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雪と紅葉の涸沢
(2300m)
2006.10.7〜8 妻と二人のパーティー 
曇り、雨のち吹雪

登り 下山

6時45分:上高地バスターミナル(着)
7時8分:河童橋
7時54分:明神(着)
8時15分:明神(発)
9時7分:徳沢(着)
9時13分:徳沢(発)
10時28分:横尾(着)
11時23分:横尾(発)
12時35分:本谷橋(着)
12時50分:本谷橋(発)
15時5分:涸沢(着)

8時28分:涸沢(発)
10時20分:本谷橋(着)
11時45分:横尾(着)
12時08分:横尾(発)
13時28分:徳沢(着)
14時9分:徳沢(発)
15時00分:明神(着)
15時08分:明神(発)
16時8分:河童橋(着)

写真をクリックすると詳細写真をごらんになれます。

7日6時に沢渡の駐車場に2泊3日で車を止めて今年から認可になった沢渡⇔上高地まで3900円のタクシーに静岡から来たという登山者夫婦と相乗する。

上高地河童橋

運転手によると朝5時ごろが混雑のピークで6時ごろは一段落したところだという。

上高地のバスターミナルは入山届けを出し、出発の準備をする登山者でごった返している。他の登山口で見たことのない人の数である。

少し歩いて憧れの河童橋。残念ながら曇っていて、写真で目にする穂高のパノラマはない。

河童橋を過ぎると小梨平キャンプ場。起伏のほとんどないなだらかな桂川沿いの登山道を歩く。約1時間で明神。そしてそこから約1時間で徳沢に着く。徳沢は井上靖の「氷壁」の舞台として知られ、林間のとても綺麗なキャンプ場を備え、趣のある山荘である。

それから15分ほどで新谷橋を過ぎて、1時間弱で穂高と槍ヶ岳の分岐点である横尾山荘に着く。ここまでは軽い装備で桂川沿いの景観を楽しみながら来る事ができるハイキングコースである。

横尾大橋横尾山荘のラーメンが11時から始まるというので、それまで待って食べることにする。待った甲斐があってとてもあっさりした美味しいスープのラーメンであった。

それにしてもここまでの間にある公衆トイレは何処も長蛇の列ができている。特に横尾のトイレはこれから先、涸沢までトイレがないため、下山組も含め30分以上並んでいる。

横尾橋を渡り、屏風岩を回りこむように本谷橋まで約1時間の登山道は穏やかな道であるがとても狭く、下山してくるパーティーとの間でお互い、譲り合いで待たされることがたびたびある。この1時間のルートは迫力ある屏風岩を楽しむことができる。

本谷沢にかかる吊橋は人一人渡るのがやっとの吊橋でとても揺れる。

ここで雨が降り始めたためレインウエアーを着込む。本谷橋

本谷橋を渡ると30分ほど急な登りになる。そして幾分穏やかになると3ヶ所ほどガレバを渡る。この辺りから紅葉が色づいてくる。そして見上げたV字の谷間に涸沢ヒュッテとテントが見え始めると、紅葉がますます色鮮やかになる。

そしてここから涸沢までがなかなか遠い。しかし、谷合の水音を聞きながら登る紅葉の登山道はとても楽しい。涸沢の紅葉は真っ赤に色づいたナナカマドがあるかと思うとまだ緑の葉に赤くたわわな実をつけたナナカマドもある不思議な光景である。それにつけて山が紅葉に染まって、赤、黄色、緑色と岩肌の白色のコントラストが見事である。欲を言えば、その頭上に青空が広がっていたなら、どんなに素晴らしいだろうかと期待を抱かせる景色である。

涸沢ヒュッテ下には雪渓が残り、そこにある涸沢ヒュッテ(左)涸沢小屋(右)の標識を過ぎると5分ほどで涸沢ヒュッテにつく。

涸沢のテント場残念ながら雨と風が強くなり涸沢カールの上部は望めない。涸沢ヒュッテから上部にある涸沢小屋までの間に張られているテントの数は今まで経験したことのない程の数で、黄色、赤、青、緑のテントがそれ自体紅葉のように見事である。テント場はすでに沢山のテントで埋まり設営する場所が見当たらない。その上冷たい雨と強い風が吹きあれ濡れた手を凍えさせる。

テントを張るにも風が強く凧のようになり、濡れた手がかじかんで、あまりの寒さと凍えで、冬山で寒さのため気力を失って遭難する瞬間はこのようなものかという厳しい状況であった。これは私の周りの連中も同じ思いだったようで、テントが張れず・・又気力が萎えて山小屋に逃げ込んだ登山者がかなりいたとのことで、山小屋は1畳4名の混雑だったという。

 

