上信越自動車道、信濃町ICより約20分で戸隠神社奥社入口の無料駐車場に着く。
身支度を整え奥社に向けて歩き始める。売店脇の大きな岩魚の泳ぐ「さかさ川」を渡り、奥社まで1.9qもの参道は一直線の大きな杉並木で、約400年前に植樹されたものである。中間地点の「隋神門」まではなだらかであるが屋根に草が生えている「隋神門」からは登りが少しきつくなる。
奥社に到着してから登山届を提出して、戸隠地区山岳遭難防止対策協会の原山さんから登山道の写真と綺麗なイラストで書かれたルートマップをもとに登山上の注意を聞く。登山前のこのような指導は初めてのことでありがたく拝聴したあと、奥社に安全を祈願して奥社の左側より登山道を登り始める。原山さんの話によると「五十間長屋まで1時間は特に問題はない山道が続く。」というもののとても急な山道である。とても蒸し暑く汗が滝のように流れる。10分ほども登ると所々に奥社や飯綱山が見渡せる場所に出る。それからやせた尾根道をジグザクに登ると最初の鎖場が現れる。それから約15分ほどで「五十間長屋」に出る。「五十間長屋」は140m以上もある絶壁の最下部が「コ」の字型にえぐれて、雨宿りができるようになっている。五十間長屋の崖を左に巻くように付けられた笹に覆われた鎖場を登ると垂直な崖の最下部にわずかに足場が付けられただけの巻き道である。100メートルほど歩くと「百間長屋」に出る。名前の通り「五十間長屋」より倍ほど大きな岩の回廊である。その中央ほどに石仏が祭られている。長屋のはずれに西窟がある。その上に洞窟があって祠があるらしい。ここで今夜のテン泊地である戸隠キャンプ場で一足先にキャンプをしている仲間から無線が入る。ところが歩きながらの交信は注意が散漫になり危険なため交信を止める。
その脇から本格的な鎖場が始まり、まず10m以上もある急斜面である。斜面がえぐれているため高度を感じないので登りやすい。登りきったところが「天狗の路地」である。ごつごつした石が三角形に固まったような10mほどの岩山の中央に鎖がかけられ空に飛び出すように見える。確かに天狗が天空に飛び出す場所に思える。
それから土がえぐれた鎖場を抜けると更に上に鎖場が続き10m程垂直に登った後、今度は水平に移動したあと最後に5mメートルほど垂直に登る。鎖を頼りにスタンス(足場)やホールドポイントを探し、確認しながら登る。全長30メートルの垂直な鎖場である。
登りきると少し広い平らな場所に出る。そこから下から登って人たちの鎖場登りを観察する。
それから次から次へといろんなバリエーションの鎖場が現れる。最後に胸突き岩で垂直に近い約15m程の鎖の岩場を登る。岩登りの基本である両手、両足の4支点のうち一つだけを動かし、他の三点で身体を支えるという三点支持を意識的に行うことで岩場の高度感と恐怖心はそれほど無い。下を見るひまもなく目の前のスタンス、ホールドポイントの確保に集中した。
そして最後の短い鎖の岩を乗り越えると突然、名に聞く「蟻の塔渡」に出る。
これから約20メートルほど、尾根の巾が最高で50センチ、狭いところで20センチしかなく、両脇がストンと切れ落ちた断崖絶壁の最頂上部の尾根である。西面は垂直、東面は多少傾斜があるが、落ちたら止まることはまず不可能である。更にその先は「蟻の塔渡」より更に尾根巾が狭くなり20センチ程しかない「剣の刃渡」にでる。名の通り「ナイフリッジ」である。
気が遠くなるような絶壁で、千尋の谷とはこのような場所を言うのであろう。「蟻の塔渡」の前の岩場に「○○さん安らかに・・」というプレートがある。これは、ここがいかなる場所であるかを暗示している。ここから落ちたら命はない。
先行した登山者は、細尾根を四つんばいになって渡っていた。細い尾根を蟻の様には這いつくばりながら歩くところからこの名前がついたのかと思えた。
