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 ========麹町ウぉーカー(麹町遊歩人)No.83=============

「プロ野球って、こんなに面白かったの」と、思わせてくれる日本シリーズが続いています。台風で1日順延となり、とうとう月曜日に最終戦となりました。応援している球団ではないのですが、野球観戦満喫の日が続いています。

 

さて、今回H氏は、名門四谷雙葉学園をレポー卜してくれました。

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JR四ッ谷駅麹町口を出るとすぐ左手に四谷見附門跡があり、春になるとここから市ヶ谷駅まで桜の花で埋まる千代田区でも桜の名所のひとつである。その土手沿いに四谷雙葉学園がある。雙葉学園の桜並木

朝通勤時には小さな帽子に紺のスカートを着た可愛らしい幼稚園児が若いお母様に手を引かれて通園する様子が見られる。

 

この雙葉学園は都内でも指折りの有名な私立女学校であるが、その歴史は古く明治30年(1897年)にサン・モール修道会(幼きイエス会)が、赤坂葵町三番地に、「Futaba kwai wa jo gakko」という名の外国語のためのお稽古所(塾)を開いたことに始まりである。そしてこれが「雙葉会」の始まりである。

名称はその時塾が作られた赤坂葵町の《葵》にヒントを得て決定されたという。

フタバアオイは、森林の下草として生える多年草で、名前のように1本の茎の先に二枚の葉をつける。「ふたばは同じ茎の上に生まれて開く姉妹葉」という「神秘的で愛らしい名」として取り上げられ「色変えぬふたばの緑を友情のシンボル」、すなわち「外国語の勉強と会話を通じてヨーロッパの女性と日本の女性たちが深い友情の絆で結ばれるということの、素晴らしい象徴」であるという。そこで「ふたばくわいじょがっこう」という言葉が生まれた。すなわち、「ふた=二つ、ば=葉、くわい=集まり、わ=会話、じょ=若い婦人や娘、がっこう=教育」という意味があるのである。

 

ところでこの雙葉会とは以下のようなものだったようである。

フランス語(月木土)や英語(月水金)を午前10時から11時と午後1時から2時とそのあとに華族女学校の授業終了後30分後に始まるコースの3つに分かれていた。どの授業にも英語フランス語の話せる通訳が一人ついていた。

授業料は月3円、個人授業は1時間50銭。毎週1回はサロンで授業を行い、会話のほかにヨーロッパの習慣や作法を教えた。

毎月一度午後の時間をレセプションの時間として、後援者、後援者の夫人方をお招きする。それは隔月でフランス語と英語で行うというものであった。

後援者には鍋島公爵夫人、西郷公爵夫人、前田公爵夫人、戸田伯爵夫人などの名が見える。ちなみに華族女学校は現在の永田町参議院議長公邸の場所にあった。

「雙葉会」はその後、平河町に移り、それから麹町の現在の場所に移った。明治42年(1909年)、サン・モール修道会は、当時築地にあった女子語学校をやめて、麹町に新しい高等女学校をつくり、その時平河町から移ってきた「雙葉会」の名前をとって「雙葉高等女学校」としたという。

1951年には、サン・モール修道会(幼きイエス会)の経営する学校は、校名を「雙葉」とすることになったという。「幼きイエス会」が運営している学校は、国内では雙葉学園「東京(四谷)」・田園調布雙葉学園「東京」・横浜雙葉学園・静岡雙葉学園・福岡雙葉学園・聖マリア学院「長崎」、サンモール・インターナショナルスクール「横浜」の7校がある。

現在ではこげ茶色の煉瓦の壁に十字架が架けられたビルになっているが(幼きイエス会ニコラバレハウスと呼ばれている)、昭和時代の四谷駅周辺を知る人々にとっては、改築前のイグナチオ教会と、このサン・モール修道会の教会が四ツ谷駅麹町口のシンボルであったようである。

以前シスターにお話を伺ったときに「教会ではなくお堂がありました。大正時代に建てられた、それは美しいお堂でしたよ。それが平成になって修道院と雙葉学園の校舎と共に建て替えられました。」と話していただいた。お堂は双葉学園の講堂の辺りにあったという。それにしてもシスターの優しい眼差しと語り口がとても幸せな気持ちにさせていただいた。

 

ところでこの「サン・モール会」修道院の正式名称は「幼きイエス会」である。この修道会は1678年、ニコラ・バレ神父によってパリのサン・モール街に修道女の養成機関が作られたことに始まるという。この修道会はキリシタン禁止令のまだ残る明治5628日午前5時に、メール・セン・マチルドが4名の修道女(シスター)を伴って横浜に上陸した。この5人がわが国に足を踏み入れた最初のシスターである。ちなみに禁教令が解除されたのは翌年の明治6(1873)224日である。

 

