戻る 北足立郡伊奈町 (伊奈町見聞記)
伊奈町の石仏
平成3年にこの町に住むようになって町の至る所にお地蔵様や、馬頭観音、庚申塔などを見かけていた。転勤で5年ほどこの町を離れて戻ってからますますその想いを強くしたため、時間を見つけては町内の石仏の写真とそこにある記載を収集してみた。 この町は江戸のはじめは関東軍代伊奈備前の守の陣屋が小室丸山に置かれていた。埼玉県北足立郡伊奈町は中山道大宮宿、上尾宿、桶川宿、鴻巣宿の右(東)側に南北に位置することから宿場の近隣の町として多くの営みが行われていた。 石仏と向かい合うとその一つ一つに個性があり美出的な美しさもあるが、古の人たちの喜び悲しみ、そして市井の民の信仰やささやかな幸せや悲しみを石の中から語りかけてくる。最初は読めなかった石仏の文字も何回となく向かい合ううちにそちらから語りかけてくるから不思議である。 最初は伊奈町の「伊奈町史資料調査報告書第二集伊・奈町の石仏」を参考に歩いたが、昭和61年に調査されたときからすでに失われたのも多、また調査から漏れているもので素晴らしい石仏も多数存在することが分かりました。 伊奈町に限らず、武州足立群はある意味で「石仏の里」とも言うべき地域であるように思えます。困難な作業になると思われるがこれからすこしづづ[石仏の里]伊奈町を探訪してみます。 ただ、文化人類学的素養があるわけではないため解説と写真の特定に誤りがある場合はお許しください。 伊奈町の石仏理解のための用語 |
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願成寺の石仏 | 伊奈備前の守のひ孫伊奈忠勝の墓がることで知られる。 境内にあるこのお地蔵様は寛文10年(1670年)町内で一番古いものとされている。 その他にも古いお地蔵様が多くあります。 石川五右衛門を捕らえたと伝えられる仙石備前守秀久が1614年に 領地の小諸に帰る途中、死亡しここで密葬をしたと伝えられています。 願成寺についてはこちらから。 |
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法光寺の石仏 | この法光寺には町の文化財に指定されている「十三仏板石塔婆」がある静かで落ち 着いた見事なお寺であり墓地を持つ。 入り口の脇の鐘楼の前に大きな六地蔵が並びきれいに掃き清められた墓の間に 見事な地蔵尊や石仏が数多い。 石仏に書かれた時代や記述を読み取れる喜びはここの石仏で知った。 西光寺についてはこちらから |
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建正寺の石仏 | 氷川神社の傍にある建正寺。 写真の六地蔵は墓地の入り口に立っている文化4年(1807年)建立角柱の3面に 六地蔵が2体づつ彫られている珍しいもの。 この墓地にも素晴らしい石物がたくさんありました。 特に捨てられた墓石の間の小さな柘植の木の間に密かに隠れたように建っていた 美しい聖観音と地蔵尊を発見したときには涙ものでした。 建正寺についてはこちらから |
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小室観音の石仏 | 小室観音清光寺は伊奈町で唯一の天台宗の寺である。 細い参道は趣がある。入り口に庚申塚が立ち境内に入ると元禄14年(1701年)に 建てられた高さが250cm.もある町内で一番大きなお地蔵様がある。 台座の三方にはこれを作った人たちの名前がびっしりと彫られている。 特に台座の左側にはひらがなで書かれた「おゆき、おみや、おいね・・など等」 女性の名前がびっしりと彫られている。 |
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西蔵院の石仏 | 伊奈学園のそばにある西蔵院。 境内に入るとすぐに2対の大きなお地蔵様がお堂の中に建っている。このお地蔵様も 古いもので左側のお地蔵様は1710年に建てられた物である。 そのわきに宝篋(キョウ)印搭が2つ立っている。 そしてその宝塔の後ろに、巡礼に行った記念に建てた巡拝搭が3つ建っている。 |
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西光寺の石仏 | 小さなお寺であるが、趣のあるお寺であ。西光寺については 古びた山門の左わきに多くのお地蔵様が立っている、 そのなかでも右の写真は「廿三仏」といといわれるもので町内で唯一のものである。 13仏とはお通夜などでよく耳にする念仏です。「ふーどおー、しゃかー、もーんじゆ・・・」 等と節を付けてよまれるもので、初七日を司る不動明王から・・釈迦・・・・ 最後の33回忌を司る虚空像菩薩まで13の仏を唱えるものである。 |
2003年3月6日追加
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