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Good Journey(よい旅を!)
歩兵第五連隊第二大隊遭難記念碑
(八甲田雪中行軍遭難事件)

八甲田死の行軍として知られる八甲田雪中行軍遭難事件は、1902年(明治35年)1月に日本陸軍第8師団の青森歩兵第5連隊が八甲田山で冬季訓練中に遭難した事件。訓練への参加者210名中199名が死亡した、日本の冬山登山史上もっとも多くの遭難者が出た事件。
演習の目的は、ロシア海軍の艦隊が津軽海峡(北海道と青森との間)に入り、青森の海岸沿いの列車が動かなくなった際に、日本海側と太平洋側から、それぞれ移動するための演習であった。
馬立場の丘の上に建つ歩兵第五連隊第二大隊遭難記念碑

モデルは雪に埋もれて神成大尉(秋田県鷹巣出身)の命を受けて仮死状態になりながら立ているところを発見された後藤房之助伍長。彼の言により遭難の詳細がつかめたことにより捜索が行なわれた。

背後に八甲田山の前嶽
上の銅像の正面にある銅版に書かれてある内容を書き写したもの。(原文は漢文である)
銅像に向かう歩道の入り口にある。
後藤房之助伍長(宮城県出身)の銅像の後姿
銅像茶屋

この馬立場小野の一帯が遭難現場。茶屋の中に「八甲田雪中行軍記念間 鹿鳴庵」がある。
行軍研究を行なっている小笠原弧酒氏が収集した遺品や写真等約400点が展示されており、悲しい悲劇の歴史を垣間見ることができる。
入館料200円
背後の山が前嶽。
左奥が登ったばかりの赤倉岳。
【アクセス】
青森県青森市横内字八重菊
青森道青森中央ICから国道103号、県道40号経由20km40分

1977年(昭和52年)公開の映画『八甲田山』(はっこうださん)は、新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』を原作とする映画(東宝・シナノ企画製作。)。極限状態での組織と人間のあり方を問いかけ、当年の興行収入の1位を記録した。高倉健(弘前第三十一連隊・徳島大尉(モデルは福島泰蔵大尉))、北大路欣也(青森歩兵第5連隊・神田大尉(モデルは神成文吉大尉))、三國連太郎(同・山田少佐(モデルは山口少佐))主演。北大路欣也のせりふ「天は我々を見放した」が当時の流行語になった。
この遭難の一番の理由は強烈な低気圧の通過による猛烈な吹雪によるものであるが(遭難の日、北海道で我が国最低温度を記録している)、青森第5連隊の指揮官は神田大尉でもあったにもかかわらず、編成外の連隊本部山田少佐が途中から指揮権を奪い指揮系統が混乱したことが原因とされており、企業研修や大学において、リスク・マネジメントやリーダー論などの経営学のケーススタディに用いられることがある事件であり小説である。
この日の午前中、残雪の八甲田山に登り、山頂から山麓を展望し下山を現場を訪ねたことにより今まで映画で何気なく知っていたことが、驚くべき実際の事件であったことを実感できた。家に帰りDVDを借りて見直したが、以前テレビで見たときと異なり詳細にいたるまで理解することができた。

2009年5月4日  撮影 CANON G10
 
夫婦で登る日本百名山 HOMER’S玉手箱 麹町ウぉーカー(麹町遊歩人) 会津見て歩記 甲府勤番風流日誌 伊奈町見聞記 鹿児島県坊津町 Good Journey