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筑波山
(877m)
日本百名山bS4

2005年1月3日 晴れ(途中雪道) 妻と2人のパーティー

9時40分:筑波神社ケーブルカー脇登山口発(御幸ヶ原コース)
10時30分:分岐点が在り下り道
10時40分:男女川
11時15分:御幸ヶ原ケーブルカー山頂駅
11時33分:男体山山頂(871m)
11時53分:御幸ヶ原着
12時00分:御幸ヶ原発
12時7分:セキレイ石
12時10分:ガマ石
12時16分:女体山(877m)

12時29分:下山開始
12時38分:昼食休憩
13時00分:下山再開
13時06分:大仏石
13時15分:北斗石
13時20分:裏面大黒岩
13時21分:出舟入船
13時25分:母の胎内潜り
13時27分:高天ヶ原
13時31分:弁慶七戻り
13時33分:弁慶茶屋分岐(白雲橋ルート)
14時32分:白蛇弁天
14時46分:下山口

写真をクリックすると詳細写真がごらんになれます。

9時10分頃に筑波神社のそばにある市営駐車場に車を止め、神社まで約5分ほど歩く。神社でお参りをして、本殿の左側奥にあるケーブルカーの乗り場に向かう。

筑波神社の本殿の前に「平成17年元旦筑波山よりスタート 岩崎元郎の還暦記念チャレンジ2005 1年間で登る新日本百名山」という大きな立て札があった。

ケーブルカーの乗り場の脇には鳥居がありそこが御幸ヶ原コースの登山口である。筑波神社

地図にあるルートタイムは神社から御幸ヶ原まで約90分のコースである。

登山道は筑波山の男体山と女体山の間にある御幸ヶ原とを結ぶケーブルカーに沿って真っすぐに付けられている。20分程登ると石の台に円柱状の石柱が建てられた場所にでる。ここ辺りまでは斜度もそれほどでないが、登るにしたがって徐々に急になってくる。そして登り始めて40分ほど登ったところから年末に降った雪が現れてきた。そこで下山してきた登山者から「朝登るときは雪が滑りやすくて途中で登るのをあきらめようかと思うほどであった。」という話を聞いた。

登り始めて50分ほどすると急な登山道が一時少し左側に向けて下る場所に出る。この辺りがケーブルカーのトンネルの上のようである。ここで雪が滑りやすくなって、左側の斜面が切れ落ちているため、軽アイゼンをつける。男女川

そしてすぐに男女川(みなのがわ)という場所に出る。男体山と女体山の間を南下して桜川へと注ぐ川で、水の湧き出る場所には柄杓がありしめ縄がかけられている。ここにある案内板には小倉百人一首の「筑波嶺の峰より落つる男女川 恋ぞつもりて淵となりぬる」という陽成院の歌が紹介されていた。

男女川から少し歩くと「男体山山頂0.8K」、「筑波神社1.5k」という標識がある場所にでる。ここから登山道が少し急になり圧雪の道を約25分ほどで山頂であった。御幸ヶ原にでるとケーブルカーの乗り場の脇には回転展望台がある。

御幸ヶ原は西側の男体山と東側の女体山の間の一番低くなっている場所で、かなり広い場所で、ケーブルカーの駅のほか回御幸ヶ原転展望台や休憩茶屋がある。

御幸ヶ原は南北に開けており展望がいい。南側には広い関東平野と霞ヶ浦そして太平洋まで見えた。北西には日光の男体山などの雪山が見える。ケーブルカーで登ってきた人たちでかなり賑わっており、完全な圧雪の山頂であるにもかかわらず、私達のように完全な登山装備の者とスニーカーや革靴にジャケット姿の身軽な家族連までおり、登山の山というより完全な観光地である。

そして、男体山に向かって登り始める。約10分(約2〜300メートル)ほどを登るとそこに男体山神社があり、その奥に気象庁の大きな建物がある。男体山山頂(男体山神社)

快晴の山頂からの展望は素晴らしく、年末の積雪で明るく輝く関東平野の南西方向に富士山が輝いて見えた。富士山までは直線距離で約157キロほどである。そしてほぼ西の方角に浅間山が見える。しかし風が強くとても寒い。

山頂脇の岩の上にアンテナを立ててレシーバーを頭につけ、交信しているハム(アマチュア無線家)を見かけた。1月2日と3日はハムの世界では「ニューイヤーQSOパーティー」というハム同士が電波で新年の挨拶を行う日である。