「蟻の塔渡」を5mほど進んだところから少し盛り上がっている「蟻の塔渡」の核心部分に入る。この取り付き部分に真下に伸びた鎖が巻き道(トラバースルート)として付けられている。昔の写真でははっきりした巻き道が確認できるが現在では急斜面の岩場に鎖がつけられているだけである。
先に登り始めた妻が「蟻の塔渡」の一番高い部分で腰を下ろしてしまった。その先が下り坂になっていて恐怖心をあおる為、登山口にあった「勇気をもって引き返せ」という幟の標語を思い出して、無理させずに引き返させた。「蟻の塔渡」の核心部分でのUターンは、端の土が崩れそうでとても怖かったという。尾根は年々風化により細くなっているらしい。
巻き道を渡ることに決め、東面の絶壁の鎖場を垂直に10メートルほど降りてから今度は急な岩の壁を水平に移動する。足場らしいものは無く、稜線に登山者が歩いたあとらしきラインが見えるだけで鎖を支えにして自ら足場を探しながら歩く。
巻き道の岩場の中央あたりから見上げると「蟻の塔渡」の最頂部を下ったあたりにギャップがあり、そこから尾根がますます狭くなるため、そこに下にトラバースする鎖が付けられている。この中間地点にあるのトラバースルートと「蟻の塔渡」の巻き道が合流するということは登山口でもらった「戸隠山の山歩きマップ」等のガイドブックには紹介されていない。合流地点から鎖を頼りに岩壁を登り、最後の難所「剣の刃渡」の取り付きのギャップに出る。ここは名前の通りに「蟻の塔渡」より更に巾が狭く、その上にトラバースルートが無い。従って、皆このナイフリッジを渡らねばならない。登山案内には「馬乗りになって渡るべし」とあるが、馬乗りになるより、稜線に手をかけて西側壁面に少しだけある足がかりに立って横に移動したほうが渡りやすかった。垂直に切れ落ちている絶壁のほんの少しの足がかりであるが、剣の刃のような稜線にかけた手にかかるホールド感が細尾根をまたがず、切れおちた西側斜面に身の乗り出す勇気を与えてくれた。
私たち夫婦が渡ったあとに続く二人の男性が手間取っている間、下山してきた夫婦のパーティーが我々がわたりきるのを待っていてくれた。ここは一方通行が暗黙の了解である。ところがその間に大粒の雨が降ってきた。この雨が「剣の刃渡」に取り付いている2人の男性をあわてさせ、鋭い刃先でバランスを崩しそうになりハラハラさせられた。
そして最後のくぼみの様に割れた岩場(チムニーというらしい)を登り終えると八方睨(1900m)に出る。
登山口で貰った「戸隠山の山歩きマップ」には奥社からこの先の戸隠山山頂まで2時間30分までとある。しかし、「但し、恐怖心で異なる」とかかれている意味が理解できる。
八方睨に立つとすぐに、激しい雨が降り始めそして雷が鳴り始めた。身を隠す場所も無く一時山頂で雨足が弱まるのを待つ。20分程して少し雨足が弱くなり雲が切れたので「蟻の塔渡」の尾根を見ると先ほど我々が渡るのを待っていてくれた夫婦のパーティーが渡れずに岩の池下に身を潜めているとともに、我々と一緒に登ってきた男性3名のパーティーもその脇の岩場で身を隠して雷雨の通り過ぎるのを待っている。
南には飯綱山、西には西岳、そして北には高妻山が見えてきた。天候が良ければここから見える眺望は素晴らしい場所である。それしてここから断崖を覗きこむと身の毛もよだつ高さである。
11時15分、再び降り始めた雨の中、一不動避難小屋を目指して出発する。ルートタイムは約2時間である。
八方睨を出て少し下山してから登り返すと約15分で戸隠山の最高峰に出る。ガイドブックには1904mとあるが、山頂の標識には1911mとあった。戸隠山の山頂は八方睨の展望が素晴らしいため、「通り過ぎてしまうような特徴のない場所」と紹介されているが、八方睨にない落ち着きのある申し分のない360度のパノラマポイントであった。
