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Good Journey(よい旅を!)
土津神社
(はにつじんじゃ)

土津神社は「はにつじんじゃ」と読み、福島県耶麻郡猪苗代町の磐梯山徳川二代将軍秀忠公の第4子で3代将軍家光公の異母兄弟、会津松平家の初代藩主保科正之公(1611年〜1972年)を祭神とする神社である。
土津神社は延宝3年(1675年)、磐梯山麓見祢山の地に葬られた保科正之の墓所に造営された。「土津」(はにつ)という名称は、寛文11年(1671年)に正之公が吉川神道の吉川惟足より奥義を授けられた際に「土津」の霊神号を送られたことに由来している。翌寛文12年(1672年)12月に正之が死去すると、その遺言どおり見祢山の麓・磐椅神社の西方に葬られた。
正之公は生前、死後は磐梯山の神を祀る磐椅神社の末社となって永遠に神に奉仕したいと望んでいたため、土津神社は磐椅神社の末社となっている。
本殿の奥の岡の上に正之公の墓地がある。
土津神社
鳥居
正面の拝殿と右の神楽殿

土津神社境内にある,有栖川宮殿下お手植えの松と会津松平容保公の孫にあたる秩父宮妃お手植えの松がある。

殿下については天鏡閣参照
山崎闇斎の撰文で正之の治績を刻んだ高さ7.3mの土津霊神之碑。

亀石と呼ばれている。
この亀石は猪苗代湖を後ろにして正行公の墓に向いている。この亀石については言伝えがあり、もともとこの亀石は猪苗代湖の方を向いていた。ところがこの亀石は夜な夜な動いて猪苗代湖まで遊びにいっていた。その亀石が這いずって行った痕が見つかり、亀を山に向けたらそれ以後この亀石が徘徊することはなくなったという。
土津神社の案内板
土津神社は右端にある磐椅神社の末社である。

会津五桜の「大鹿桜」は、磐椅神社の本社手前にある。

慶応4年(1868年)の戊辰戦争時、母成峠の戦いで会津藩が敗れた後、猪苗代城代・高橋権大夫の命で土津神社には火が放たれ、全焼してした。その後、会津藩が斗南(現・青森県下北半島)に移封されると、土津神社の御神体も斗南に遷された。明治4年(1871年)の廃藩置県によって斗南藩が廃されると、御神体は猪苗代へ戻り、磐椅神社に祀られた。明治7年(1874年)から土津神社の再建が始まり、同13年(1880年)に完成し、御神体が遷されて現在に至っているという。

【アクセス】
車:磐越道猪苗代磐梯高原ICから約15分
電車:JR猪苗代駅から車約10分
【お勧め】
神社の近くに「せんべや」というお菓子屋がありここの揚げまんじゅうはとても美味しいと評判です。しかしかなり人気で予約しておかないと買えません。私たちも自ら買ったことはなく頂き物で食べただけです・・。猪苗代町字諏訪前6795-1 0242-62-3517
2005年10月30日  撮影 CANON IXY500
 
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