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Good Journey(よい旅を!)
山寺(宝珠山立石寺)

立石寺(りっしゃくじ)は、山形県山形市(仙山線山寺駅)にある天台宗の寺院。山号は宝珠山。寺号は宝珠山阿所川院立石寺(ほうじゅさんあそかわいんりっしゃくじ)。山寺(やまでら)の通称で知られ、古来より悪縁切り寺として信仰を集める。本尊は薬師如来。
創建は、貞観2年(860年)に清和天皇の勅命で円仁(慈覚大師)が開山したとされている。
本堂(根本中堂)の法灯は延暦寺より移されて1100年以上燃え続けている「不滅の法灯」で、織田信長により延暦寺が焼き討ちされたときにはここから延暦寺に火が移されたという。
元禄年(1689年)に松尾芭蕉が旅の途中で訪れ、名句「閑さや巖にしみ入る蝉の声」を詠んでおり、その時のことが『おくのほそ道』に書かれていることで知られる東北の名刹。  地図
山寺立石寺本堂

慈覚大師が国家安泰を護根源道場として建立したもの。大師自作の木造薬師如来坐像等たくさんの仏像がある。
堂内の法灯は建立当時に比叡山中道より移されたもので、1100年余りの間一度も途切れることなく不滅の光を放ち、織田信長の焼き討ち後の延暦寺再建時に、逆に立石寺から分けたといわれる。
山門
鎌倉時代に建てられた山門
本堂から山門までの間に日枝神社、秘宝館、念仏堂のほか俳聖芭蕉と門人曾良の銅像もある。
芭蕉は元禄2年(1689年)5月27日(陽暦の7月13日)、出羽路に紅花が咲く初夏の頃でここを訪れている。
拝観料 300円でした。
芭蕉のせみ塚

明和年間に最上の俳人坂部壷中が芭蕉の「しずかさや岩にしみ入る蝉の声」とかいた短冊をうめ石塚を立て「蝉塚」と名づけたという。
弥陀洞(みだほら)長い歳月で雨風が阿弥陀如来の姿を作り出した。
一丈六尺(約4.8m)の姿から六丈の阿弥陀ともいい、仏のお姿に見ることができる人には、幸福がおとずれるという。
仁王門
嘉永元年(1848年)に再建された欅材の門
左右に安置された仁王尊、十王尊は運慶の弟子の作と伝えられる。
性相院
本尊は阿弥陀如来
仙台城主伊達政宗公の御生母の日牌所となっている。
中性院
本尊は阿弥陀如来
山形城主最上義光公並びに新庄藩戸沢侯歴代の日牌所となっている。
奥の院
右奥が奥の院(如法堂)、慈覚大師が中国で修業時に持ち歩いた釈迦如来と、多宝如来を本尊とし、石墨草筆の写経道場で明治5年に再建された。

左側が大仏殿(像高5mの金色の阿弥陀如来)
奥の院までの石段を一段一段登ることによって、煩悩が消滅され、幸福になれると書かれている。
華蔵院から中性院、修業の岩場(釈迦ヶ峰)などを望む。
華蔵院に向かう参道の洞穴に重要文化財の「三重の塔」が安置されている。
大正天皇が行幸の際、眺望所が建てられた場所である。
開山堂
開山の慈覚大師のお堂で大師の木造の尊像が安置され、僧侶が朝夕食飯と香を供えてお勤めしている。
江戸時代の再建。

左側の赤い建物は写経を納める納経堂(山寺で一番古い建物)
納経堂の真下には慈覚大師が眠る入定窟がある。
五大堂
五大明王を祀って天下泰平を祈る道場。
山寺髄一の展望台である。
五大堂から見る山寺の町並み
右側に仙北線の山寺駅があり、右が山形市、左が仙台方面。
開山堂から性相院とその上に釈迦堂と修業の岩場(釈迦ヶ峰)
危険な岩場を通ってお釈迦様のみもとへ至る行場で、出世や欲望のための修行者が岩場から転落し死したことも多かったと伝えられる。
案内板に「みちのくの 仏の山のこごしこごし 岩秀に立ちて汗ふきにけり」 斎藤茂吉とある。
秋田から帰りに、久し振りに立ち寄った。五大堂が正面に見える橋のたもとのお土産屋の駐車場に止めて、本堂から登る。駐車料金500円(但し、売店で1000以上の買い物をすれば駐車料は無料。)
52万坪の境内は他の寺では経験できない幽玄の世界が広がる。芭蕉の蝉塚の少し上に奪衣姿(だつえ)の石像が納められた姥堂があり、ここが地獄と極楽の境界であり、ここより上が極楽でそれより下が地獄で、堂のそばにある清水で身を清めて登るのだという。
今回は2度目であるが以前上ったときは1015段の石段がとても苦しかったが今回はそれほどでもなかった。案内板をじっくり読みながら回ると、芭蕉の蝉の句だけでなくとても有意義な時間が過ごせる(約1時間程)。それにこの山寺は間違いなく霊山である。・・今流行のスピリティアルに関心のある人たちにとってはパワースポットなのだろうか。ほとんど霊力の無い私が鹿児島県の霧島神宮以外では久し振りにパワーを実感した。霧島神宮は別格です・・。
2008年10月5日  撮影 CANON G7

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