船の検問をする番所跡である。
異国船・唐船に対しては積荷、旅客の検査で特に貨物の他領積み出し、他領人の入国、禁制品取り締まり、禁制の一向宗、キリスト教信者の取締りに気を配ったという。
「人生は幻花に似たり」と書かれた梅崎春生の碑
小山の山頂にある
震洋隊記念碑
登り始めて10m程行った右側に建つ。
鰹漁師遭難慰霊碑
台所太平記
泊漁港脇のの九玉神社に建っていた。
谷崎潤一郎のお手伝いさんは泊の出身者が多かった。それを題材にした小説「台所太平記」の碑
さつま潟とまりの浜の乙女子は嫁ぎてもゆくか伊豆の猛夫に 潤一郎 S.43.4.6
この碑は平成27年丸木崎展望台に移されている。
丸木崎展望台に移った台所太平記の碑
後が谷崎家で活躍したお手伝いさんたちの生れた泊。
 展望台の左手前にある。
 水原秋櫻子の歌碑
輝津館、坊津支所の隣に建っている。
昭和34年4月にこの地を訪れ2句を残している。秋櫻子は山口誓子、阿波野青畝、高野素十と共にホトトギスの同人として知られる俳人である。
2019年1月追加
 

かつお船 来そめ坊津の春探し
秋櫻子


2019年1月追加


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