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Good Journey(よい旅を!)

城山と西郷隆盛洞窟

鹿児島市内の西郷像と城山の西郷洞窟。鹿児島の西郷像は上野の西郷さんと異なり陸軍大将の軍服姿である。
南戦争田原坂の戦いに敗れた西郷隆盛が最後の5日間を過ごした洞窟。西郷隆盛はこの洞窟の中で自刃、桐野利秋などの将兵も壮烈な最期を遂げる。
城山から鹿児島の市街と錦江湾越しの桜島は鹿児島を代表する展望である。
一番下の西郷隆盛洞窟の案内板には以下の通り書かれています。
「おはんらにやった命(MY LIFE  IN YOUR HANDS」
-西南戦争最後の司令部-
1877年(明治10年)9月24日、午前4時政府軍の城山総攻撃が始まりました。
城山に立てこもる薩軍兵士は、わずか300余。これを囲む政府軍は幾重にもの柵を回らし、その数4万。死を決した西郷は夜明けを待って、5日間過ごした洞窟を出ました。桐野利秋、別府晋介、村田新八、池上四郎といった私学校の幹部たちも一緒です。この日の西郷の井出たちは妻のイトが縫った縞の単衣に白い兵児帯。ゆっくりと谷崎谷を下ります。そのとき流れ弾が西郷の腰に命中。別府の介錯をあおいで49歳の生涯を閉じたのです。西南戦争というのは、不平士族の反乱のあいつぐ中、台風の目というべき西郷を慕う私学校の生徒たちが、政府の挑発によって引き起こした暴動が始まりです首謀者の引渡しか全面戦争か、その結論をだしたのは「おはんらにやった命」といいう西郷の一言でした。2月15日、ついに挙兵。熊本で政府軍と激しい攻防をくりかえすも、近代兵器のまえに敗退。7ヶ月に渡る大乱の最後を、西郷は故山城山で迎えたのです。」
そして一番下の西郷の写真の左が桐野利秋、右が西郷を介錯した別府晋介
そしてその下に
「ぬれぎぬを 干そうともせず 子供らが なすがままに 果てし君かな 勝海舟」とある。
2006年8月13日  撮影 CANON IXY500

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