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Good Journey(よい旅を!)
佐野厄除け大師
惣宗寺
(そうしゅうじ)

山号は「春日岡山」、寺号は詳しくは「春日岡山 転法輪院 惣宗官寺(かすがおかやま てんぼうりんいん そうしゅうかんじ)」と称する。
一般には「佐野厄除け大師」の通称で知られる。
開基(創立者)は藤原秀郷、開山(初代住職)は宥尊である。
「関東三大師」の一つに数えられる。(群馬県前橋市の青柳大師、埼玉県川越市の喜多院(川越大師)。
「厄除け大師」とは、天台座主(てんだいざす、天台宗最高の地位)を務めた「良源」のことである。比叡山延暦寺中興の祖とされる良源。994年(永観3年)遷化(せんげ:高僧が亡くなること)とともに神格化され、朝廷から贈られた正式の諡号(おくりな)が慈恵大師である。
命日が正月の3日であることから、「元三大師」の通称で親しまれる。
生前より密教の行法を深く修め、多くの神秘奇跡の多かったところから日本各地の寺院に祀られ、俗間の信仰を集めている。ここに安置の大師像は大師の42歳のとき、比叡山解脱谷(げだつだに)においてこの世の人々の厄難苦悩をあわれみ、能化世間苦(のうくせけんく)の秘法を感得し、大師は如意輪観世音(にょいりんかんぜおん)のご化身といわれている。
「おみくじ」の創始者は良源だと言われている。
山門
江戸初期(慶長8年)、現在の城山公園(両毛線北にある)より、現在地に移転する際に、移されたもので、約十万石の格式をもつ大名の大門といわれており、総けやき造りの堂々たる風格をほこる山門である。
金銅(きんづくり)大梵鐘
厄除元三慈恵大師一千年御遠忌を記念して建立された「金銅(きんづくり)大梵鐘」は、人間国宝香取正彦氏によって謹製された。
日本一大きな金の梵鐘(つりがね)で、直径 1.15m、重量約2t、黒塗りの切妻造りの鐘楼に収められている。
水子地蔵尊
ご本尊は身の丈八尺余り、総金ぱく押しの仏体で日本随一といわれている。
建物も珍しい円形多宝塔造りである。
境内の全景
本堂
本堂の中には日本で一番大きいという釜があり、護摩焚き諸願成就の密教儀式が行なわれる。
この護摩焚きの儀式を一度経験すると、その荘厳さにビックリする。
徳川家康公のみ霊(たま)が静岡県久能山より日光遷座の途中、元和3年3月27日一泊。この仏縁により諸大名の寄進にて本殿等の造営が成り、江戸中期を代表する華麗、精緻な技巧によって完成された。
昭和57年8月27日付にて県指定重要文化財となる。全国に祭祀されている東照宮社殿四百余の中、最もすぐれた建造物と高く評価されている。
春日稲荷大明神
藤原秀郷公が平将門降伏の誓願により佐野の春日岡(現在の城山公園)の地に春日明神の社殿とともに当山を建立し(天慶七年三月−西暦944年)朱雀天皇の勅額を賜る。
以来「春日稲荷大明神」を鬼門除けの大明神として、また家内安全、方位除災、商売繁盛に霊験あらたな「稲荷信仰」として祭祀されている。
「嗚呼慈侠田中翁之墓」
明治34年12月10日第15議会開会式後帰る途中の明治天皇に足尾鉱毒の状況を直訴した明治の政治家。
その前に「夕川に葦は枯れたり 血にまとう民の叫び など悲しきや」という田中翁の直訴に感激した石川啄木の句碑がある。
初めて車のお祓いを受け、密教の護摩焚きの秘儀にととても感動した。かなり事細かお願いするのだという。それ以来神社でのお払いではなくこの佐野厄除け大師に通うようになった。しかし、正月はとても混雑するので時期を外したほうがいい。
【所在地】佐野市金井上町2233 MAP
【アクセス】 無料の駐車場も沢山あります。
東北道佐野IC:距離 18.5km 所要時間約20分
東武鉄道 佐野線:佐野市駅より徒歩5分
東日本旅客鉄道(JR東日本)・東武鉄道
両毛線・佐野線:佐野駅より徒歩10分
正月や休日は佐野ICを出るときにとでも渋滞する。それは佐野厄除け大師に向かう人だけでなくICを出てすぐの場所にあるプレミアムアウトレットモールに入る車であり、佐野ICを出るときに左側の車線に入っておくとよい。
2009年1月11日  撮影 CANON G7

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