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Good Journey(よい旅を!)

平泉
中尊寺金色堂・弁慶の墓・義経妻子の墓

中尊寺は天台宗の東北大本山です。嘉祥3年(850)に天台の高僧・慈覚大師円仁によって開かれる。金色堂(阿弥陀堂)は覆堂(おおいどう)で保護されているが中に入ると金色の装飾に驚かされるとともに目を奪われる。天治元年(1124)の造立で、中尊寺創建当初の唯一の建物といわれ、ご本尊阿弥陀如来、その前に観音・勢至菩薩等が中央の須弥壇の中に藤原清衡公、向かって左の壇に二代基衡公、右に三代秀衡公の御遺体と源頼朝に打たれた泰衡公の首級が納められている。  MAP
金色堂のそばには「五月雨の降り残してや光堂」という松尾芭蕉の句碑が立っている。
中尊寺の参道月見坂の入り口にある松の木の下に武蔵坊弁慶の墓がある。
そして毛起寺のそばの千手堂の脇に源義経の妻子の墓がある。  MAP
光堂の覆堂
松尾芭蕉の句碑
弁慶の墓
千手堂
義経妻子の墓
たれもが知っている平泉は藤原三代の栄華の地であり源義経の終焉落として知られている。20年以上秋田に通いながらなかなか立ち寄ることがなかったがやっと訪れることができた。
中尊寺に義経終焉落の地、高館(たかだて)、毛越寺等藤原三代の栄華、義経や弁慶等の足跡、そして松尾芭蕉など歴史の史跡をたどると楽しいたびができる。歴史のある街でゆっくりと時間をかけてて回りたい町である。
最後の写真の義経妻子の墓は毛起寺のそばにある「平泉温泉ホテル弁慶」、「悠久の湯平泉温泉」の脇の道を少し登った場所にある千手堂の境内にある。そこにある案内板には「源義経妻子の墓 源頼朝の威圧によって藤原泰衡が高館の源義経公を襲った。義経公は北の方と幼児を殺害し、自害したと伝えられる。時は平安時代の文治5年(1189年)閏4月30日、31歳で最期を遂げられた。このお墓は悲しくも露と消えた妻子の墓と伝えられているが、元は千手院境内で、ここから約300m程の西北金鶏山の山麓にあったが、ここに墓石を移して供養を怠らない。」と書かれている。MAP
2005年8月24日他  撮影 CANON EXI500

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