戻る 

Good Journey(よい旅を!)
飯盛山

JR会津若松駅からはほぼ真東にある標高314mの山。
戊辰戦争で、会津藩の15歳から17歳の少年たちで構成された白虎隊士中二番隊が、戸ノ口原の戦いでの奮戦空しく撤退する際、この地で鶴ヶ城周辺の武家屋敷等が燃えているのを落城と錯覚し、もはや帰るところもないと自刃した地である。一年を通じて沢山の観光客が訪れ「白虎隊十九士の墓」の前の線香の煙が絶えることが無い、鶴ヶ城と並ぶ会津一の観光地である。→ 飯盛山に関する詳細は会津見て歩記
飯盛山の171段の石段 
石段の脇に有料のスロープコンベアーがある
白虎隊の墓の全容
白虎隊士の墓

白虎隊士の墓の左側には彼等が殉じた君主、第9代松平容保(カタモリ)公の哀悼の碑が建っている。それには「幾人(イクタリ)の涙は石にそそぐとも、その名は世々に朽ちじとぞ思う」とある。
イタリー記念碑
ポンペイの遺跡から発掘された円柱と「武士道の精華に捧ぐ、ローマ元老院と市民より」と刻されている。
フォン・エッツ・ドルフ
ドイツ記念碑
白虎隊士自刃メンバーの中で唯一の生き残り、「飯沼貞吉(後貞雄)」の墓
白虎隊自刃の地
鶴ヶ城の方向を向いている。
ここからはラジオの電波塔の後ろにお城が見える。
会津飯盛山宇賀神堂
宇賀神社には白虎隊の自刃の様子を描いた額縁がある。ここ描かれている白虎隊士の姿が最も実際の服装に近いものであるといわれている。
さざえ堂
1796年に建立されたものである。この建物の特徴は内部の階段がらせん状になっており登る時と下る時同じ通路を通らないことである
【アクセス】JR磐越西線会津若松駅の東約1.5km
  JR会津若松駅前からまちなか周遊バス「あかべぇ」で「飯盛山下」下車。
  会津のバスは鶴ヶ城と飯盛山、東山温泉行きはすぐにわかります。
会津で過ごした3年間は飯盛山は自陣の地のすぐ下に住んだためほぼ毎週登って、白虎隊士の墓におまいりした。
四季を通じて観光客が絶えないが、墓をお参りして、自陣の地から鶴ヶ城を望み、さざえ堂に周り、それから白虎隊士が抜けてきた洞門を見て帰るというルートが一般的であるが、飯盛山に関することは管理者が3年住んだときにまとめた飯盛山に関する詳細は会津見て歩記に詳しくまとめてあるので参考にしていただければ幸いである。 会津全体は会津見て歩記
2005年10月30日撮影

夫婦で登る日本百名山 麹町ウぉーカー(麹町遊歩人) 会津見て歩記 甲府勤番風流日誌 伊奈町見聞記 鹿児島県坊津町 Good Journey