雙葉学園のある土手は千代田区でも指折りの桜の名所で、桜の季節になると土手側の校舎は桜の花で埋め尽くされる。正面玄関の上に雙葉学園の校章がはめ込まれている。雙葉学園の校章

校章は上下にフランス語の書かれたリボンがあり、その間に上に十字架がついた盾が描かれている。その盾は左上から右下に綬(肩から胸に掛ける勲章を着けるのに用いる物)が描かれ、それをはさんで右上に聖書とロザリオ、左下に糸巻きがある。そしてその盾を左右をマーガレットの花が飾っている。

この校章については以下のように説明されている。

「校訓のことばがフランス語で上と下に書かれています。十字架は、キリストの教えが基本になっている学校であること、聖書は、人間が生きるための道・光・真理を与えてくれるものであることロザリオは、祈ることが大切なものであることを教えています。糸まきは、勤労を愛すること、マーガレットの花は、純真の精神を示しています。中央の盾は、ここに示されている教えを盾として困難を乗り越え、綬(肩から胸に掛ける勲章を着けるのに用いる物)は、この校章にある精神をほこりとして生きることを表しています。」

上下にあるフランス語の校訓とは上段が「SIMPLE DANS MA VERTE」(徳に於いては純真に)、下段が「FORTE DANS MON DEVOIR」(義務においては堅実に)という意味であるという。

 

ここで、雙葉学園に関する話題をいくつか紹介しよう。

まず、ここが皇后陛下美智子様の卒業された小学校である。1934年10月20日(先週古希を迎えられた)に誕生された美智子さまは、本郷の大和郷幼稚園から「雙葉学園幼稚園」を経て、1941年に「雙葉学園雙葉小学校」に入学された。太平洋戦争の戦火が激しくなったため、44年以降には神奈川、群馬、長野と転校を繰り返され、47年1月に「雙葉学園雙葉小学校」に戻られ、卒業された。「后陛下は聖心女子」というのは中学校、高校、大学のことである。子供のころは四ツ谷の雙葉学園で過ごされている。

 

フタバ葵(棒の折山)次に雙葉学園の校名の由来となっている「フタバアオイ」であるが、普通は目にすることがない貴重な草である。

以前麹町ウぉーカーの編集長(大)につれられて東京都と埼玉県の境にある棒の折山(棒ノ嶺969)に登ったときに、その下山途中の尾根で見かけたことがある。杉林の中に3名の男たちが手カギを持って現れ木々の間を飛ぶように走り回っていた。まるで忍者のようだった。そこでその中の一人に聞くと「フタバアオイ」の植生を調べているのだという。なかなか伝搬性の弱い草で広がるのにかなりの時間がかかる貴重な草であるということであった。1本の茎の先に2本のハート型の葉を付け、葉の表面に照りのあり、白い網目模様をもつ綺麗な植物である。貴重な植物ゆえ写真と思い出だけにとどめてほしいと忠告された。Web版ではそのときの写真を一枚紹介しておく。

 

さらに雙葉学園は女子校と思っていたが、幼稚園は共学である。このことは以前麹町小学校同窓会の会合の席で紀尾井町にお住まいのY様から「雙葉の幼稚園だけは共学だけども入学者がいないのよね。」という話を聞いていた。

ところが今年の秋、出勤時にJR四ッ谷駅の階段を上るといつものように雙葉学園のかわいい幼稚園児がお母さんに手を引かれて歩いているのを見ると、「何時もと何かが違う」のに気づいた。よく見るといつも目にする雙葉の子供は紺のスカートにエンジの帽子をかぶっている。ところがその子は黒いズボンに(?)黒い帽子をかぶっている。「ひょっとして雙葉幼稚園の男の子?」と思い、ニコラバレハウスと主婦会館(プラザエフ)の間の路地を幼稚園までついて行き園内に入るのを確認してしまった。なんと雙葉学園幼稚園には男の子がいたのである。前になり後ろになりながらその男の子をマジマジと見てしまった。「可愛いお子様ですね」などというような顔をして、お母様にも微笑みかけていたのであるが、決して不審者ではなかったので悪しからず。

 

最後に毎年、101日の「東京都民の日」には麹町駅の前などで雙葉学園の女学生さんたちが「赤い羽根募金にご協力お願いいたします。」と若々しい元気な声をはり揚げている。募金をして羽根をもらうのはなかなか照れがあってできないという人もおられるが、頑張っている子供たちのためにも少し勇気を出して募金をされることをお勧めする。少しだけ晴れやかな気持ちになれる。「情けは人のためならず」である。

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四谷雙葉学園のHPです。

http://www.futabagakuen-jh.ed.jp/

 

H氏のHPが更新されていません。プロバイダー側の障害が原因のようです。

http://homer.pro.tok2.com/index.htm

 

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http://www.mag2.com/m/0000073086.htm

(大)

平成16年10月24日配信


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