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岩木山
(1625m)
2009年5月5日(晴れ)
妻と二人のパーティー

津軽平野に聳える岩木山は津軽富士とも呼ばれる美しい山。岩木神社にお参りしてその境内に1合目登山口がありそこから登るのが本道であろうが、お手軽登山を目論んで八合目から雪の中登った。ところが残雪期の登山は夏ルートでは想像もできないハードなものであった。
御蔵岩の下の雪面はとても急で、ピッケルやアイゼンを持たない登山者は途中で登山をあきらめて帰っていった。御蔵岩から上もブッシュ漕ぎに岩登りととてもスリリングでした。それに正規な下山道も想像以上の急な岩場の下りでビックリしました。
また山頂からの展望は格別で眼下に津軽の平野の人々の営みがあり、東には八甲田山、南西に白神の山並みそして日本海に津軽半島など、これほどバリエーションに富んだ山岳展望は他では経験できない。
前日、弘前の方から「岩木山は弘前の人間の誇りですから」とさらりと言われたのが感動でしたが、山と人びととの係わりのこれほど深い山も他には無いのではないかと思われる。
【ルートタイム】
8時55分:八合目駐車場⇒9時53分:御蔵岩下⇒10時10分:御蔵岩(発)⇒(藪漕ぎ)⇒10時23分:御蔵岩上部の岩場⇒10時27分:登山道⇒10時30分:岩木山山頂(着)⇒10時52分:岩木山山頂(発)⇒11時12分:鳳鳴ヒュッテ⇒11時25分:鳥之海噴火口⇒11時28分:九合目リフト(着)⇒11時40分:九合目リフト(発)⇒11時58分:八合目駐車場
8時50分 八合目駐車場
標高:1247m
とても広い駐車場には食堂と売店とトイレ、リフト乗り場がある。
残雪を山頂直下に見える御蔵岩を目指して登る。
詳細写真
9時21分
9時38分 眼下に八合目駐車場と山麓
この残雪は上部に行くに従ってとても斜度が増してくる。
御蔵岩
急な雪原の上部は潅木が茂ってきてそれを越えて登る。
9時52分
9時53分 御蔵岩
この岩の真下は手ごろな休息場所になっている。
御蔵岩の下を左にルートをとる。少し岩を攀じ登りブッシュに出る。
右にルートをとってもいいようである。
詳細写真
10時12分
10時14分 このブッシュを漕ぐことになる。アイゼンを外しピケルを駆使して藪を切り抜ける。
右上の岩に取り付くことにする。
御蔵岩の背後は穂高のザイテングラードのように岩場が続きブッシュより岩場が登りやすい。 10時24分
10時24分 大きな岩の右に登山道が見えてきた。
山頂下の登山道(おみ坂の上部)
この先は山頂である。
10時27分
岩木山山頂
標高:1625m
詳細写真
津軽平野の独立峰は360度のパノラマ
右:岩木山神社奥宮
左:岩木山山頂の避難小屋と背後のトイレ
山頂は360度のパノラマ
10時54分 下山を開始する。
この坂は「第二おみ坂」というらしい。
平坦地に避難小屋があり「夢のカプセル1625埋蔵地」の標柱が立っている。
この平坦地から上の急な岩場の登りを「第二おみ坂」というらしい。
11時2分
11時9分 眼下に鳳鳴ヒュッテ
かなり急な岩場の下りである。
この急坂が「第一おみ坂」らしい。
鳳鳴ヒュッテ
昭和39年1月6日秋田県立大館鳳鳴高校山岳部の生徒が厳冬の岩木山に百沢口より登頂、下山途中猛吹雪のため4名が遭難死した。
このフュッテは昭和40年9月22日、全国から寄せられた善意を元に岩木町が建設した。
フュッテの向かいの大きな岩の前に慰霊碑が立ている。
11時12分
11時25分 鳥ノ海の噴火口
リフト乗り場(9合目)
右手の休憩所でリフト営業時は自動販売機もある。
標高:1470m
詳細写真
11時28分
11時44分 リフトが動いていないためリフトのケーブルの下を真っ直ぐに駐車場まで下る。
八合目駐車場上の残雪。
下山したら駐車場には沢山の観光客で溢れていた。登り始めて3時間で帰ったきた。
八合目からお手軽登山と思っていたが雪山の登山はなかなか大変であったがとても楽しい山でした。。
11時55分
【アクセス】大鰐・弘前I.Cアップルロード津軽岩木スカイライン約1時間 【津軽岩木スカイライン】営業時間 AM8:00〜PM5:00、小型自動車1750円
【岩木山ネックレスロード】
岩木山の回りには岩木山オオヤマザクラネックレスロードという環状の道が整備されている。オオヤマザクラが植えられてとてもきれいな道路であり、所々に「ゆとりの駐車場」がありトイレと東屋が設けられ休息するには最適の場所である。道の駅ほどではないが登山のための車中泊や休息には便利な場所である。
【その他】
岩木神社から高照神社過ぎてネックレスロードを2kmほど北側にいった場所にある岩木山と弘前の平野が見渡せる「ゆとりの駐車場」の東屋で朝食を摂ち、コーヒーを楽しんでいると、そこに島根ナンバーの高級車に乗り水を汲みに来た男性に声をかけられた。
話によると氏は島根県出雲の方で弘前で行なわれる「全日本りんご追分コンクール」の大会に弟子を連れてくるうちに弘前が大好きになり、岩木山麓のりんご畑を高齢になり耕作できなくなった農家から買って、りんご農家を経営しているとのこと。春先に島根から弘前に御夫婦で弘前にやってきて、畑の中のまだ水道も通っていない家(小屋)で寝泊りし、農作業をし、秋に収穫して、りんごとジュースを島根に送るらしい。畑の中の小屋に水道が無いため頂に来ているとのことであった。元々は山形の出身で、若い頃、全国実業団駅伝で華の一区を走ったこともあるとのこと。とてもハンサムな方で、また頂いた名刺によると島根県スポーツトレーナーでもあり、歌手でもあった。弘前での生活もとても楽しんでおられ、とてもパワフルな生き方に感銘を受けた。
2009年5月5日撮影 CANONG10

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