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24年GW奈良・中四国遠征
石鎚山
   
 (1955 m)     
2012年5月6日(曇り、小雨、そして強風)
私達夫婦2名のパーティー

剣山登頂の後、桂浜を楽しんでから土小屋にやってきた。山頂では雲が多く展望には恵まれなかったが。後では雲もとれてそれなりに石鎚山の展望が楽しめた。ただ、私達が天狗岳に向かうときは恐怖心が生じるほどの強風が吹いていた。
しかし、四国の最高峰石鎚は素晴らしい山であった。深田久弥氏は下山した後、バスの中で少しだけ姿を見せた石鎚山に感心していたが、下山後、久万高原に下る道から見る石鎚山は北アルプスの槍ヶ岳の穂先に見えた。石鎚山は私たちにとっても思い出に残る山になった。

【ルートタイム】
土小屋駐車場
():6時01分→土小屋石鎚神社:6時02分→登山口:6時4分→ベンチ1:6時35分→ベンチ2:6時44分→ベンチ3:7時08分→崩壊地点:7時29分→稜線上の鳥居:7時45分→第二鎖取り付き:7時52分→第二鎖上部:8時09分→第三鎖小屋:8時20分→(階段経由)→弥山山頂:8時30分→弥山()8時34分→天狗岳:8時50分→弥山():9時07分→弥山():10時04分→第三鎖場(5分情報交換)→第2鎖場(前橋ハイキングクラブと談笑):10時28分→ベンチ3:11時06分→ベンチ2:11時30分→ベンチ1:11時37分→登山口:12時10分→駐車場():12時15分

6時01分 土小屋
正面が小屋石鎚神社その手前にトイレがある。
神社の裏の登山口は1524mあたり。
ここから4.6qで石鎚山山頂である。
6時04分
6時14分 「あけぼのつつじ」
登山時はこの薄いピンクの丸みを持った大きな花弁のつつじがあけぼのつつじであることは知らなかった。
新緑の山々の中でこの可憐で控えめな花は凛としてその存在を主張していた。
下山時に面河ルートの整備で登ってきた山岳会のメンバーから聞いた。
日差しを受けた写真は下山時に紹介します。
登山道は尾根筋を通らず鶴の子の頭を北側に巻くようにつけられており、桟橋などとても整備されている。
私たちの前白装束の広島から来た信者の一団がいた。
6時26分
6時35分 ベンチ1から石鎚山を望む
ベンチ2
このように登山者のためにたくさんのベンチが設置されている。
6時45分
6時48分 ベンチ2の上から石鎚山方面を望む。
ベンチ3
手ごろな間隔でベンチが置かれ、疲れずに上る工夫がされている。
このあたりで黒くてスズメほどの大きさのミソサザイが私たちの傍に姿を現しとても素晴らしい鳴き声をプレゼントしてくれました。
参考YouTubeのミソサザイ の歌声よりとても美声でかわいらしいミソサザイでした。
それが私たちの傍でしばらく美声を聞かせてくれました。
ミソサザイはもっと地味なものと思っていましたが見た目より素晴らしい鳥でした。思わず夫婦で「上手い!」とうなりました。
7時08分
7時29分 崩壊場所。
登山道が大きな岩で覆われていた。
二の鎖の前の鳥居
ここでロープウエイの成就社方面からの合流点である。
7時46分
7時57分 7時52分に鎖に取り付5分経ったがまだまだ長い。
それにしても昔の人たちがこれだけの太くて大きな鎖を作ったものである。信心は偉大なり・・。
この岩場の急な感じがよく出ていると思う。
それにしても長い。崩落を防ぐために岩の割れ目やリスにシリコン状の物が注入されており手を差し込んだりすることができず、岩山の岩場を登りなれた登山者にはある意味登りにくい。
急な場所であるが昔から信者たちが登ってきた場所であり、鎖にもいろんな工夫が施され、スタンスのない場所にはトライアングルのようなアブミがつけられている。
信者でないミセス.Hは鎖は補助で自らルートとスタンスを探す技法が災いする場所もあった。鎖を信じて鎖を頼りに登れば特に危険はない。
8時3分
8時5分 二の鎖を上部から写したもの。
下の青いビニールのある場所が二の鎖小屋があった場所。
小屋はなくなっていたが、その高度感がうかがえると思う。
△のトライアングル状のアブミが大きな鎖についている場所。
第三鎖
大に鎖より長い。最初が急であるが上部はそれほどでもなさそう。ただここで雨が降り出し危険なため登るのを諦めて階段を上る。68mもあるという。
8時20分
8時22分 山頂への鉄製の階段。
弥山(みせん)1974m
強い風が吹いており展望が利かなかった。
8時31分
弥山山頂に神社
三の鎖はこの裏側に出る。
天狗岩(標高1,982m)
8時39分 弥山
天狗岳へのルートはエッジのようになった岩尾根をまっすぐに登る修験者を見たがまるで天狗のようであった。
我々は岩場の南側の岩と木々の境目を進むと安全に進むことができる。
天狗岳への岩場右側は切れ落ちている。
とはいえ岩場に上がるときには滑りやすくとても緊張する。
この時身の危険を感じるほどの強風が吹いてとても怖かった。
8時46分
8時50分 天狗岳
石鎚山の最高峰である。
標高1982m
弥山から再び天狗岳
弥山の戻り強風の中お湯を沸かしてラーメンを作って食べ、小屋でバッジを買ってきた。
9時50分
 10時04分  頂上山荘のわきの登山道。
西ノ冠岳(1894m)
左側は切れ落ちている。
 石鎚山の三角点は天狗岳や弥山には設置されておらず、弥山の北西にある1,920.63mのピークに三等三角点「石鎚山」が設置されている。
神社の敷地を避けたものと思われると言われているが、このピークがその三角点のある地点と思われる。
上の写真の小屋の裏側にあたる。
 
