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大峰山(八経ヶ岳) 
 (1915m)     
2013年5月4日(曇)
私達夫婦の2名のパーティー

 【2年越しの大峰山】
昨年奈良、中四国遠征の際は東名高速の渋滞で到着したのが午後3時で結局大台ケ原のみ登っていや歩いて大山に向かった。そして今年のGWも東名高速の大渋滞でまた午後5時到着。やむなく一日遅らせて2日かけて登った。しかし関西の最高峰大峰山は信仰の山であり、いにしえより修験者たちが駆け回った険しくまたとても深い山並みは北アルプス等の山岳景観というより日本人の精神・信仰文化を形作った根源的な世界遺産の選定基準である文化的景観と言えると感じた。この山並みは何度も足を運びたい山である。
【コースタイム】
6時46分:行者還トンネル西口⇒7時47分:大峰奥駈道出合⇒8時18分:弁天の森⇒8時54分:聖宝宿跡=9時55分:弥山小屋⇒10時30分:八経ヶ岳(1915m)⇒11時10分八経ヶ岳(発)⇒11時37分:弥山小屋⇒11時43分:弥山(1895m)⇒12時05分:弥山小屋(発)⇒12時49分:聖宝宿跡⇒13時25分:弁天の森⇒13時45分:大峰奥駈道出合⇒14時35分:行者還トンネル西口
6時44分
トンネルの握側には10台ほどの駐車スペースとその下にのも沢山のスペースがある。
跡は路肩駐車である。
6時46分
登山口と登山届記入ボックス
登山口の標高1094m
6時49分
暫くは沢の左岸のなだらかな道を登る。
6時51分
この櫓のような橋を渡ると急な登りが始まる。
7時10分
尾根の急な上りが続く。
標高差1300m
シャクナゲの木とツツジの木が群生している。
7時47分
奥駈道出会
、「奥駆道(参詣道)」は2004年7月に世界遺産登録されている。
標高約1400m程
8時18分
弁天の森
標高1600mの三等三角点がある広い場所である。
 8時30分
弥山の山小屋が見えてくる。
古の大峰修験者たちは険しい大峰奥駈道を歩きこの山を仰ぎ見た時、人間が達しうる水平的な奥の極点ともいえる仏の国の須弥山(しゅみせん)と見立てて弥山(みせん)と呼ぶようになり、水神信仰の根源地として祈りをささげたという。
8時41分
1600m地点の弁天の森からなだらかな下り気味になる。
8時54分
聖宝(しょうぼう)宿跡
標高1530m程の場所である。
京都の醍醐寺を作り、真言宗系の当山派修験道の祖、聖宝:理源大師の像。これに対して本山派は天台宗系である。
古今和歌集に 「花の中 目にあくやとて わけゆけば 心ぞともに 散りぬべらなる」がある。意味は「花の中に見飽きるかと思って入ってゆけば、逆に心が花に引き寄せられて、共に散ってしまいそうな心地がする」である。
9時14分
弥山までは九十九折に急な上りが続く。
 9時39分
木の階段が始まる。
9時50分
鉄の梯子がある。
山頂はすぐである。
9時55分
弥山小屋はとても大きな建物である。
小屋の周りはたくさんの登山者で賑わっている。
右手前にトイレがある。
 10時5分
小屋から立木の間を南に下ると立ち枯れの間に八経ヶ岳がみえてくる。
 10時12分
弥山と八経ケ岳の鞍部に下って登り返す。
 10時15分

