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甲斐駒ヶ岳(2967m)
日本百名山77

2004年9月18日 妻と二人のパーティー 快晴のち曇り

登り 下山

4時40分:広河原着
6時40分:広河原発(バス)
7時05分:北沢峠着
7時15分:北沢峠(長衛小屋)発
8時35分:北岳と仙丈ケ岳が望める場所
9時10分:双児山直下のハイマツ帯に出る。
9時15分:双児山
9時33分:鞍部
10時御5分:駒津峰着
10時20分:駒津峰発
10時40分:六万石
10時42分:駒ケ岳岩嶺直登と摩利支天巻き道の分岐
11時20分:ザレ地になり花崗岩の大きな岩壁を過ぎて真 横に摩利支天の分岐点が見える。
11時32分:甲斐駒ケ岳山頂

11時58分:下山開始
12時08分:摩利支天分岐
12時27分:直登取り付き
12時28分:六万石
12時55分:駒津峰
1時00分:駒津峰から仙水へ下山開始
1時25分:造形的な木々が現れる。
2時05分:仙水峠
2時35分:仙水小屋
2時40分:ロープが付けられた岩場
2時55分:北沢長衛小屋
3時05分:北沢峠着3時10分:バスに乗り北沢峠発
3時35分:広河原到着

写真をクリックすると詳細写真がご覧になれます。

広河原から北沢峠の南アルプス市営バスの第1便は6時50分発であるが、9月の三連休の初日ということもあり、ピストン輸送の方針で6時25分に第一便が出た。広河原から見上げると我が国第2位の標高を誇る白峰三山の主峰「北岳(3192m)」が朝日を受けて輝いていた。広河原から見上げる北岳

私たちは6時40分の第2便に乗り25分で北沢峠(標高2,030m)に着いた。

北沢峠は自然保護のため一般車両の乗り入れは禁止され長野県長谷村の村営バスと山梨県南アルプス市営バスのみが乗り入れている。

しかし、日本百名山の仙丈ヶ岳と甲斐駒ヶ岳の登山口であり、多くの登山者で賑わっていた。

この峠にある両自治体で管理するトイレはとてもきれいである。

甲斐駒ヶ岳に登る登山者は峠から少し下ったところにある北沢長衛小屋から仙水峠ルート登る登山者が多いが、私たちは峠から双児山(2649m)へ直登するルートをとった。

双児山は地図では標高差400m、水平距離約1.5キロをルートタイム約2時間で登るため、かなり急な感じはするが、ジグザグの登山道はよく整備され、とても明るい登山道である。鋸岳(2685m)

登り始めて20分もすると左前方に鋸岳(2685m)が見えてくる。そして少し登ると今度は背後に小仙丈ヶ岳(2855m)が見えてくる。

そして出発して1時間20分程登るとそれまで木々の間から少しだけ姿を見せていた北岳がくっきりした三角錐の全容を現す。さらに背後には仙丈ケ岳もその前にある小仙丈ヶ岳の後ろにそのたおやかな山容を見せてくれる。

さらに西に中央アルプスの木曽駒ケ岳(2956m)と空木山(2864m)がはるか彼方の雲の上に見えた。

このようにところどころから南アルプスや中央アルプスのシンボリックな山々を見ることができることがこの急坂の2時間をとても楽しいものにしてくれる。

双児山

そして1時間50分ほどで樹林帯を抜けてハイマツ帯に出ると双児山の山頂はもうすぐである。正面の双児山の山並みは黄色く色づき始めていた。ここからの眺めは素晴らしく南に我が国で2番目に高い北岳とその右奥に第4番目の間ノ岳(3190m)、南西に仙丈ケ岳、北に鋸岳さらに南東には栗沢山(2714m)の右に奥に鳳凰山の地蔵岳(2764m)のオベリスクがかすかに雲の間に見えた。さらに双児山からは北東に駒津峰を前景にした甲斐駒ケ岳と摩利支天が雄大な姿をはじめて現した。