寒さに凍えながらなんとかテントを設営しているときに上空にレスキューのヘリが舞い上がり、救助隊員2人をつるして奥穂高に登るザイテングラードに降ろし、遭難した人を担架でつるして降りてきた。レスキューの場面は初めて目にしたがすごい光景である。それにしても台風のような風の中で飛ぶヘリのパイロットは大変な職業である。

やっとのことでテントを立て風の強さにテントを飛ばされないようにテントのロープを岩につなぎ、どうにかテントを張り、濡れた体でテントに入る。暖を取るためにテントの中でストーブをたき何とか、気力が回復。

シュラフは最新のもので氷点下6度まで対応できるもので心配はなかったが、一晩中、吹雪に叩きつけられて過ごした。

それにしても悪天候の中でダンロップの山岳テントは風にも雨にも雪にも強いと信頼を新たにする。涸沢のテント

翌朝目が覚めるとテントは雪の中で、涸沢のカールは前日とうって変わって真っ白な雪の世界であった。

涸沢ヒュッテのトイレは長蛇の列で30分以上も待たされた。ところで売店で大人気のおでんは上品で美味しい味であった。それにこの場所で1個100円はセブンイレブンのおでんより安い・・。

奥穂高登山をあきらめて下山を開始する。写真でよく目にする快晴の涸沢カールの紅葉は望めなかったが雪を頂いた涸沢の紅葉も又素晴しいものである。

涸沢小屋から下山する登山者で小屋からテント場の間の下山道が真っ直ぐに繋がるほど長い列ができていた。

涸沢の紅葉テントを撤収する前にリュックにほとんどの荷物を詰めた後、手袋をバーナーで乾燥させ下山に備えた。雪山で濡れた手袋での下山は辛い。

ところがアイゼンのない下山はとても緊張の連続であったが、雪道も標高2000メートルほどまでであった。

そして、まさかの雪と紅葉の涸沢に名残を惜しみながら何度もカールと氷壁の舞台前穂高の岩壁を見上げながら下山した。

そして次から次へ登ってくる登山者の列が続き道を譲るためにたびたび待たされる。

本谷橋に来ると吊橋はあまりの登山者ですぐには渡れないため、水の中を石伝いに進み私たちは手前の沢にかけてある小さな板の橋を渡った。これからはなだらかな沢沿いの、右側に屏風岩を臨みながらの楽しい下山道である。

二時間ほどで横尾橋を渡るとそこにはこれから涸沢を目指すたくさんの登山者でごった返す「横尾」に到着する。雨が止んだかと思うとまた降り出す中、相変わらずトイレに長蛇の列ができる。

時間行程の半分の3時間をクリアし、これから先は穏やかなハイキングコースであり、登山下山で見覚えのあるメンバーと共に、景色の良い場所では何度も立ち止まる。前日と違い雪を頂いた「明神岳」は時折林の間から全景が見え、澄んだ水の梓川と共に心を洗われる美しさである。なんどか写真撮影しながら徳沢に着きそこで昼食にした。

ここは昔牧場だったということで明るい草地はテント場になっており、色とりどりのテントが建っている。一度はテントを張ってみたい気持ちの良い場所である。今回奥穂高を目指すために3泊分の食料を持ち込んでいた為リュックがとても重かった。しかし、涸沢は水が豊富で水を背負う必要がないのは助かった。

徳沢キャンプ場

今回の食料の目玉であったプチトマトをいれた「スパゲッティ・アラビアータ」を作ったがとても美味しかった。

そしてそれから明神岳を梓川越しに望みながら、明神にいたり4時に河童橋に着いた。そこは登山者とは異なる観光客でごった返していた。

バス乗り場までは100メートル以上の列ができており、タクシー乗り場も同様であった。

そして、やっとのことでタクシーに相乗りして沢渡に着いたのは5時半頃であった。そして車に乗りラジオをつけると奥穂高や白馬で沢山の遭難者がいること、翌朝のニュースで北アルプスは天候の急変で大変な事故が起こっていることを知った。私たちがテントを張ったすぐ上の稜線で4名のパーティーが遭難して、1名が死亡し3名救助された映像がまさに今テレビに映っていた。

秋の登山には冬山と同じ装備が必要であると肝に銘じた北アルプスデビューであった。

北アルプスは日本中から多くの人が登山に訪れていた。鹿児島弁の方に「かごんまな。私は坊津」というとやはり同郷人であった。九州の登山者にとってアルプスは憧れで、今年の夏は常念岳を縦走したのだという。又明神で若いカップルに声をかけると秋田県大曲の妻の高校の後輩であった。世の中狭い上に北アルプスの人気の程が窺える。それに北アルプスは若い女性たちも多く華やかである。中高年も颯爽としていてカッコいい。山用具も最新のものを沢山目にすることができた。
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2006年10月7から8日撮影

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