山頂をあとにしてからは約1時間弱を目処に九頭竜山を目指す。この間、激しい雷が断続的に近づいてきては離れていく。雨が小降りになって視界が開けると私たちが歩いている場所は戸隠神社奥社の裏の聳える岩壁の縁を歩いている。歩く道の左側は藪であるが右側は絶壁である。下から見ると奥社の裏の標高差約700から800mの戸隠山のスカイライン部分を歩いていることになる。真下に奥社とそれを囲む深い森と鏡池その奥に飯綱山が聳える。まるで天空の道を歩いている気分になる。これほどの断崖の上を長い時間歩いた経験はない。人一人が歩けるほどの狭い尾根道は豪雨のため歩きにくく、足を滑らせたら真下に転落するという恐怖心から、最初は腰が引けていたこの断崖上の道が心地よい。とはいえ激しい雷雨が次から次へと襲ってきて雷が近づいて来るたびに生きた心地がしない。運を天に任せる以外に無かった。
右下に見える岩壁に激しい雨水が集まって激しい流れをつくり滝となって流れている。
アップダウンを繰り返しながら、九頭竜山の一つ手前の小さなピークに大きな木の陰になる広場があり、そこで土砂降りの中でリュックを開き、持って来た食料を何とか口にした。
それからひと登りで九頭竜山(1883m)に出る。山頂には少しばかりの広場と三角点があり、雷雨のため視界は利かなかった。
九頭龍山からの道すがら西の方角に一不動の手前の小さなピークと、北西に端正なピラミダラスな高妻山が見える。右下には戸隠牧場も見える。正面に高妻山に登る五地蔵山の稜線がきれいに見えている。
ますます雨が激しくなり次のピークまではとても滑りやすく急な坂を登る。一不動の前の小ピークの北面の巻き道の樹林の中のピークあたりで一休みして、約20分程下るとカマボコ屋根の一不動避難小屋に出る。
「一不動」は高妻山に登る五地蔵岳の道々のポイントに付けられた名前で「二釈迦、三文殊、四普賢、五地蔵」と続くポイントの一つで、戸隠牧場からの登山道が戸隠山と五地蔵岳に分岐する場所にある。
途中で沢登をした2人の若者と合流したが、この豪雨も何するものものぞと言わんばかりに、藪をこいで上がってきたと見えて草を体にいっぱい付けて楽しげに降りていった。
一不動避難小屋はブロックで作られたカマボコ形の無人の避難小屋であるが、雷雨と豪雨にさいなまれた緊張の2時間の山行から開放され、やっとゆったりすることができた。
この思いは我々だけではなく、下山してくるパーティーは口々に「雷が怖かった。生きた心地がしなかった。」と言っていた。
避難小屋の中でコーヒーと紅茶をいれて一休みしてから、戸隠牧場を目指して下山を始める。
笹薮を抜けて下山を始めると15分ほど下ると「氷の清水(一杯清水と呼ばれていたという)にでる。下山すればするほど登山道がますます水が湧き出てきて歩きにくくなる。
下山を始めて30分ほどで大きな滝(不動滝)があり、その脇を鎖で降りることになる。
不動滝を降りると今度は、沢筋を離れて帯岩のトラバースルートに取り掛かる。
この帯岩はツルツルの一枚岩(スラブ)で斜度があり、斜めに30メートルほど下りながら横断する。そこの補助用の鎖が付けられているのであるが、水平に付けられているのではなくは、2メートルおきに短冊状に付けられており、雨でぬれた岩場と鎖はとても滑りやすく恐怖心を誘った。
そしてやっと渡りきったら帯岩の左端(右岸というべきか)の水しぶきのかかる場所を鎖で降りることになる。
それから10分ほど下ると今度は広くて長い滑滝(ナメタキ)に出る。滑滝は左岸に20メートルほどの2本の鎖が付けられておりこれを使っておりた。
これから先はそれほど危険な場所は無いが、いくつもの沢を渡渉して、下山を始めて約1時間30分ほどで戸隠牧場の登山口に出る。それにしても沢の水量が多くてまるで沢歩きであった。そして約10分ほどで牧場の管理事務所に出ることができる。
それにしても戸隠山はガイドマップで紹介されているより、かなり厳しい山で、今までに経験したことが無かったスリリングで楽しい山行であった。そして無事下山できたことを戸隠神社の神々に感謝した。
|