そして双児山の山頂に着く。東には視界は開けてはいないが、ここから見る駒津峰に至る稜線とその奥に白く輝いて聳え甲斐駒ヶ岳が圧巻である。このまことに贅沢な山並みである。

駒津峰から甲斐駒ケ岳を望むそして駒津峰に向かって約10分ほど下ると鞍部になり、登り返すと樹林帯が切れ、ハイマツの生えたガレ地をだらだらと登ると25分程で駒津峰に着く。駒津峰は仙水峠ルートからの合流地点で、ここから甲斐駒ヶ岳に向かうポイントである。

ここからは右脇に巨大な摩利支天を従え、白く輝いて聳え立つ花崗岩の端正な三角錐の甲斐駒ケ岳を正面に見ることができた。甲斐駒ヶ岳を何もさえぎるものも無く、正に毅然として聳えている。まことに見事である。

駒津峰は甲斐駒を見る最高のビューポイントである。

とても広い山頂で20名ほどの登山者が駒ケ岳を眺めたり、食事をしたりして休んでいる。風邪も無く天気に恵まれた。しかし少しずつガスが出てきて双児山で見えた鳳凰山や北岳などは雲に隠れてしまった。駒ケ岳は何とか見えている。

そして、狭い岩尾根を歩いて、駒ヶ岳の取り付きの六方石に向かう。駒津峰から六方石へ

しかしこの尾根道は駒津峰から見るとなだらかに見えるが、なかなか手ごわい。少し下ってから一時少し登り返して小高い丘を越える。そこから前方に見える大きな六方石(ろっぽうせき)を望みながら少し下ると、その先は細い岩尾根(リッジ)が続く。その先に大きな岩がありその左側は絶壁になっている。その岩を右側に巻く様に進むと急な岩場を下り、さらにその先の高さ約10メートルほどのほぼ垂直に近い岩場をおりなくてはならない。

それを下り切るとその先にハイマツの緑の奥に三角形の形をした岩の丘がある。その岩を過ぎてその先にある巨大な岩の右側にある割れ目を抜けるとそこが六方石である。駒津峰から約15分ほどであった。

そこから六方石から駒ケ岳に向かってハイマツ帯を少し登るとすぐ正面に岩場を直登する約1時間のルートと、その右側から摩利支天分岐の前を巻いて山頂に至る約1時間30分のルートの分岐点がある。(直登ルートは昭文社の山と高原地図41「北岳・甲斐駒」の25000分の一の地図でも破線で描かれており踏み跡をトレースしながら登るトレールコースである。)

赤いペンキで「直登」とかかれた上を見上げると針のように尖った岩が目に付く。意を決してストックをザックに縛り付けて大きな岩に取り付く。これがなかなか取り付きにくい大岩でこれからの岩稜登りが心配になる。所々から見える白く輝く甲斐駒の山頂は遥直登ルートか遠くに見える。帰りのバスの時刻に間に合うように1時間で登りきれるか不安になる。

巨岩の間にしがみつくように生えるハイマツのルートを登るとガスが出てきて視界が利かなくなってきた。ルートはジグザグでそれほどはっきりしていないが、赤いペンキの印を探して急峻な岩場を乗り越え、25分ほどで細い岩尾根に出た。

そこから15分ほど岩場は三点確保を行うような岩登りではないが、標高差を感じさせる場所であり、少し登ると白砂利のザレ場となり大きな花崗岩の壁の下に出る。これからは岩登りは殆ど無く滑りやすいザレ場を歩くことになる。登り始めて40分ほどで目線の高さに摩利支天が見えてくる。

