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=========麹町ウぉーカー(麹町遊歩人)No.82=============

すっかり空模様は秋です。晴天の日は空がとても高く感じます。

でも台風到来の週末ですね。こんな週末は、読書の秋を満喫したい・・・・のですが。

 

さて、麹町のH氏は「雅楽」を堪能しながら、秋の中秋の名月を満喫したようです。

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日枝神社の雅楽

麹町ウぉーカー74号で日枝神社の「山王祭」を紹介したところ、そこに参加しておられた日枝神社をホームとする「大田楽」のグループと知り合いになり、中秋の名月の9月28日(火)の「第37回日枝神社仲秋管絃祭」(主催:日枝神社・協賛:小野雅楽会)にご招待いただいた。

この仲秋管絃祭は昭和43年に始まり、今年で37回目であるという。

南北線溜池山王駅を出て総理官邸を見上げながらキャピタル東急の脇の坂を登り、日枝神社の急な階段(男坂)を、息を切らしながら駆け上がった。そして境内に入ると正面の拝殿前に雅楽の舞台が作られ、狭い境内の玉砂利の上いっぱいにパイプの椅子が並べられてほぼ満席であった。

最初に管絃祭開催の神式が行なわれたのち、日枝神社奉賛青年会による勇壮な「山王太鼓」が披露された。これは同会の鈴木昭氏が江戸以来の伝統に基づいて六月に行なわれる山王祭り奉祝のために作曲した打法であるという。

日枝神社の雅楽(携帯電話で撮った為鮮明ではありません。)

 

宮司の挨拶があり「管絃」が始まった。幕間に女性の声で演目の解説が行なわれた。なかなか簡潔で素晴らしい解説であった。

「管絃」はその言葉が示すとおり、管楽器と絃楽器(プラス打楽器)による合奏である。30名ほどの烏帽子に緑色の狩衣姿を着た奏者が舞台の中央に置かれた太鼓を中心に「笙」(しょう)、「篳篥」(ひちりき)、「竜笛」(りゅうてき)そして「鉦鼓」(しょうこ)、「鞨鼓」(かっこ)、琵琶(びわ)等で構成されている。結婚式場などで耳にする天に突き抜けるような「笙」の音で始まり、それに続いて「篳篥」がかなでる。

「篳篥(ひちりき)」は現在東儀秀樹氏によりよく知られるようになっており管絃のメードを採っている。この篳篥は人々の声を表すのだという。この最初の演目は「平調音取」(ひょうじょうのねとり)といわれるもので雅楽の最初の音あわせ、即ちチューニングとこれから合奏する曲の調子の雰囲気作りで演じられるものである。

雅楽には六の音階があり「平調」は音楽のコードの「E」すなわち「ミ」の音であるという。一つの舞台では二つの階調のものは演じないのだという。

そして「三台塩急」(さんだいのきゅう)、「老君子」(ろうくんし)が奏でられた。

「三台塩急」は唐の高宗の后、即天皇后が作り、我国には仁和朝(885~889光孝・宇多天皇の代。)の舞師犬上是成(いぬがみのこれなり)が伝え、一名「天寿楽」ともいわれる。

「老君子」は唐の時代男子誕生のときに演奏されたものであると伝えられるが、我国では上皇の六十のお祝いの退出の時の音楽として演奏されたという。この管弦にあっては篳篥や笙などの聞きなれた音の他に鞨鼓(かっこ)という小さな太鼓の響きとリズムがとても新鮮であった。この管弦の中でコンサートマスター的な役割を担っているように思えた。笙の音は天から差し込む光を表し、竜笛は空を舞う竜を、篳篥は地にこだまする人々の声を表すのだという。管絃の奏でる悠久の調べがプレデンシャルタワーや山王パワータワーに囲まれた星が峯の杜を荘厳な空間にいざなった。

 

続いて「神楽舞」になる。

まず朱色の袴に純白の上衣をまとった2人の舞姫による「剣の舞」(つるぎのまい)である。舞台中央に出て神楽を舞った後、剣を抜いて四方に廻りながら切込みを入れて舞うものである。

次に「悠久の舞」(ゆうきゅうのまい)である。これは紀元2600年(昭和15年)の奉祝祭典のために時の宮内庁楽部楽長多忠朝氏によって作られたものであるという。

4名の舞姫が頭に花飾りをつけ、手には黄色い菊の花を持ち優雅に舞う。純白に緑の松の枝がデザインされた上衣をまとっている。

その後は「日枝の舞」(ひえのまい)である。この曲は日枝神社江戸城内御鎮座500年大祭を記念して、作曲作舞を小野雅楽会会長東儀和太郎氏に委嘱して昭和56年に完成した日枝神社独自の神楽舞であるという。