10時27分 前橋ハイキングクラブのメンバー。
剣山で石鎚山での再会を訳したが果たせた。
グループは二つに分かれ、写真のグリープは鎖場にアタックするメンバーである。

山頂で会えなかったため山頂の標柱の頭に前橋ハイキングクラブのメンバー宛のメモを石で押さえて置いてきた。見てくれただろうか。
「あけぼのつつじ」
石鎚山の1300m付近から、山頂にかけての急崖地に生育する。全体に丸みのある薄いピンクの大きな花弁が風に舞う。
他の山系で見たことがないもので、下山時に登山道の整備をしていた山岳会の方に教えていただいた。
12時01分
12時15分 土小屋の駐車場と設備
土小屋というからとても辺鄙なひなびた場所かと思っていたが広い駐車場に立派な施設がある場所であった。
そして久万高原へ下る県道13号線はとても広く観光バスも通る。
県道13号線を下る途中で石鎚山を望む。
山の景観が刻々と変わる。
これほど鋭い岩山だったとは。
1時28分
12時36分 もう少し下の展望エリアから撮ったもの。
石鎚山が北アルプスの槍ヶ岳のように見える。
そして左下に「御来光の滝」が望める
【アクセス】
国道494号線から土小屋まで36q
国道194号線寒風山トンネルからUFOライン経由土小屋まで34km
【駐車場】 
土小屋にとても広い駐車場がある。 国民宿舎の下にもとても広い駐車場がある。
【トイレ】
っ登山口の神社の前にある。
【水場】 
ルート上には水場はない
【テント場】
ない。  ただ二の鎖の下の稜線でテントを張っているのを見かけた。
【登山後】
山を降りてまっすぐに松山の道後温泉を目指した。途中、久万高原あたりからお遍路さんを見かけた。これが四国の春が始まる風物詩であるとのこと。松山市内の入口で厚手の白磁に、薄い藍色の手書きの図案が特徴の砥部焼で知られる旧砥部町を通り、そこのスーパーで「松山あげ」というとても大きな薄あげのようなものを買う(これを親子丼の具のように使うととてもおいしいかった。)。
そして、道後温泉本館へ。「千と千尋の神隠し」の油屋のモデルの一つこと。そして400円の「神の湯階下」に入る。歴史と風情を堪能。神様の描かれたタイルの壁画の前に丸い湯釜がありその周りに万葉集の赤部赤人の書いた歌が書かれていた。深田久弥氏の日本百名山の中にも書かれているが、難しくて氏も読めなかったというが私もその中の「伊予高嶺」しか読むことができなかった。その昔深田久弥氏が見た光景と同じスティエーションであること思いながら歴史の湯を堪能した。
 【帰路】
松山を後に親友の住む香川県観音寺に向かう。久しぶりの再開を喜びその夜、酒と話がすすむ。翌日、市内の琴弾公園の松山に登り寛永通宝の銭形・砂絵と松林を堪能し、金比羅様に向かう。GW明けの月曜日であり観光客も少なく静かな金比羅様をゆっくりと堪能。そのあと二軒の讃岐うどんの有名店をはしごして、淡路島経由、埼玉に帰りました。
2012年5月6日撮影 CANONG10

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