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Good Journey(よい旅を!)

近江八幡

滋賀県中部、琵琶湖東岸に位置する市。1585年〜1590年 豊臣秀次公が近江八幡城を築き、碁盤状の城下町を建設。中山道六十九次の武佐宿が置かれた。水郷が残り時代劇のセットの中にいるような雰囲気がする。この町にはメンタームで有名な近江兄弟社があった。 MAP
八幡堀
1585年(天正13年)、四国征伐で軍功により豊臣秀次公は、近江43万石を与えられ、八幡山に八幡城を築城し、城下町を開き、湖畔を埋め立て、八幡山周囲に八幡堀を開削した。堀は、八幡城の防衛と湖上交通による物流の役割を兼ね備え、城下町は発展・繁栄した。
八幡堀
しかし、秀吉公により1595年(文禄4年)、秀次公は自刃に追い込まれ八幡城は廃城になった。
しかし、近江商人は八幡堀の地の利を活かし、畳表、蚊帳、米、酒などを陸路や水路を利用して各地へ搬出し、各地の産物を持ち帰り、再び各地へ送り出すといった「諸国産物回」と呼ばれる商法が発展した。
近江商人の商売哲学「買い手よし、売り手よし、世間よしという三方よし」は、他国での商売を通じて生まれた概念であるという。
白雲閣
1877年に八幡東学校として建てられた擬洋風建築である。建設費の6000円(当時)は大半が市民の寄付によるものであったという。解体修理され際に創建時の姿に復元され、以降観光案内所等として活用されている。
西川資料庫の塀
江戸時代から明治時代前半にかけて活躍した近江商人西川利右衛門の屋敷で、国の重要文化財に指定されている.

西川利右衛門は屋号を大文字屋と称し、江戸・京都・大阪に店舗を構え、蚊帳・畳表などの商いで財を成したという。
像の脇のプレートには
名誉市民ウイリアム・メレルヴォーリズは1880年(明治13年)10月28日、米国カンザス州レブンワーズしに生まれた。両親の感化により信仰心にの厚かった彼は、1905年(明治38年)2月、24歳のとき、国際YMCAから日本の近江八幡に使わされた。以来1964年(昭和39年)83歳で亡くなるまでこの地を去ることなく、キリスト教精神に支えられた、愛に満ちた理想社会実現のため、彼を慕う多くの人々と力を合わせて、医療や教育事業を進め、建築に卓越した手腕を発揮し、キリスト教を伝道し、福祉や文化を高めるなど、多彩な社会貢献活動を展開した。そして、これらの活動を経済的に支えるため、建築設計会社をはじめメンソレータム(現メンターム)で有名な製薬会社を興し、企業家としても大いなる成功を収めた。外観よりも内容を重視したヴォーリズの西洋風建築は、大丸心斎橋百貨店、関西学院大学をはじめ、住宅、教会など国内外に1600にも及んだ。
・・・と紹介されている。
八幡山ロープウエイ
標高271.9mの八幡山には1585年(天正13年)、豊臣秀次公によって八幡山城が築城された。八幡山最頂部に本丸をもうけ、二の丸、西の丸、出丸が配置された一大要塞であった。
現在は石垣を残すのみで、本丸跡には、瑞龍寺が建っている。
八幡山ロープウェーは年中無休で片道400円である。山頂からは琵琶湖、西の湖、旧城下町など大パノラマが広がる。
2003年1月13日  撮影 CANON IXY300

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