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Good Journey(よい旅を!)
泉岳寺
赤穂義士四十七士の墓

慶長十七年(1612年)  徳川家康公の創立(曹洞宗江戸三ヶ寺の一つ)
山号 萬松山 宗派 曹洞宗 本尊 釈迦如来 創建 1612年(慶長17年) 開基 門庵宗関(もんなんそうかん)禅師(今川義元の孫)、徳川家康(願主) 。家康公が桶狭間の戦いで戦死した今川義元公を供養するために作ったとされる。
元禄14年3月14日の江戸城松の廊下で浅野長矩が吉良上野介良央に切り付けた刃傷事件の浅野長矩と元禄15年(1702年)12月14日の吉良邸討ち入りで知られる赤穂義士が葬られており、現在も多くの参拝客が訪れる、線香の煙が絶えない。
自首した寺坂吉右衛門以外の46人は4家、肥後熊本藩(細川氏:17名)、伊予松山藩(松平氏:10名)、長門府中藩(毛利氏:10名)、三河岡崎藩(水野氏:9名)に預けられ、1703(元禄16)年2月4日に切腹を命ぜられた。毎年討ち入り日にあたる12月13日、14日には義士祭が催される。
また境内に、赤穂浪士ゆかりの品を所蔵している「赤穂義士記念館」がある。
泉岳寺の本堂
本堂前の山門脇に大石内蔵助の大きな銅像がある。
義士の墓の入り口
この参道の右側に吉良上野介吉央の首を洗ったとされる井戸と浅野内匠頭が一関元禄14年(1701年)3月14日、藩田村右京太夫邸の庭先で切腹した時、鮮血が付いたとされる大きな石がある。
左に建物が赤穂義士会館
浅野長矩公の墓
享年35歳
長矩公夫人の墓
夫の死後、落飾して瑤泉院ようぜいいん)と称した。その前は阿久里と称していた。
四十七士の墓の全景
奥に浅野内匠頭の墓の手前に屋根の付いた墓が大石内蔵助の墓
討ち入りの指導者大石内蔵助吉雄の墓
辞世は「あら楽や思ひは晴るゝ身は捨つる浮世の月にかゝる雲なし」。
大石主悦吉金
内蔵助の長男で裏門隊の大将。最年少の義士で享年16歳。
それぞれ部隊ごとに義士の墓が並ぶ。
右端が堀部安兵衛の墓

一番奥(入口側)の墓が討ち入りを熱望したものの周囲の反対に遭い、討ち入り前に切腹した萱野三平を 偲んだ供養墓。
義士の墓
義士の墓の戒名には全てに「刃」と「剣」といい漢字が使われている。
泉岳寺にかかる赤穂義士
【所在地】
東京都港区高輪2丁目11番1号 03-3441-5560
【アクセス】
京浜急行本線・都営地下鉄浅草線 泉岳寺駅から5分ほど。
【その他】以前は拝観料が必要だったが久しぶりに行ったら無料で入ることができた。
2010年5月30日  撮影 CANON G10
 
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