急勾配の上に白砂利が滑るのでとても歩きにくく、一歩ずつ歩を進めて標高を稼いだ。

これから喘ぎながら少し登ると頭上の山頂に石柱が立っているのが見える。これは甲斐駒山頂ではなくその隣にある西駒ケ岳神社である。

それから10分も登ると駒ケ岳山頂(2967m)に着いた。私たちにとって本格的な3000m峰である。ガスがかかって展望が利かないのは残念であったがやっと甲斐駒ヶ岳に登頂できた。しかし、山頂にあってもソヨとして風に吹かれることの無い快適な頂きであった。

山頂は広く中央に立派な祠がある。この山が山岳信仰の山である証である。駒ヶ岳山頂の祠

バーナーでお湯を沸かし、私達の山の師匠が「平地で飲むと甘すぎるけど、山で飲むと最高」といって届けてくれた森永のフリーズドライの「甘酒」とコーヒー、ラーメンなどを作り山頂を楽しんだ。なお、甘酒は酒粕と米麹を使った本格的なもので甘いのであるが疲れた体にはとても美味しかった。この甘酒は登山等のアウトドアにはいいかもしれない。

とはいえ3時10分の最終バスに間に合わせるため山頂をゆったりと楽しむことはできず、あわただしい下山となる。始発のバスが遅い上に最終バスの時刻が早すぎるためである。この想いは私達だけではなかったようであった。時計を気にしながらの登山は味気がない。

甲斐駒から摩利支天方面への下山道下りの道は登りと異なる摩利支天の巻き道を選んだ。ところどころに大きな岩があるもののまるで真っ白な砂場を歩くようであった。そして10分も下ると摩利支天との分岐点である。これから右斜め下に真っ白なザレ場を下る。途中で白くて可憐なイワツメグサが見られた。

それにしても今まで見たことの無い真っ白な山である。「日本百名山」の中で深田久弥氏が「あまりにその白砂が綺麗なので踏むのがもったいないくらいであった。」と書いているがまさにその通りである。曇っていたが晴れていたらその白さは格別であろう。

下山を始めて30分ほどで樹林帯になり、少し谷を下り登り返すと、大きな岩が梁のように飛び出した岩場がありそれを越えると、直登ルートとの分岐に出る。

六方石で一休みして、駒津峰を目指す。歩き始めて7分ほどの場所にある10mほどほぼ垂直な急な岩場はクサリが無いため脇に生えているハイマツの枝をつかんで登った。

六方石から駒津峰までの帰りは登るときより幾分苦しく感じた。

駒津峰で一休みする。ここで登りに際して一緒に岩場を登った若いカップルと同年代の夫婦の登山者と下山ルートに関して相談する。この山で初めて会った方々であるが、お互い苦しい岩場を前後しながら登って共に憧れの甲斐駒の頂を踏んだため連帯感というか親密感がある。仙水峠から登ってきたという二つのパーティーは私たちが登ってきた双児山ルートを1時間半で下りるという。同年代のご夫婦は長野の長谷村からバスで入ったらしい。埼玉県岩槻市から来たとのことで「伊奈町とはご近所ですね。またどこかの山でお会いしましょう。」といって分かれた。

仙水峠への下りはしばらく小さな岩のごろごろした下山道で、10分ほどすると樹林帯に入る。しかしジグザグではなくただひたすら真っ直ぐ下る。登るのはとても大変であろう(登りのルートタイムは1時間30分である)。

樹林帯もひたすら真っ直ぐ下るが左側に雲の合間から摩利支天がその威容を現す。このルートの楽しみがこの摩利支天を右手に仰ぎ水仙峠への下山道からの摩利支天ながら登ることというのが理解できる。

20分程下ると風に吹かれて木々の枝が一方方向に向いている自然の造形が連なる場所に出る。その正面には栗沢山、その下には仙水峠のゴゴゴロした岩場、その川下の林の中に仙水小屋の赤い屋根、さらにその奥には北沢長衛小屋の野営場に色とりどりのテントが見える。

