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Good Journey(よい旅を!)
善光寺

善光寺縁起によれば、御本尊の「一光三尊阿弥陀如来」は、印度から朝鮮の百済を経て552年仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれる。この仏像は、仏教の受容を巡っての論争の最中、廃仏派の物部氏によって難波の堀江へと打ち捨てられた。しかし後に、信濃国司の従者として都に上った本田善光が信濃の国へとお連れさし、はじめは現在の長野県飯田市でお祀りされ、後に642年現在の地に遷座いたた。644年には勅願により伽藍が造営され、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられたという。
山号の「定額山」(じょうがくさん)の額のかかる仁王門。
仁王門を入って山門までの間に門前町が賑わう。
善光寺山門(三門)は、江戸時代中期の寛延三年(1750年)に建立された重要文化財
通称「鳩字の額」
国宝善光寺本堂

本堂の内陣(畳敷きの間)・お戒壇めぐり、善光寺史料館を拝観するには、内陣券が必要。
案内所の中には「牛に引かれて善光寺参り」の牛の象が祭られていた。
御本陣藤屋旅館
仁王門のそばにある洋館風の旅館である。現在宿泊はしておらずウェディングとレストランのみとか。

【牛に引かれて善光寺参り】(善光寺というとやはりこれっしょう)戦国時代の話と伝えられる。
その昔、信濃国小諸のある村に心根の悪い強欲なお婆さんが住んでおりました。
近くの布引観音の祭礼の日に洗濯をして、軒先に架けていたところ、どこからともなく一頭の牛が現れて、その布を角に引っかけて逃げさってしまった。お婆さんは怒って、その牛を追いかけて行くと、牛はどこまでも逃げて行き、とうとう善光寺にまできてしまった。日が暮れて、牛は善光寺のお堂に入り見えなくなりました。婆さんは追いかけてお堂に入ると、光明が昼のように輝いており、追いかけてきた牛のよだれが、文字のように輝き、読んでみると、『牛とのみ思いすごすな 仏の道に 汝を導く 己の心を・・われ観世音・・』とありました。さすがの強欲なお婆さんも、仏心が忽ち眼を開き、66才にして初めて仏恩の偉大なことを知って、信仰の道に入ることとなる。その夜は御仏の前で称名を唱えてあかし、小諸の家に帰りました。後日、近くの観音堂に詣でたところ、善光寺で無くなったはずの布は、堂内に安置されている観音さまに掛けられているではありませんか。それを見たお婆さんは、牛と思ったのは、実は観音さまの化身であったのではと,ますます善光寺如来への信仰を深めて、極楽往生を遂げたと言うことです。

【アクセス】
信越本線長野駅よりバスで「善光寺大門」、もしくは「大門南」下車(100円)。
長野電鉄長野線善光寺下駅下車。
長野駅を出ると善光寺表参道(中央通り)という一本道が通っており、緩やかな坂道となっている。
2010年9月12日  撮影 CANON G10
 
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