御幸ヶ原に戻り、一休みして女体山に向かって登り始める。女体山へは約600mとてもなだらかなスノートレッキングコースである。すぐに「カタクリの里」という春先にカタクリが咲くエリアがあり、すぐに左側に小さな祠があり、その向かいに「セキレイ石」がある。そしてすぐ「ガマ石」とよばれる、大きな筑波山のシンボル四六のガマが大きく南に向かって口を開けている。口の中にはたくさんの小石が入れられているが、石女体山へを投げ入れて入ると願いがかなうといわれているので私たちも数回チャレンジして入れることができた。そのとき女体山から降りてきた登山者から「なかなか入らないのよね」と声をかけられた。

御幸ヶ原を出て16分ほどでつつじヶ丘(駅)から昇ってくるロープウェイの女体山駅の上にある古びた社殿(?)ある広場に出るに出る。そのすぐ上が女体山の山頂である。山頂の岩場の手前に女体山神社がありその裏側が岩場の山頂である。

女体山山頂

ところが、山頂は切り立った岩場になっており、積雪のため滑りやすく危険なため立ち入りが規制されている。確かにスニーカー等でロープウェイで上がってくる観光客にはとても危険な場所である。とはいえ私たちはアイゼンをつけており、足場に自信があるため岩場の突端に出て360度パノラマを楽しみ、写真を撮ってきた。それにしても風が強くとても寒かった。

そして、山頂を下りて女体山頂の裏側に回り、つつじヶ丘方面に下山を開始した。下山道は滑りやすい圧雪のうえに急な岩場である。下り始めて10分ほどの場所に日の当たる場所を見つけて昼食をとることにした。

下山道風のない陽だまりとはいえとても寒く、バーナーでお湯を沸かしてコーヒーとラーメンを作るのに時間がかかった。

20分程食事とコーヒーを楽しんだ後、下山を開始し、途中で大きな岩の割れ間に祠のある場所を過ぎ、女体山の東側の真下辺りに下りると「大仏石」にでる。下から見上げると確かに座禅を組んだ大仏様に見える。その大仏石の前に日当たりのいいテーブルが置かれた休憩する場所があった。

大仏石から10分ほど下ると今度は岩が天を指すように突き出た「北斗岩」に出る。北斗岩はその中央が潜れるようになっている。

北斗岩

これから先、大きな岩が現れそれぞれに名前が付けられている。まず「裏面大黒岩」そしてすぐそばに「出船入船」それから少し下ると「母の胎内潜り」と続く。

「裏面大黒岩」はいくつもの石が3列に垂直に立っている。「出船入船」は船の舳先のような岩が並んでいて確かに船が出て行く様子と入っていく様子に見えなくもない。

「母の胎内潜り」は岩が大きな岩がせり出て屋根のひさしのようになっており、その入り口の大きな岩はあり、その岩の奥を回れるようになっている。確かに母親の胎内を潜っているという意味か。

弁慶の七戻りそして金属製の階段を下りるとすぐに「高天ヶ原」に出る。下山道はそれを右に下りていくのであるが、「高天ヶ原」というプレートのある大きな岩の狭いすき間を登ると大きな岩の上に神社がある。神社にお参りをしてから、元の場所に戻り、下山道を下るとそこが「弁慶の七戻り」という岩である。大きな岩の割れ目に大きな岩がひっかかっている。確かに豪傑の弁慶でも肝を冷やして七回も躊躇したというのもうなずける。それにしても絶妙のネーミングである。弁慶の七戻りを過ぎるとすぐに弁慶茶屋がありそこで、つつじヶ丘に向かう「おたつ石コース」と筑波神社に向かう「白雲橋コース」との分岐点である。

弁慶茶屋から次の目印となる酒迎場分岐までの下山のコースタイムは約45分、それから筑波神社まで15分の合計1時間である。

弁慶茶屋を出て30分ほどは比較的斜度のある下り坂であるがその中間地点まで雪が深く滑りやすいためアイゼンが必要だった。アイゼンをはずして少し下ると屋根で覆われたちいさな祠があり両脇にダルマが置かれていた。地図を見ると「白蛇弁天」のようである。それから少し下るとつつじヶ丘に向かう「向場コース」との分岐点である「酒迎場分岐」に出て、それから約10分ほど下ると筑波神社脇の鳥居のある下山口にでた。

 
10年ほど前に子供たちとロープウェイで登り、女体山の山頂から妻がCQを出し、パイルアップになったことがあった。しかしその時の家族での登山を百名山の登山記録とするには申し訳ないので、再挑戦の意味もあり2005年最初の登山として筑波山を選んだ。

簡単なハイキングと思っていた筑波山が思わぬことにアイゼンを付けて登る素晴らしい雪山登山になった。

注:筑波山の標高については深田先生の百名山などでは876mとあるのが多いのですが、近年の資料や山頂の石注には877mとあるためそれに従いました。
カシミール3D
2005年1月3日撮影

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