この下り坂は約1時間であるがなかなかきつい。峠に着くと遭難の碑がありその奥に摩利支天が聳えている。朝日を受けて輝く摩利支天は見事であろう。

それにしてもこの峠の光景は異様である。海岸にあるような真っ黒なごつごつした岩がゴロゴロしていてそれが谷に向かってV字状に落ちてくるといった感じである。真っ黒な無数の岩が圧迫感がある。

その谷の一番底に付けられたルートをたどって下り始める。25分ほど歩くと岩場が切れて樹林帯に入る。そして10分ほど下ると仙水小屋にでである。駒津峰に登る道で下りて登山者と話をしたら「仙水小屋に泊まって夕食に刺身まで出ました。」と聞いていた良く知られた山小屋である。しかし、小屋前のテーブルに数人の男性がいるにもかかわらず、なぜかロープが張られて「準備中立ち入り禁止」というプレートが付けられていた。山小屋の庭先に「立ち入り禁止」のプレートが付けられているのははじめて見た。

小屋の下はすぐに沢になり、きれいな水が流れている。それから沢沿いの道をひたすら下る。途中にロープの付けられた場所がある。沢沿いに砂防ダムをいくつも越えて歩くなだらかな道である。そして最後の沢を渡る手前に栗沢山直登ルートの登山道があった。仙水峠

仙水小屋を出て25分ほどで北沢峠長衛小屋に出た。野営場はびっしりと色とりどりのテントで埋め尽くされた。

これから北沢峠までは約10分500mほど登りである。野営場の脇を過ぎて200メートルほどで車道に出る。それから数百メートルで北沢峠が見えてくる。すると登山者を乗せたバスが通り過ぎていったが臨時便のようである。最終バス時刻の5分前、3時5分についた。

 

バスに乗ると私たち夫婦だけであった。途中で運転手がカモシカがいると言ってバスを止めて見せてくれた。さらに野呂川に200m以上落ちおる「不老の滝」も説明してくれた。そして3時35分北沢峠に着いた。

そして、通行規制のされた南アルプス街道(公園線)を18キロ走って奈良田に着き「奈良田の里温泉」に入り、甲府を経由して、埼玉に帰った。

参考

広河原への早川町経由のアクセスレポート(2004年9月)
甲府から広河原へは夜叉神峠から広河原間の南アルプススーパー林道がマイカー規制が行なわれ、バスでしかアクセスができないため、山梨県南部の早川町を経由して広河原に入った。
国道52号線を離れて早川沿いに登っていくが、早川までは道もいい。しかし早川から奈良田まではとことどころとても狭い随道がある。
奈良田の里温泉の駐車場に多くの車が止まっており、或いはテントを張っていたので我々もそこに車をとめ4時まで仮眠する。
4時前に周りの車が動き出したためあとをついていくと、すぐ先に規制ゲートの広い駐車場があり多くの車が止まっており、ゲートのオープンを待っていた。
すぐにゲートが開いたため車が連なって狭い道を進む。漆黒の闇の中、狭い随同、未舗装の道路とても注意を要する狭い道である。そして40分ほどで広河原の駐車場について。
谷間の狭い夜空にはシリウスがひときは輝きを放っていた。

甲府南I.C.→笛吹ライン(国道140号)→ 国道52号→新早川橋を渡った上沢の交差点を右折 (或いは少し手前の飯富の交差点を右折)→早川町役場のある場所まで約35Km/(約1時間)→奈良田まで約10km/(甲府南ICから約1時間20分)
奈良田の発電所手前で交通規制のゲートがある。(時間帯による一方通行規制である)
奈良田から広河原約17km/(約40分)野呂川沿いに細い随道が延々と続き未舗装の場所も多い。 (甲府南ICから約63km)

2004年9月18日撮影

HOMER’S玉手箱 麹町ウぉーカー(麹町遊歩人) 会津見て歩記 甲府勤番風流日誌 伊奈町見聞記 鹿児島県坊津町