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山の話題

雲取山・甲武信岳
田部重治

雲取山荘の脇にある田部重治のレリーフ

雲取山荘を後に山頂へ向かう途上、富田治三郎のレリーフがある。
冨田林道の先駆者で雲取山の素晴らしさに感動し山を歩く時はいつも鎌を腰に携え「鎌仙人」と人々から慕われたそうです。
昭和34年11月雲取山の懐に抱かれて眠りについたと記してありました。

西沢渓谷の甲武信岳登山口に建つ田部重治「笛吹川を遡る」の文学碑

2006年7月15日9時34分

田部重治(たなべ じゅうじ、1884年(明治17年)8月4日〜1972年(昭和47年)9月22日)富山県富山市生まれ。英文学者・登山家である。旧姓は南日。四高から東京帝国大学英文科。海軍経理学校、東洋大学、法政大学などで講義をする。
研究対象は19世紀の英文学で、「ウォルター・ペイター」、「ウィリアム・ワーズワース」などを研究。
立山山麓で生まれ育ったこともあり、四高時代に林並木教授の影響を受けて登山に関心を抱き、更に大学時代に木暮理太郎)を知って山への関心を深め、北アルプス、奥秩父など多くの山々を登り登山家として活動。
富山側の北アルプス最北端の毛勝岳の初登山や秩父における足跡は貴重。
登山家として日本アルプス、秩父山地を歩き、1919年(大正8年)『日本アルプスと秩父巡礼』を刊行、1930年(昭和5年)、『山と渓谷』として出版される。日本アルプスを偉大な山として、秩父山地を緑の渓谷美としてその魅力を表現した。1950(昭和25)日本山岳名誉会員に推された。晩年になって1965年に自伝「わが山旅五十年」を刊行した。


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