戻る 麹町ウぉーカー(麹町遊歩人)

==========麹町ウぉーカー(麹町遊歩人)No.95===========

桜が満開を迎えています。気象庁の開花予想は、ちょっと外れたようですね。週末を花見で過ごされた方も多いと思います。H氏のHPでも、2005年麹町さくらウォッチが展開されていますよ。http://homer.pro.tok2.com/sub8(2005sakura).htm

やっぱり桜はいいですねえ・・・・・・。

さて、前号に引き続き憲政会館の話題をお届けします。今回のH氏のメインテーマは尾崎行雄です。

=======================================  詳細写真

憲政資料展示室を出るとすぐ隣が「尾崎メモリアルール」である。入り口にリンカーンとメキシコの英雄の像がある。中に入ると狭いスペースであるが憲政の功労者とされる尾崎行雄の足跡が遺品・著作・書跡・写真などで紹介されている。「尾崎メモリアルホール」入り口

 

尾崎は1858年(安政5年)現神奈川県津久井郡津久井町に生まれた。明治7年に慶応義塾に入学するも退学。明治15年立憲改進党の結成に参加し、同18年東京府会議員となる。同21年第1回衆議院議員総選挙に三重県第5区から以後25回当選している。同29年に進歩等の結成に参加、同三十一年第1次大隈内閣の文相に就任する。同36年第2代東京市長に就任(同45年6月辞任)。同45年ワシントンに桜の苗木を送る。大正3年第2次大隈内閣の法相に就任。憲政会結成に参加するも普通選挙案審議をめぐり除名。犬養毅とともに革新倶楽部を結成。同12年林銑十郎内閣成立に対し、時世を懐に演説(軍部の反省を促す)。同17年選挙演説が不敬罪で起訴されるも、同19年に大審院で無罪判決。昭和27年衆議院より憲政功労者として特別表彰(在職50年)を受ける。昭和28年第26回総選挙に立候補し、初めて落選する。同年7月17日衆議院より名誉議員の称号を送られ、翌29年10月6日に逗子の「風雲閣」で永眠。

 

この中で目を引いた話題を2つだけ紹介しよう。メモリアルホールの中

まず一つが「ハナミズキ」の話しである。尾崎は東京市長時代、大統領タフト氏夫人がポトマック河畔に植えたいという希望があるのを聞き2000本の桜の苗木を送ったが、到着した苗木は検査で害虫が発見され焼かれてしまった。残念がった尾崎は健全な苗木を育てさせ今度は3000本を送り、苗木は無事成育し現在も見事な美しさをポトマック河畔の春を彩っているという。それから3年後の1915年(大正4年)、桜の返礼としてアメリカから東京市にハナミズキの苗40本が贈られてきたという。贈られてきたハナミズキはすでに枯れたとのことでその原木の一部がケースの中に飾られている。

憲政記念館の庭には、その後尾崎行雄記念館開館に贈られたハナミズキが4月から5月に花を咲かせるという。

さらにもうひとつ、「人生の本舞台は将来にあり」という色紙(揮毫)である。「現在なしうることはすべて将来に備えてのことである。」という意味であるという。尾崎が昭和8年寸暇を得て三重に帰り、政争に明け暮れた76年を振り返り「老成に安ぜず将来に目を向けねばならぬ」という自戒を込めて警句を作ったという。

「人生の本舞台は将来に在り」の揮毫

 

尾崎については殆ど知識が無かったが、甲府市に勤務したとき甲府から時折埼玉の自宅に車で帰るとき中央高速を使わず青梅街道を使い塩山市から奥多摩を抜けて埼玉に行き来していた。塩山市から柳沢峠を越えて奥多摩に向かう途中に「オイラン淵」という武田信玄が隠し金山の情報を口封じするために女郎衆約55名を殺したという怖い言い伝えのある場所があり、その近くに「尾崎行雄水源踏査記念碑」を見かけて立ち寄ったことがある。そこには「明治42年(1909年)5月、当時の東京市長尾崎行雄は、多摩川の荒廃した水源地帯を5日間にわたって踏査し、これを買収して水源の涵養を自ら行うことを決断、給水100年の計を樹立した。この記念碑は、昭和38年(1963年)この尾崎市長の功績を後世に伝えるため、踏査を行ったこの地に設置されたものである。」と紹介されていた。

山梨県の大菩薩嶺から東側の山は東京都の所有で、大菩薩峠(嶺)の山頂には東京都水道局の標識をいたるところで見ることができる。聞くところによると東京都水道局が管理する森林の内半分以上は山梨県にあるといわれている。また小菅村や丹波山村の山村であるにもかかわらず下水道普及率が高くは、特に小菅村の水洗化率は100%である。それは東京都が多摩川水系の水源を守るための東京都民の税金でおこなわれているという話を、小菅村の取引先の社長から聞いたことがある。東京都の現在の水資源確保は約100年程前に尾崎の将来を見据えたこのような決断からなされたのであった。

それにつけて憲政記念館の正面にある尾崎の揮毫は現在の既得権勢力の反対に合おうとも国家百年の大計を見据えて決断していくべきであるという政治家、リーダーに求められる資質が謳われているのであり、まさにこの国会議事堂の前にふさわしいものである。

========================================

憲政会館の中に事務局がある尾崎行雄記念財団のHPです。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~gakudo/

 

H氏のHPは桜ばかりだけではなく、スキー技術選手権観戦の話題も満開です。

http://homer.pro.tok2.com/index.htm

 

メルマガの登録解除・バックナンバーはこちらへ

http://www.mag2.com/m/0000073086.htm

(大)

平成17年4月10日配信


HOMER’S玉手箱 麹町ウぉーカー(麹町遊歩人) 会津見て歩記 甲府勤番風流日誌 伊奈町見聞記 鹿児島県坊津町