稜線の西側はオオヤマレンゲの自生地。国の天然記念物に指定されており、フェンスで保護されている。オオヤマレンゲ白く可憐な姿から「天女花」ともいわれている。
 10時30分
吉野熊野国立公園
日本百名山大峰
近畿最高峰
八経ヶ岳(1914.9m)八剣岳・仏教ヶ岳
山頂はそれほど広くはない。左側の男性の立ている場所が石積みの山頂二等三角点とケルン。役の行者が法華経8巻を埋めたと伝えられる。
ところが雪が舞い始めてしまった。
 山頂に西面は立ち枯れが哀れである。
 南西に明星ヶ岳(1894m)
 背後の普賢岳
手前の行者環岳
この深い山並みが山岳信と修験の霊場である。なかでも大峯山/山上ヶ岳[1719m]は、修験道の祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が開いたわが国修験道発祥の地で、修験道の道場。絶壁から逆さづりにされる「西の覗」などの修行場が有名。山上ヶ岳は女人結界門があり、宗教上の理由から、山上ヶ岳一帯は、今なお女人禁制です
 弥山(1895m)と弥山小屋
 11時41分
営業小屋(収容二百人)
テント場もある。
 11時43分
弥山山頂 弥山神社
平坦な山頂。
日当たりがいいにもかかわらず苔も生えておりとても清浄な空気の漂う山頂である。
小屋から山頂まで約4分
天川村坪内にある天河神社(天河弁才天神社)の奥の宮である。その名の通り弁才天を祀る。さまざまな伝承があるが、役行者が大峰山祈ったところ天降る天女を弁才天と感得し山頂に祀る。これが日本弁才天の初めとされる弥山大神と崇められたと書かれている。
 12時19分
親子5名のパーティー
「僕4歳・・」と楽しそうに周りの人に語りかけ、お父さんとハーネス、ショートロープにつながれて何度も転びながら楽しそうに下っていった。
 12時37分

弥山への登山道はバイケイソウの大群生地である。

 14時16分
この時期あまり花の咲いていない登山道であったが滑り易い急な下りの下部に奇麗なツツジが咲いている。

この下りは粘土と木の根でとても滑りやすい。
14時35分
登山口到着
下山後、沼津市から来たという御夫婦と一緒になり沼津アルプスを訪ねてほしいと誘われた。近場に自慢の山を持つ人たちは羨ましい。いつかは登ってみます。
 【アクセス】
私達は名阪国道25号線針TRSから宇陀市経由国道169号線 67q
林道入り口から行者環トンネル西口まで約11q
【設備】
弥山小屋(トイレあり)テント場あり。
トイレ:登山口にトイレはないが、169号線と行者環トンネルに向かう林道との分岐のすぐ南側に駐車スペースとトイレがある。
温泉: 「上北山温泉(薬師湯)」

 【川上村の柿の葉寿司「松屋」】松屋の柿の葉寿司とめはり寿司2012年に大台ケ原に登った後、大山に向かう途中立ち寄った柿の葉寿司とめはり寿司が美味しくてもう一度この松屋を目指して柿の葉寿司を買い求めた寿司あまり甘くなく鯖や鮭も少し塩味が利いた昔ながらの作りでとても美味しい。
今回買い求めためはり寿司にはフキの葉の上に忘れな草が添えてあった。大峰山、大台ケ原を登るときには川上村の松屋はぜひ立ち寄ってほしい。観光協会のホームページでは「大和の茶粥定食」がお勧めとのこと。

 【大峰奥駈道】
修験者日本独自の山岳宗教の「修験道」の開祖・役の行者が白鳳時代(7世紀)に開いたとされる吉野と熊野の修験二大霊場を結ぶこの道は修験者(山伏)にとって最も厳し道とされる。平安時代(794〜1,192年)に大峰山脈の尾根筋に霊地や行場が設けられており120ヶ所の宿があったとされる。その後、42宿に整備され、近世に至って峰中霊地行場が75ヶ所に整備され「大峰七十五靡(なびき)」と呼ばれるようになった。「靡」とは役の行者の業力に草木も靡(なび)くという意味があるとされ、神仏の出現地あるいは霊所とされている。大峰奥駈道は平成16年(2004年)世界遺産に「紀伊山地の霊場と参詣道」として登録された。
写真は弥山に向かう道であった山上ヶ岳から来たという手甲脚絆に頭に頭襟(ときん)、結袈裟のイケメンの修験者。少し話を聞かせていただいた。ありがとうございました。
2013年5月4日撮影 

HOMER’S玉手箱 麹町ウぉーカー(麹町遊歩人) 会津見て歩記 甲府勤番風流日誌 伊奈町見聞記 鹿児島県南さつま市坊津町 Good Journey(よい旅を!)