Good Journey(よい旅を!)
小諸城址 懐古園
山本勘助が築き、仙石秀久によって完成された小諸城。 懐古園は「白鶴城」や「酔月城」とも呼ばれた小諸城の跡で三の門には徳川家達(いえさと)公の筆になる「懐古園」の大額が掛かっている。 小諸城は、全国的にも珍しい城下町より低い「穴城」で、浅間山の火山灰で出来ている谷と丘を利用して造られ断崖が堅固な要塞。 文豪島崎藤村の千曲川旅情の歌「小諸なる古城のほとり」でも知られる信州の名園です。 園内に動物園や藤村記念館があり、藤村記念館の奥からつり橋を渡ると渥美清こもろ寅さん会館や小山敬三美術館がある。 |
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懐古園 徳川家達(いえさと)公の筆になる「懐古園」の大額 徳川家達公は徳川家第16代当主で2008年の「NHK大河ドラマ篤姫」の中で明治になり徳川慶喜公の後を継いだ家達公を篤姫が養育している様子がえがかれていた。 |
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二の門跡石垣に木村熊二小諸義塾塾長の胸像がはめ込まれています。 昭和11年(1936)に完成。字は藤村。 三の門楼上は義塾で雨天体操場として、また後ろの広場は鉄棒が設けられ庭球場となっていた。義塾ゆかりの地です。 |
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佐々木如水盛信筆塚 佐々木如水盛信は享和三年(1803)小諸藩御持筒役小竹半太夫の 長男として生まれ、文武両道に秀で門弟千人を数えたといいます。 文久三年(1863)幕末、徳川三百年の恩顧に応えるため 勇躍江戸に向かい、新撰組に参加。新撰組時代に親交があった山岡鉄太郎(鉄舟)の題額と、高橋精一 (泥舟)の書が刻まれています |
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馬場跡 旧城郭の馬場跡を中心にソメイヨシノが多数植樹されており、日本さくら名所100選に選定されている。4月下旬の桜の開花時期には多くの花見客でにぎわう。 馬場の南側に富士山の見える展望台がある。 |
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千曲川旅情の碑 「小諸なる古城のほとり」 小諸なる古城のほとり 雲白く遊子(ゆうし)悲しむ 緑なすはこべは萌えず 若草も籍(し)くによしなし しろがねの衾(ふすま)の岡辺(おかべ) 日に溶けて淡雪流る 一曲吟じてみました・・(?) 全文は末尾 |
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千曲川 この展望から千曲川旅情の歌ができたのか。 断崖になっており天然の要害であったことが実感できる。 |
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馬場の北側 旅情の碑の前から撮ったもの。 東屋の左奥が島崎藤村記念館。 |
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藤村記念館 明治32年(1899)4月上旬、旧師木村熊二の経営する小諸義塾に国語と英語の教師として赴任。4月下旬、巖本善治の媒酌により函館の網問屋秦慶治の三女冬子と結婚、小諸町馬場裏の士族屋敷跡に新家庭をもつ。 ここに藤村の初恋の人佐藤輔子の写真がありました。 麹町ウぉーカー63号 |
●信越道小諸インターより10分 ●乗用車・バス駐車場(懐古園大駐車場) |
小諸なる古城のほとり 島崎藤村作詞 広田龍太郎作曲 小諸なる古城のほとり 雲白く遊子(ゆうし)悲しむ 緑なすはこべは萌えず 若草も籍(し)くによしなし しろがねの衾(ふすま)の岡辺(おかべ) 日に溶けて淡雪流る あたゝかき光はあれど 野に満つる香(かおり)も知らず 浅くのみ春は霞みて 麦の色わずかに青し 旅人の群はいくつか 畠中の道を急ぎぬ 暮行けば浅間も見えず 歌哀し佐久の草笛(歌哀し) 千曲川いざよう波の 岸近き宿にのぼりつ 濁(にご)り酒濁れる飲みて 草枕しばし慰む |
軽井沢に勉強会に行くついでに仲間たちと立ち寄った。懐古園を散策した後、街中を歩き有名な醤油(酢久商店)店等を巡り、蕎麦を頂きその後ワイナリーで楽しんだ後、軽井沢に向かった。 懐古園はほかではあまり見かけない城下より下に城がある穴城で、島崎藤村の歌で知られている名園で桜の名所でもあり、雪の懐古園も美しいであろう。四季を通じて楽しめる風情のある小諸である。 しかしこの翌日から雪になり、ノーマルタイヤのレガシーは軽井沢の別荘地で脱輪してしまった。 |