戻る 麹町ウぉーカー(麹町遊歩人)

==========麹町ウぉーカー(麹町遊歩人)No.98===========

『線路内に鹿がはいってきた場合急停車することがありますのでご注意下さい。』という車内放送が流れました。なんとものんびりとした内容ですが、先日JR北海道石北線の特急オホーツクの車内で耳にした本当の話です。1分1秒を争う過密ダイヤで走る大都会の電車とでは、ずいぶんと様子が違います。この車内放送で、和やかなほっとした気分になりました。

毎日を過密ダイヤのようにスケジュールをこなしている我々サラリーマンにとっても、のんびりとしたほっとする憩いの一時・・・必要ですよね。

こんな趣味で憩うのもいいなあと思わせる長唄の話題をH氏がレポートしました。

======================================

紫山会館と長唄

JR四ッ谷駅麹町口を出て雙葉学園と主婦会館との間の通りを市ヶ谷方面に歩くと番町小学校の通用門の前に「社団法人日本林業会館」があり、その隣の柱には「紫山会館 吉住稽古場 吉住 花垣 長唄研精会 長唄吉住会」という看板がある(千代田区六番町7−5)。さらにその下に「NPO法人 三味線音楽普及の会」というプレートも架かっている。奥まった突き当たりに紫山会館があり、玄関は通りと垂直に作られているため、一見して会館と呼ばれるような建物には見えない。

紫山会館

玄関の正面に立つ桜の木の下には、石の灯篭と共に「永言」と彫られた碑がある。「永言」とは、江戸時代の古典研究家本居宣長(1730.6.21〜1801.11.5)の書物の中にある長唄の古来の言い方のようである。

この碑の裏側には以下のとおり書かれている(但し、西暦などは漢字の縦書である)。

「吉住慈恭誕生120年にあたりこれを建てる

1997年4月

長唄 吉住会代表

六代目 吉住小三郎 (後の吉住慈恭)紫山会館前の「永言」の碑

四代目 吉住小三郎

1876年〜1972年

1948年(昭和23年)

日本芸術院会員となる

1956年(昭和31年)

重要無形文化財保持者に指定さる

1957年(昭和32年)

文化勲章受賞授与

1972年(昭和47年)

従三位に叙さる

1902年(明治35年)

長唄研精会創設  

1913年(大正2年)

長唄 吉住会創設」

邦楽はなかなか馴染みがないが、長唄とは江戸時代に生まれた歌舞伎における三味線を使った演奏音楽である。それが明治時代から歌舞伎の世界を離れて長唄を三味線で披露する演奏のみを劇場で鑑賞するスタイルを取り始めたといわれる。

長唄が他の邦楽と異なり、現在でも多くの愛好者が存在するのは楽譜があるためであるといわれており、杵屋宗家、杵五や吉住、花垣等十を超す流派がある。

吉住流は初代吉住小三郎が大阪・住吉神社の神官出身であったところから「吉住」を名乗ってから250年以上の歴史をもつのだという。四代目小三郎(慈恭)氏は玄関前の碑の裏面にあるように文化勲章を受章し長唄研精会を創立している。

 

昨年(平成16年)、秋から縁あって浅草公会堂の向かいに本拠を置く日本舞踊の「宗山流」の関係者と仕事をする機会に恵まれ、私の職場に来て頂いたり、私が浅草を訪ねたりしていた。仕事の後には、麹町と浅草で一献やりながら日本舞踊や宗山流の起こりなどの話を伺っていた。そしてゴールデンウイークの5月1日に日本橋明治座で、宗山流創流10周年記念興行を行うと伺い、お願いして観覧させていただいた。

明治座宗山流10周年記念興行舞台では、宗山流一門が家元の宗山流胡蝶さんを中心に勢ぞろいし、その隣に並ぶ頭取の宗山流蝶之介さんの口上により門弟の紹介がおこなわれた。そのあと「浅草さわぎ」という総踊りの後華麗な日本舞踊の世界が始まった。日本舞踊というとなかなか縁のないため、とても退屈なものかと思っていのであるが、背の高い宗山流胡蝶さんの優麗な姿とその妖艶な踊りは日本舞踊をはじめてみる私の目をくぎ付けにした。