4名の舞姫は頭に黄金の天冠をつけ、白地に金、銀、紫、緑の糸で雲と山並みがデザインされた美しい文様の上衣を身につけ、手には花に鈴をつけたものを持って舞った。

日常と異なる、ゆったりとした動きと管絃の天から降り注ぐような音色が心地よい。さらに舞台の明るい光により舞姫達をこの世に舞い降りた美しい天女のように輝やいて見えた。

 

そして10分間の中休みになり、その休憩時間の間に神職(権禰宜だったとおもう)による横笛の演奏があった。

最後に「舞楽」である。舞楽は楽器のみによる合奏である「管絃」に対して、舞を伴うものである。その発祥のルーツにより中国、インド方面を起源とする唐楽(左方) と、朝鮮半島を起源とする高麗楽(右方)  に二分されのだという。

「振鉾」(えんぶ)は足首を絞った袴に、左手と右手の色の違う上衣を着、小さな金糸織りの旗のついた長い鉾を持った舞人(まいにん)がまるでオシドリのような派手な帽子をかぶって踊る。この頭にかぶったものは「鳥甲」という鳳凰をかたどったものであるという。

前半は朱色の上衣をきた踊り手が、後半は緑色の上衣を着た舞人が鉾を持って舞った。朱を基調とする左方装束・緑を基調とする右方装束の違いが現れている。

次に4名の男性の舞う「満歳楽」(まんざいらく)であるが、この管絃はとても楽しい賑やかなものである。出だしの篳篥の演奏はたとえは悪いが観衆が大声でわめいているようにも思えた。

この曲は古来即位の礼の奏されたものといわれるめでたいものである。中国では名君が世を治めるときには必ず鳳凰が現れて「賢王万歳万歳」と呟くといわれ、この曲はその鳴き声を映したものであるという。そして舞人は鳳凰のように舞った。

「抜頭」(ばとう)は一人の舞人が赤い顔に大きな鼻、大きな眉毛の異様な面をつけてとても派手な刺繍のある衣装を付けて舞台に現れ右手には何かを持って舞う。他の舞より幾分動きがある。この曲は猛獣に倒れた胡人(ベトナム)の子が山野を捜し歩いてついに親の敵を討ち、歓喜した姿をあらわしているという。

 

そして8時20分に全ての演目が終了した。すると一斉に立ち上がった観客が、舞台の正面の東の空を見上げていた。少しだけであるが薄雲の切れ間から満月が顔を覗かせた。中秋の名月がこの場に姿を現したことにより「第37回日枝神社仲秋管絃祭」は本当の意味で完結した。

世界最古の音楽形式といわれる雅楽は宮中での儀式で行なわれる遠い世界のものというイメージがあったが、雅楽がこのように身近な場所で行なわれ体験できることに驚くと共に感謝した。前日(9月27日)の東京は激しい雨だったようであるが、一夜明けた中秋の名月はそよとしたさわやかな秋風の中での素晴らしい雅楽であった。

そして心地よい余韻に浸りながら山王下に下りる階段から東の空を仰ぐと総理官邸の上に中秋の名月が青空に輝いていた。

 

ところで今回は前日が大阪出張で、この昼に帰ってきたためデジタルカメラを持参しておらず、この荘厳な管絃祭の写真を紹介できないのは誠に残念である。

前夜は仕事が終わった後、同僚のT氏と北新地のバーに行きジャズを聴きながら楽しいひとときを過ごしていた。管絃に使われる楽器で「鞨鼓」(かっこ)という色とりどりの漆塗りの太鼓(鼓)を細い棒で左右からたたく優しい音(リズム)が、前夜楽しんだバーでT氏がブラシでドラムをたたいて客を魅了していた心地よいリズムと重なって思えた。ジャズにしても管絃にしても古今東西を問わず心地よいリズムというのはあるようである。そのようなことに想いをめぐらせながら華やかな赤坂の町に降りていった。

 

最後に、このような貴重な体験をさせていた「大田楽」のI様に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

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雅楽を紹介しているHPです。

「笙」(しょう)、「篳篥」(ひちりき)などの音も聴く事が出来ますよ。

http://www.gagaku.net/

H氏のHPです。今回のメルマガには写真が無いかも?

http://homer.pro.tok2.com/index.htm

 

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http://www.mag2.com/m/0000073086.htm

(大)

平成16年10月10日配信


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