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Good Journey(よい旅を!)
川越太師・喜多院

正式名称は星野山 無量寿寺 喜多院。
天長7年(830)に慈覚大師が無量寿寺を開いたのが始まりと伝えられる。
永仁4年(1296)、尊海が慈恵大師を勧請して無量寿寺を再興し、北院・中院・南院となる各房が建てられ、喜多院となったのは慶長17年(1612)、徳川家康の信任を得る天海僧正が、住職となってからのこ。
寛永15年(1638)、大火によって喜多院のほとんどを焼失。3代将軍家光が江戸城内・紅葉山から客殿、書院などを移築する。それが結果的には江戸の大火による焼失を免れることになり、江戸城唯一の遺構として残されることになる。客殿や書院には「家光誕生の間」「春日局化粧の間」と伝えられている部屋があります。
これらは、慈眼堂・山門などとともに重要文化財に指定されています。喜多院は、五百羅漢やダルマ市(1月3日)で知られています。

慈恵堂
比叡山延暦寺第18代座主の慈恵大師良源(元三大師)をまつる堂宇。大師堂として親しまれ、潮音殿とも呼びます。
裄行(たけゆき)9間、梁間(はりま)6間、入母屋造りで銅版葺。現在、喜多院の本堂として機能し、中央に慈恵大師、左右に不動明王をお祀りし、毎日不動護摩供を厳修しています。川越大火の翌年、寛永16年(1639)10月に大火以後、いち早く再建された。

多宝塔
総高13m、方三間の多宝塔で本瓦葺、上層は方形、上層は円形、その上に宝形造りの屋根がのる。
寛永16年(1639)、山門と日枝神社の間にあった古墳の上に建立。その後、老朽化のため、明治43年(1910)に慈恵堂と庫裏玄関との渡り廊下中央部分に移築される。ただし、移築に際し大幅に改造されていたので、昭和48年(1973)に現在地に移し解体修理を実施し復元する。。

多宝塔と手水舎
客殿、書院の入り口
徳川三代将軍家光公誕生の間や乳母春日局化粧の間などがある。
ここから中に入って本殿や書院、庭園を拝観することができる。
本殿と庫裏をつなぐ渡り廊下。この渡り廊下から展望を楽しむことができる。
家光公お手植えのしだれ桜
庭園
書院の奥庭は江戸城紅葉山を模して造られた。
五百羅漢
日本三大羅漢の一つに数えられます。この五百余りの羅漢さまは、川越北田島の志誠(しじょう)の発願により、天明2年(1782)から文政8年(1825)の約50年間にわたり建立されたものです。 十大弟子、十六羅漢を含め、533体のほか、中央高座の大仏に釈迦如来、脇侍の文殊・普腎の両菩薩、左右高座の阿弥陀如来、地蔵菩薩を合わせ、全部で538体が鎮座しています。

このように酒を飲んでいるものや笑うのあり、泣いたのあり、怒ったのあり、ヒソヒソ話をするものあり、本当にさまざまな表情をした羅漢様がおられます。いつまで見ていても飽きないくらい、変化に富んでいます。また、深夜こっそりと羅漢さまの頭をなでると、一つだけ必ず温かいものがあり、それは亡くなった親の顔に似ているのだという言い伝えも残っています

  • 客殿(重要文化財) - 寛永15年(1638年)建立。「徳川家光誕生の間」がある。
  • 書院(重要文化財) - 寛永16年(1639年)建立。「春日局化粧の間」がある。
  • 庫裏(重要文化財) - 寛永15年(1638年)建立。
  • 山門(重要文化財) - 寛永9年(1632年)建立。
  • 鐘楼門(附:銅鐘)(重要文化財) - 元禄15年(1702年)建立。
  • 慈眼堂(重要文化財) - 正保2年(1645年)建立。
  • 仙波東照宮(重要文化財)
  • 慈恵堂(県指定有形文化財(建造物))
  • 多宝塔(県指定有形文化財(建造物))
【アクセス】
〒350-0036 埼玉県川越市小仙波町1-20-1 TEL 049(222)0859
JR川越駅から約1.7km 徒歩約20分 JR川越市駅から1.5km 約18分
西武新宿線本川越駅から1km 約12分
【その他】
2009年9月10日  撮影 CANON G10
 
夫婦で登る日本百名山 HOMER’S玉手箱 麹町ウぉーカー(麹町遊歩人) 会津見て歩記 甲府勤番風流日誌 伊奈町見聞記 鹿児島県坊津町 Good Journey