それまで私は、日本舞踊は演歌のような曲で踊るものと思っていたのであるが、主だった演目は長唄で演じられていたのである。長唄というものをはじめて意識しながら聴いたが、洋楽のリズムと異なる日本的な懐の深いリズムと間が心地よく退屈するようなものではなく、とても楽しむことが出来た。

今回、日本舞踊宗山流胡蝶家元の踊りや写真を拝見して思うことであるが、男が女形の踊りをすることにより女の出せない女の色気、色香が出てくるから不思議である。普段女性は絶対にしないであろう足を横に伸ばして上体をひねるような無理な所作(時代劇等で花魁や芸者が客に寄り添う姿といえばいいだろうか)の中に女性の究極の色香をかもすのに驚いた。また、はかま姿で踊る男性の踊りも凛として男らしく、とても粋で見事な踊りであった。

 

ところで以前、「わがまち人物館」で麹町界隈に住んだ有名人を紹介したとき、紫山会館の裏あたりの「千代田区六番町5」に若い頃、若山富三郎、勝新太郎兄弟が住んでいて、アメ車を乗り回して青春を謳歌していたというパネルがあったことを紹介した(麹町ウぉーカー62号)。若山富三郎と勝新太郎は東京深川で長唄の師匠・杵屋勝東冶の長男・次男として生まれた。若山富三郎は成人して長唄に精進し名取になり後に映画俳優となった。弟の勝新太郎も幼い頃から兄と共に長唄と三味線を習い、17歳で二世杵屋勝丸を襲名し、ジャズの技法を長唄に取り入れた「たけくらべ」を発表し話題を振りまいたという。

現在、三味線はブームであり「吉田兄弟」、「上妻宏光」さん等の津軽三味線の卓越したテクニックが国内外で高い評価をえている。伝統楽器の特長を活かしながら洋楽と融合する新鮮なアプローチは今に始まったことではなかったようである。勝新太郎が若い頃、長唄の三味線とジャズとを融合させていたという先見性に驚かされる。

一方、勝新太郎の時代劇や明治大正を描いたドラマなどに出てくる旦那衆の趣味としての三味線や長唄、小唄や新派の踊りなどは江戸(東京)の粋の一つであり、一般にはなかなか理解しにくいものの一つである。ここでちょっとした豆知識を紹介しよう。テレビのドラマや時代劇また映画などで長唄や小唄の出てくる場面は多い。小唄を奏でるときの三味線はバチを使わず指で爪弾いている。これに対して長唄の三味線はバチを使っているのを、ご存知だろうか。

 

さて、この紫山会館(長唄吉住会)をベースとするNPO法人「三味線音楽普及の会」は2002年から学校教育に邦楽が取り入れたことに因り学校の先生を対象にした三味線講座を開催している。子供のときから多岐にわたる洋楽と共に日本伝統の音楽に接す機会を持つ子供達には日本の伝統音楽と共に「江戸の粋」というような懐の深い豊かな感性も受け継いでほしいものである。

=====================================

このメールマガジンを読んで頂いている読者の方は、現在252名となりました。発刊当初は100名そこそこだったのが嘘のようです。そろそろlOO号を迎えるにあたり、企画を編集室一同考案中です。もし読者の方で、「こんな企画はどう?」などアイデアがありましたら、ぜひ編集担当までメールをください。

 

先週から江戸の祭り「浅草三社祭り」が始まりました。

初夏ですね。H氏のホームページでも、夏に向け「伊奈町バラ園」の花が次々と登場していますよ。

http://homer.pro.tok2.com/index.htm

 

メルマガの登録解除・バックナンバーはこちらへ

http://www.mag2.com/m/0000073086.htm

(大)

平成17年5月22日配信


HOMER’S玉手箱 麹町ウぉーカー(麹町遊歩人) 会津見て歩記 甲府勤番風流日誌 伊奈町見聞記 鹿児島県坊津町